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0087 勲章・褒章 百山 2006/05/01-01:21:13
 世上 大勲位、ア あの人!で通じる御仁がいる。毎年 春と秋は、その大勲位を最上位とする勲章・褒章の季節でもある。
 その謂われの第一は、言わずと知れた臣下の武功を讃えるためのもの。写真などを通して眼裏に焼き付けられた胸章を誇るがの軍服姿は、今も鮮やかに甦る。

 敗戦によって国の有り様を変え、武功に縁のなくなった後の暫くは、棺を覆っての後に定まった功労に対してのみ授与するとして推移してきたが、目の黒いうちにその栄誉に浸りたいという煩悩に抗しかねてか、昭和38年に生存者叙勲を復活させた後は、それ中心の運用と言えるほどに様変わりして、この春をみても、叙勲が4,000人、褒章が700人を超えるめでたさである。

 しかし、これこれの職位に就いた人はこれこれの勲章という基準があり、更には、その功績の評価によってはより上位の勲章を与えるなどの定めをみると、はてな?が頭をもたげてくる。
 政・官界優位の批判をやわらげるためもあろうか、各府省から推薦された候補者を、内閣府賞勲局が民間人10人からなる栄典に関する有識者会議なるものに諮って決定する仕組みとはなっているが、はてさて、どれだけ実質のある評価が可能なのだろうか。

 あげたとされた功績の多くは、既に他者によって評価され・讃えられたものであって、勲章・褒章の授与はそれの単なる追認、
有り体に言えば、権威付けという時代がかった発想に発するものとなっているのではなかろうか。
 政・官界に活躍の場を求めたのも、また、新たに特別の範疇と麗々しい危険業務従事功労も、誰かさんの決まり文句に従えば、職業選択の自由に根ざしてのこと。まさか危険業務イコール武功を先取りしての深慮遠謀などではありますまい。
 主権在民の社会における勲章・褒章、その意義とあるべき姿とは、どのようなものなのだろうか。