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0068 家族制度 宮天狗 2005/12/19-08:15:10
関東大震災の余燼がくすぶる大正末期、商家の一人息子で東京山の手生まれの父と、職人の一人娘で下町っ子の母は、ふとした出会いから激しい恋に落ちました。運が悪かったのはどちらも江戸時代から名字帯刀を許された旧家の跡取りだったことです。夫を早く亡くして娘しか頼る者のいない祖母は、「母さんを見捨てるようなことは決してしないから」という娘の嘆願も、「屋敷内に離れを作って一緒に住みましょう」という父の提案にも耳を貸さず、戸主の権限により同意を拒みました。(当時は戸主の同意がなければ結婚出来なかったのです)。

「お医者様でも草津の湯でも ほれた病はなおりゃせぬ」とか。まして大正ロマンの洗礼を受けてトルストイや有島武郎に共鳴していた父母は、祖母が納得するまでじっと待つことにしました。私が生まれたのを契機に頑なだった祖母も次第に心を開きかけたころ、父は肺炎がもとで35歳の若さでこの世を去ってしまい、後には苗字の違った母と子が残されました。
もし二人が親のいいつけを素直に守っていたら私は存在しなかったのだ、と思うと19世紀生まれの両親の情熱と勇気、そして運命の不思議さを改めて感じにはいられません。

考えてみると個人よりも家の存続に重きを置く明治憲法下の家族制度は、戸主と家族の関係を天皇と臣民に置き換えることによって天皇制を補強していた、といえるでしょう。自民党改憲案は前文と9条を主な標的として復古派の意見はほとんど退けられたようにみえますが、少子化や凶悪事件の続発を踏まえて戦前の家族制度を懐かしむ声も多く、審議の過程でどんな意見が出てくるか油断は禁物です。当事者の一人として9条とともに24条の堅持を強く訴えたいと思います。