呼出完了
0092 岡山・新倉敷へ ウミサチヒコ 2006/06/05-00:45:40
「護憲+八ヶ岳オフ合宿」を横目に、小生は土曜日曜にかけて岡山に行って来ました。予定が見えなかったので流水さんに声を掛けるのは遠慮し、倉敷の風景、そして夜を体験して参りました。
軽い商談のあと、まだ日の高い西日本の午後5時から、魚のうまい居酒屋にくりだしました。居酒屋というより、個室もあったので「小料理屋・料亭」と言った方がいいのか、少し格式がありそうな店でした。中生ビールで乾杯の後、小生は中燗2合の酒を幾度か注文していい気持ち…。

倉敷は高梁川による沖積平野、倉敷・玉島・児島・水島と4地域からなる300キロ平方の広い市域から成り立っています。全体的には「工業都市」と言った方が似合う豊かな町の印象でした。10年ほど前、岡山市津高に住んで御津町に勤務していた頃、一度「白壁の町」を見るため訪れたことがあり、それを思い出すとセンチメンタルになります。

「居酒屋」を午後8時に出て、クラブに移りました。今度初めて会った岡山の社長の行きつけの店のようでしたが、店のホステスが社長に「しばらくぶりね」と言っていたので、この社長さんもそうそう繁くは通っていないことが分かりました。水商売の人間の会話は高度な配慮が要求されます。「ホスト」役のお客の意図を理解して、言っていいこといけないことを瞬時に判断しなければなりません。誰が来ないとか来たとか、誰々が誰々と一緒に来たとか来なかったとか、そういう話題は慎重にしなければなりません。きっと永田町あたりの料亭の女将(オカミ)はそういう点は良くわきまえているのでしょう。この場合はどうでもいいことでしたが、そんなことを考えながらウイスキーのロックをスイスイ。
ホステスは中国人で、ママも中国人、ホステスとママは従兄弟(いとこ)同士とか。日本語はほとんど完璧でテレサテンの歌などうまかった。踊ろうよとか誘われて散々断わったのですが引っ張り出され踊った。といっても小生は踊りなんぞ苦手なので、しょうがないからお尻を鷲掴みにしてやったら、三万円だという。いや3千5百円だと言い返してやった。2時過ぎまで飲んだが後半は上のまぶたと下のまぶたが付かないようにするのがつらかった。ホテルに戻って、今回の仲介役の鳥取の専務さんと未明の4時まで話した。実りのある岡山の旅であった。実際に会って話すことの意味を、今更ながら感じた旅であった。さあ、これから頑張るぞ。おわり。