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0091 愛国心といわゆる自衛について くぬぎ林 2006/05/22-01:13:33
 最近、教育基本法の改悪を自公民が主張しているが、その眼目は愛国心の強調らしい。現在の買弁内閣やそれに近い民主党がこんな言葉を使って何を目論んでいるのか、大変おぞましい気がする。
 くぬぎ林は、小学生のころからいわゆる非国民で、その当時の時勢にひどく反抗的だったが、昭和十四,五年に出た「青少年学徒に賜りたる勅語」の「汝等、任重くして道遠し」というセリフは大好きだった。 今考えても、くぬぎ林は当時、いわゆる愛国少年より国を憂いていなかったとは思わない。でも、教育基本法で愛国なんていわれれば、また非国民呼ばわりされるだろう。
 それに、いま本当に愛国心を説くなら、まず日本にいるアメリカ軍を実力で追い払って、日本をアメリカの属国ではなくすことだろうけれど、これは日本人の滅茶苦茶な犠牲を覚悟しなければ、到底できることではない。
 それに関連して,この頃自衛という標語がやたら目につくが、これもあらゆる標語と同じくインチキ臭いものである。今の情勢で自衛なんてことをしようとすれば、アメリカに対してするわけにいかないだろうから、アメリカ軍の指揮の下でほかの国と戦争して、ひどい目に遭うのは日本人ということになるだけである。
 私が護憲を主張するのは、生まれたくて生まれたわけでもなく、死にたくなくても死ぬ哀れな存在が、戦争、武力による殺し合いはしたくないという極めて単純な考えによるもので、殺したり殺されたりするよりは、すぐ降参して相手のいうとおりにしたほうがいいと思うだけである。現状もこれと大差はない。文化伝統の少ない野蛮な大国のほうが強いのは判りきったことである。
 
 教育でいちばん大切なことは、人を殺してはいけないということを教えることで、教育基本法をいじくるなら、愛国心などというひとりひとりで解釈の違うことを説くより、殺人は許されないことを説くほうがよっぽどましである。
 このごろ、金ほしさとか、欲求不満とかストレスなどということを殺人の動機にして、犯人もこれを理由にあげるが、こんなバカバカしいことはない。こういったものがあるのは人間の生活では当たり前のことで、こんなものがない天国みたいな世の中はあり得ない。天国みたいな世の中がすぐできそうなことを言うサギ専門の政治家を信用しないで、標語でなくて自分で物を考えるように教育するのが教育の基本だと思う。