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0094 鴎外の生活 千葉の菊 2006/06/19-09:46:35
森まゆみの「鴎外の坂」(新潮文庫)を読み終えました。
文庫とはいえ400ページを越えるので、かなり読み応えがありました。
かなりユニークな視点の「森鴎外伝」で、女性の作者らしく、母峰、先妻登志子、妾せき、後妻しげという女性たちの立場、それに対する鴎外の気持ちといったものが詳しく描かれています。
明治期の「立身出世」を絵に描いたような鴎外の生涯でしたが、彼の家族に対する愛情、心遣いもまた尊敬に値するものです。(「立身出世」という観点から、維新を迎え幕藩体制が崩壊したため、津和野から父に連れられて北千住に居を構え医学の勉強を始めてから、千駄木団子坂上の「観潮楼」に住んで「軍医」としての頂点を極めるまで、都心へ向けて転居してきたことも象徴的です。)
特に母と後妻との決定的な対立に挟まれて、その関係修復に尽力している姿は涙ぐましいものです。(結局「対立」は母の死まで続きましたが・・・)
鴎外は5人の子どもたちにとって理想的といってもよい父親でした。(子どもたちはそれぞれ父親との楽しかった思い出を綴っています。)
当時のサラリーマンというのはエリートではあったと思うのですが、徒歩かわずかな路面電車で通勤しながら、帰宅して家族と夕餉を囲み、夕食後は子どもたちを連れて散歩や縁日などに出かけているのです。
その上「文学サークル」を主宰し、雑誌を発行し、もちろん小説も書いています。(不勉強で、鴎外が私生活を題材にたくさんの小説を書いていることを今まで知りませんでした。)
エネルギッシュと言えば確かにそうですが、やはり「時間の流れ、ゆとり」と言ったものが今とは違うのではないかと思います。
頂点の地位まで出世した人ですからもちろん仕事もきちんとやったでしょうが、決して「仕事に追われる」毎日ではなかったと思います。
仕事をしながらも、「余技」ではない「小説家」として、そして何よりも「やさしい父」、森家の「家長」として生活できる「ゆとり」といったものがある生活だったのです。
ひるがえって我々を見るとき、今の世の中でこうした「ゆとり」を持てる人はどれだけいるのでしょうか。
「ビジネス」(英語の語源は文字通り「忙しいこと」です。)に追われるだけの日々を送っている人、あるいはそれを強いられる人がどれほどいることでしょう。
私たちの生きている目的は「ビジネス」では決してないはずです。
鴎外の生涯をたどりながら、そんなことを考えていました。