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0093 ぎんやんま 宮天狗 2006/06/12-06:10:15
先日たまたま都美術館を覗いたところ、入り口の広場にダビテ像に扮した男が立っていて、終始無言のまま投げ銭に応じ腰布をそっとめくります。と、中に黒々とそれらしいものが描いてあって、みんなニヤニヤして見ていました。
男好きなミケランジェロならずとも、美しくスマートなぎんやんまのオスは男の子にとって憧れの的。メスに比べ色彩が全体的に鮮やかなうえ、腰のコバルトブルーがひときわ目立ち、縄張りを悠々と周回する姿は夏の欠かせない風物詩でもあります。

忘れもしない日中戦争が始まったばかりのある日、私はぎんやんまと鬼やんまを両方手に入れる幸運に恵まれ、うれしさのあまりやんまが共食いするのを忘れて同じかごに入れてしまったのが悔やんでも悔やみきれない大失敗。
翌朝かごを覗くとぎんやんまは忽然と消えうせ、後には4枚の羽だけが残っていました。
掌中の玉を失ったやるせなさと自責の念にさいなまれながら、私はイソップ物語で蛙が「君たちにとっては遊びでも、われわれにとっては命の問題だ」と言ったのを思い出し、
以来虫取りをふっつりと止めました。

その年日本軍は遠く南京まで長征し、人々は旗行列や花電車を繰り出して勝利の美酒に酔いしれました。しかしいまわしい虐殺の噂もちらほらと流れ、大陸から兵士が続々と帰還してくると、中にはその蛮行を自慢げに吹聴する者さえ後を絶ちませんでした。
でもそれは日本軍に限ったわけではなく、アメリカ兵いやおそらく全世界どこだって例外ではないでしょう。
戦争末期に私が成増で機銃掃射を受けたとき、一緒にいたはとこの話ではアメリカ兵は笑いながら撃っていたといいます。
戦争は殺人を正当化するだけでなく、遊びにしてしまうことさえ珍しくないのです。

私は遊ぶのが好き、というより遊ぶために生きているようなものですが、戦争だけは真っ平ごめんです。わが日本国憲法の不戦の誓いはなんとしても護らなければ、と思っています。