| 田中優子という近世文学の専門家が書いた「樋口一葉「いやだ!」と云ふ」(集英社新書)の冒頭にこんな文が書かれています。 「景気回復、という。しかし自分(自国)だけ豊かになろうとすれば、他の誰かを貧しくする。なによよりも、これ以上むさぼるなら、すでに傷ついた地球がさらに壊れ、足下には洪水が押し寄せてくる。 思わず「ああいやだ」と言いたくなる。それならいっそ大声で「いやだ!」と言ってしまおう。むさぼるのはもういやだ!別の生き方をしたい。 戦争は終わらず、たいてい泥沼になる。ひとつ終われば、アメリカは次の戦争を始める。国際競争は間違いなく激化するが、「反戦」という言葉は「反テロ」とぶつかって、両方とも沈没している。 「反〜」は次の「反〜」を生み出すだけなのだ。こんな時代は「いやだ!」と叫んだほうがいいような気がする。テロはいやだ。戦争もいやだ。 働き口がない、家族を養わなければならない、なぜかいつも結婚のチャンスを逃す、借金がかさんでいる――つまり、今の言葉でいう「負け組」。これが樋口一葉だった。」 今、この日本にいる人のごく一部が「勝ち組」で残りのほとんどすべては「負け組」です。 「競争原理」によると、「勝ち組」が好きなように社会を動かし、「負け組」はそれに従わなければなりません。 それが今の日本の社会です。 それでは、私も含めた「負け組」はどうしたらよいのか。 最近の楽しみのひとつが土曜日に放映される「男はつらいよ」を見ることです。 この映画を見て「負け組」の暮らし方を教えてもらいました。 「男はつらいよ」の登場人物は、みんな「負け組」ばかりです。 けれども彼らは実にいきいきと暮らしています。 たしかに生活は楽ではなさそうです。 額に汗して働く毎日です。(主人公だってマドンナにうつつを抜かしてばかりいるわけではなく、ふるさとに帰っている間も商売をしています。) 贅沢だって滅多にできません。 にもかかわらずいきいきと暮らしていける秘訣は「お互いさま」にあります。 お互い困っているときは、できる限り助け合います。 「情けは他人のためならず」(最近はこのコトバも意味が反対になってしまったようです。)いつかは自分に返ってきます。 「負け組」どうしは足を引っ張り合わないのです。 それは「負け組」だからこそ、相手の事情がわかるからです。 映画の中の話で、この世知辛い世の中でそんなことやってられるかという声が聞こえそうです。 でも「負け組」は失うものなんてないんです。 贅沢をしないでそこそこ食べていくだけ稼げれば、それ以上無理をする必要もありません。 「お互いさま」で困ったときはみんなで助け合えば、お金がなくたって暮らしていけます。 「経営者」じゃないんだから、「ビジネス」にあくせくさせられるのは「いやだ!」と叫んで、「競争社会」から「一抜け」ましょう。 「競争」なんか「勝ち組」に任せましょう。 「負け組」は「寝首をかかれる」心配なんか要らないんです。 「競争原理」を「勝ち組」に押しつけてしまえば、「負け組」はいきいきと、そしてゆったりと暮らしていけるはずです。
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