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0102 靖国神社への参拝 千葉の菊 2006/08/07-08:42:17
8月15日の首相参拝、官房長官の参拝、A級戦犯の合祀への昭和天皇の不快感を示したメモの公表など、靖国神社に関する話題がマスコミを賑わせています。
「靖国神社に参拝する」ということにこだわっている政治家たちがいます。
何故「靖国神社」でなければならないのでしょう?
「靖国神社」とは「近代以降の日本が関係した国内外の事変・戦争において、朝廷側及び日本政府側で戦役に付し、戦没した軍人・軍属等を、顕彰・崇敬等の目的で祭神として祀る神社である。」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
ということで、サイパンで日本軍に自決を強要された人びとや沖縄で戦火を逃れ逃げ込んだ洞窟から日本軍によって追い出され砲火にさらされた人びと、アメリカ軍による東京大空襲や広島、長崎の原爆投下で虐殺された人びと、もちろん日本軍によって殺された外国の人びとも祀られてはいません。
ここにはイスラエルがレバノンで、アメリカがイラクやアフガニスタンで「誤爆」によって多くの民間人を殺しながら平然としている精神と共通するものを感じます。
また「戦没した軍人・軍属等を、顕彰・崇敬等の目的で祭神として祀る神社」ですから「慰霊」するための施設でもありません。
つまり、政治家が靖国神社を参拝し「戦没者(決して「戦争犠牲者」ではありません。)に敬意と感謝の誠を捧げる」ということは「ここに祀られている人たちのように国民が権力に忠誠を尽くし戦争を遂行できる国を作る事を誓う」ということなのではないでしょうか?
そこには「愛国心」という名で権力に従順になることを強要し(東京都の学校で「日の丸」や「君が代」を権力が強要しているように)無批判に権力を賛美する体制をあこがれる彼らの心が見えています。
「靖国神社」や「靖国参拝」の本質を私たちは見抜かなければならないと思います。
A級戦犯が合祀されていようがいまいが、「靖国神社を参拝する」ような政治家を私は認めることはできません。