| 〈ダルマサンガコロンダ〉、はて なんのこと?。今ではもう完全に消え去っている?。 では〈ミナナロウ〉、これはどうか。まだ有用?。 更には、東へ行っても南下しても、はたまた、北上しても西へ向かっても上(のぼ)り。しかし、東西南北 どちらに進んでも逆に下(くだ)り。
上洛・上京、奏上・献上。その上(かみ)から、〈上〉とその対語である〈下〉との間に越しがたい何かを与えてきた国民性とでも言うのだろうか、そう定めたいきさつには疎いが、東京方面行きは「上(のぼ)り」であり、その逆は当然のこととして「下(くだ)り」。 演歌の世界に待つまでもなく、志を立てて旅立つ先は上りであり、夢やぶれて辿るのは下りである。
さて、〈ミナナロウ〉は3776.この国の最高峰・富士山標高の暗記法。 〈高み〉は〈上り〉に通じ、人より抜きんでることを至上とする価値観が、その裾野には広がる。なぜ〈東行き・西行き〉でなく〈上り・下り〉だったのか。 改めて意識の有無を問うまでもないほどに染み込んだ価値観の醸成に、大きな役割を果たし続けている〈高み〉や〈〈上り〉。 今、拝金主義などと口走ろうものなら、大向こうからのブーイングに立ち往生必須の世相も宜なるかなと口を噤む昨今である。
〈ダルマサンガコロンダ〉は、幾つ数えたら〜の幼児遊びに慣用された10を数える簡略法。確かに5〜6秒は短縮できそうだ。 5回唱えれば50を数えたこととなった。 さて、〈高み〉に立てば、我執を離れ諸欲を捨てて無私の境地に自ずと入るべしの価値観がこの地を覆うのは、風雨・風雪に御山が削られて、3774〈ミナナシ〉となる遙か先の時代までゆっくり指折るしかないのだろうか。
| |