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0084 さくら 宮天狗 2006/04/10-06:27:32
いま当地は桜が見ごろを迎えています。61年前の4月13日の夜、ぐっすり眠り込んでいた私は「関東海面警戒警報が出てるから!」と母に揺さぶり起こされました。東京各地は連日のように空襲が続いていたものの、敵機が多くなければこの警報が海軍横須賀鎮守府から発令されることはなく、事実一ヶ月前の3月9日の夜も出ていたからです。
ほどなく不気味な爆音とともに怪鳥のように現れたB29は、低空から次から次へと襲い掛かって焼夷弾を雨あられと降り注ぎ、かろうじて死地を脱してようやく周囲を見回す余裕のできたとき、私が目にしたのは見渡す限り広がる火の海と夜目にも白く浮かび上がる一本の桜でした。

同日被災した歌人の馬場あき子さん(1928年生まれ)は、そのせいか長い間桜拒否症に陥ってしまったといわれますが、「敷島のやまとごころを人とはば朝日ににほふやまざくら花」「ひさかたの光のどけき春の日にしづこころなく花の散るらん」などを例に、「天皇陛下のため国のためこの花のように潔く散ることこそ皇国臣民たるものの務め!」と煽られた私たちの世代にとって、桜はいわば死の象徴であり、いわく言いがたいコンプレックスを抱いていたのも一因かと思います。

一方桜の妖しいまでの美しさについて梶井基次郎は「櫻の樹の下には屍體が埋まつてゐる! これは信じていいことなんだよ。何故つて、櫻の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことぢやないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だつた。しかしいま、やつとわかるときが來た。櫻の樹の下には屍體が埋まつてゐる。これは信じていいことだ。」 とたたえ、坂口安吾は「桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分りません。あるいは「孤独」というものであったかも知れません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独自体でありました。」とその秘密を明かしています。

おりしも原爆記念の桜の幼樹がすべて折られるというおぞましいニュースが飛び込んで来ました。その意図は不明ながら生くとし生きるものの存在を否定し、もののあわれを知るこころを踏みにじる蛮行であることは疑問の余地がありません。ほのかな希望は折られたところから新芽が芽生えたこと。私たちもめげずに平和への願いを新たにしたいと思います。