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0072 老いとは ごまめの翁 2006/01/16-11:29:10
 今回は1月3日の桃李さんが書かれたコラムが胸の中に閊え老いというものが何かを書いてみます。

 護憲の皆さんのお家族は老いた父母を抱えた方や私の様に体の衰えを感じている方、千差万別だと思います。
 親を早く亡くした私は老いた両親を知りませんから、親の看病については語れません。しかし私も何時の間にか老いと云うものを感じる歳になって、此れからの人生について考えるように成りました。
 
 高齢者社会、身内に多くは高齢者が多く、ましてや高齢者の多い町内に住んでいると多くのお年寄りの家庭を垣間見ます。
 都会では珍しいのですが一昔前のように曾祖母を交えた大家族もいらっしゃいます。しかし親と同居は少なく、戦後の個人主義が行き渡ったのか、核家族が定着して老人だけや若者だけの家庭が多くなり、子供は親の老後を見なくてもよく、老後は行政が見るものだというのが定着してきています。

 子供が入れ替わり立ち替わり実家の親の面倒を見ている家庭もあります。それを知らぬ顔をして義母の面倒も見ない嫁も居ます。
 子供がいても親の安否を見にも来ない独居老人家庭もあります。
 一昨年一人寂しく亡くなられたお婆さんは、何かあると救急車をタクシー代わりに呼んでいました。

 二.三日顔を見せないからと町内の役員さんがのぞきに行くと、食事もとれなく動けなくなっていた方もいました。行政があり介護保険は有っても緊急な時には何の役にもたちません。

 七日正月までいた孫たちが帰り、家内としみじみ老いに付いて語った話を少し書いてみます。
「私たちも老いてこの先どうなるかは判らないけれど、緊急な時には子供たちは間に合わないから、どちらか最後に残った方が惨めかも。以前は老人夫婦の心中は新聞を見ると、この老夫婦は何を考えているのだろうと思っていたが、今はその気持ちが判る歳になった。自分の人生は自分で決めたいな」
 家内曰く
「でも其れは神に任せるしかしょうがないよ。老いて一番惨めなのは、大勢子供がいても親を老人ホームに入れて、顔も見せない子供や親戚がご本人が亡くなった途端にホームに顔を出し親の資産を持ってかえり、後はよろしくとホームに下駄を預けるこんな悲惨な人生は最悪。しんどいけれど時々でも子供や孫が顔を見せてくれる私たちは幸福と思はなくては。」
「だがね、体の自由がきかなくなったどうする」
「其れだったら結婚をしないか、子供を授からない方が、自分の人生について直視できるから、どのような人生の最後を迎えても覚悟が出来ているから幸福でない」
 
 若い時には老人について分かっているようで分かっていませんでした。老いて初めて老人の心理や人生について理解が出来るようになりました。来年の正月に今と同じ精神状態でおられるか、健康のみが知っているのでしょう。

 平和についても戦争体験者の平和論と未体験者の平和論では些か違う感がします。

 為政者や官僚それに経済界、弁護士に医師、社会の頂点に立たれる人々は全部とは申しませんが多くの方々は社会の底辺をご存じなく、其の上戦争を知らない人々が政治を司るのですから。日本の行く末は見えてくる気がします。
 難しいことは体験していませんので語れません。しかし、世に名前を残した政治家は貧困から立ち上がった方々が多い様な気が致します。