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0086 戦場のアリアを観て 桃李 2006/04/24-12:13:25
29日から封切りの、この映画の試写をみました。

1914年のクリスマスに、戦場で歌を歌ったひとりの兵士の歌声をきっかけに(ドイツの著名なオペラ歌手という設定です。)第一次世界大戦中のフランスでイギリス、ドイツ、フランス軍が、前線の将校が話し合い、クリスマス休戦をし、敵味方が混じって酒を酌み交わし、ゲームをしたり家族の写真を見せ合ったりして交流するという、嘘のような本当の話です。

皮肉なことに映画の中で、ドイツ人の将校はフランス語が上手でした。なぜなら妻がフランス人でした。

一人一人は、だれも好んで人を殺したいと思っている人はいませんでした。ただ、そこに「国家」という社会の機構が絡んでくると人間は「戦争」という人殺しを正当にやってのける。

ちょっと別の話を差し挟みますが
「学校で国歌を歌うべきだ。」と主張する戦争体験者の話を聞く機会がありました。

「特攻隊も国のために死んで、戦争で亡くなった人があるから今の日本があるというのに、その人たちが命がけで守ったこの国の歌も歌えないなんて、国旗も掲揚しないなんて、戦争で犠牲になった人たちに対して、あまりにも不遜なことではないか。」

「それは違うと思います。」と被爆して体の4分の1に重傷のやけどを負ったと言うその人に、その話を聞いたとき、私ははっきり言うことができませんでした。けれど皇室の存続について語られることも多い昨今ですが、これを聞いて、昭和天皇が国民に謝罪して天皇の座を退き、戦争の責任を取るべきだったと強く思いました。

国歌を歌っても、国旗を掲揚しても、戦争に巻き込まれた人たちは、心の痛みを抱えていまも心は安住の地がないように思います。
やはり、武器を持つことなく、戦地に赴くことなく、家族とふつうの暮らしができる世の中を作っていくことが、人間にとってはいちばん大事であり、戦争で犠牲になった方へのご供養でもあると私は思うのです。

冒頭の映画を見ても思いました。国という社会機構を平和にする薬は、人間と人間が信頼しあう方法を見つけることだと。らちのあかない国レベルの話し合いだけじゃなく、民衆に広がる言葉を超えたもの。それこそ映画も芸術も、そのために役に立つと思います。ただしこういうものは多くの人の共感を扇動する作用があるので、科学が良い方へ使われるべきなのと同じです。

来年にむけて東京都知事の石原慎太郎氏が指揮をとり特攻隊をテーマにした映画を作るそうですが、ちょっと気がかりでいます。石原都知事は俳優の人権を高めるために頑張っているのだ。と言っている俳優さんの話も聞きました。はして・・・本当にその目的なのかな。と私は首をかしげました。