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0095 愛情のすれ違い 桃李 2006/06/26-03:13:09
最近私の心が一番痛んだニュース、母と弟、妹を焼死させてしまった奈良の高校生放火事件はまだ全貌が見えていない。
見えていないながらも、ちらほら入ってくる情報から分かったことは、医者の家族に初めて生まれた男の子は医者になることを強く求められ、父は付きっきりで勉強を教えるほど期待を注ぎ込んでいたことだ。

のびのびと子が育つような環境を守ってあげる。という愛しかたや、相手の全てを受け入れ信頼し、代償を求めない無償の愛ならば「愛は子に過ぎたりといふことなし」と万葉集から引いて広辞苑に記されているのがぴったりだと思う。が、愛はやっかいなもの。エゴや欲望など陰と陽のいろんな顔を持ち、人間にとってもっとも難しい代物のひとつだ。

医師である父親が研究発表の論文書きなどに没頭するよりも優先して息子に勉強を教えていたのは、憎らしいからではない。自分の子供がかわいいからだ。

ただ父親はやり方を間違えた。成績が悪いと暴力を使って怒ったという。自分の期待に添えないと暴力にまで訴える。「おまえの将来のためだ」と怒ったのだろうか。そしてだれか家族の中でそれを止める者はいたのだろうか。
他人の子ならいざ知らず、自分の子供の前では感情的になり理性を重んじた態度で臨めないと言う親の話を私はたびたび耳にする。

私が機会のあるたび言っていることだが、暴力を家庭で使うことを肯定されていれば、子供も暴力を自然に覚えてしまう。窮すれば小さな生き物だって噛むのだ。長男として生まれたときから医者になるべくして教育されていたであろう追いつめられた長男は、放火という行為を通して自分を壊し、周りを傷つけると言う暴力で親に抵抗した。親が暴力を使うから、それに対抗するために、それより大きな暴力を持って対峙したのだと私は思う。

親は「子故の闇」のなかで16歳という思春期の子供の心が見えなかった。

逃げ道が少しでもあったなら、この長男に鬱憤を晴らす楽しみや時間があったなら、ここまで追いつめられることはなかっただろう。だが、有名進学校に通う子供が趣味に時間を費やすなんて、成績の上ではおちこぼれになるのかもしれない。しかし男の子は、16年間頑張って親の期待に応えてきて、もう限界だったのだろう。

「短絡的な反抗だ」という批判意見も耳にしたが、私はちっともそう思わない。原因は16年間かけて積み重なってきたのだ。家族の関係の中で、複雑で深い根っこがこの事件にはあるだろう。

医者の子として生まれ、長男として期待され、医者になるために育てられてきたこの子の16年間がどんなものだったのか。その16年間がこの子の全人生なのだ。自分の人生を一度も自分らしく生きることが許されず精神的な圧力や、肉体的な暴力らさらされていたと考えたら・・・そして思春期の人間の不安定な心の内と表現の不器用さに、誰も気に留める者がなかったとしたら、親だけでなく学校や社会も責任は重たい。

そして、この子が自分から背負った十字架はこの先彼を、いばらの鎖が絡んだように死ぬまで苦しめるだろう。
初めての子供を懸命に育てたであろう両親も、愛情表現に不器用な父親も、亡くなったご家族も関係者の方々も本当に気の毒でならない。