| しみじみと空の青さを確かめることさえ 忘れていたように思う。空は、轟音を響かせて飛び交う魔女のものだった。 8月半ば、魔女の乱舞する音はピタリと止んだ。目に手ぬぐいを当て、肩を震わす大人達の頭上には、何もなかったかのような夏の青空が広がっていた。
平和。穏やかでかわりのないこと。 本来ならば、生まれ出て天寿を全うする最後のその時まで、人は等しくそのような日々の続くことを願う。 そして、そのような歳月が もう61年も続いた。この期間の始まる頃から暫くの間続いたベビーブーム。その主人公達は、戦争という殺し合いの当事国の一員になるという経験を持たぬままに、これまた 雪崩をうつかのように第一線を退いていく。 大慶なるかなと申すべきことには違いない。
人の世の定めに従い、主役は次の世代へと引き継がれていく。 しかし、そのまた次の世代を担う若年層の中には、かつて この国が、アメリカという国と戦争をしたということすら知らない者達が存在するという。 伝聞の類であり、まさかとも あり得ることともそれに対する思いは半々であるが、学校教育の今様に疎くなった老骨には、その真偽を確かめる術もない。
平和を望むかと問えば百人が百人 然りと答えるであろう。 しかし、その状態を如何にして現実のものにするかと問えば、相反する二つの答が返ってくる。 一つは、考えの相違を認め合いつつも、力ずくで一方の考えを押し通そうとはしないとする立場。 もう一つは、力ずくでも自分の考えを押し通す、そのためには相手方の反発への備えは怠れないとする立場で、前者の立場に立つ者達への《夢想的》の揶揄も忘れない。
「戦争の惨禍」ということが、物語の世界へと押しやられていく現実。その上に広がるのは、62回目の8月の青空である。
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