呼出完了
0048 +(プラス)ということ 百山 2005/07/25-10:24:17
 「数」という世界の入り口に佇んだのは、もう半世紀以上もむかしのこと。加減乗除、この字句の並びに階段を上って行きつ戻りつ、手探りで辿り歩いた苦楽の道も 振り返れば懐かしいの一語。
 1、2、と呼び方から始まって、演算の最初は+(プラス、足し算)。やがて二桁から三桁へとそれは膨らみ、さらに引き算から掛け算へと広がって行った。

 0(ゼロ)からの始まり。この国(国民)にとっての60年前は、正しくこう呼ぶに相応しいものであった。
 子供心にも見て取れた国を挙げての戦争末期のナンセンス。当然とうなずける敗戦という帰結。しかし、やがて公布された憲法は、今までにない世界の実現へ向けて人々の心を一つにするため、闇夜に輝く光となった。
 その光に導かれて勤しめば、かつてない理想的な国家・世界形成の先駆けとなりうると信じて疑わなかった。

 だが、過ぎ去った60年の中で、現実はどのように推移して来ただろうか。
 長きに亘って政治の中心を占め続けてきた勢力によって、憲法の指し示す行方とは異なると指弾される施策が 事ある毎に推し進められ、既成事実という免罪符を拠り所にしてその勢いは止まらず、最高法規に対する畏敬の念などはないに等しい。
 一方、その乖離を糺しそれを押し戻すべしとする勢力の動きはどうか。
 事実上の超長期政権下において既得権益を得、それを己がのみの+として守護し、そのための盲目的な支持を続ける層を上回る数の無関心層を前にしながら その心を捉えきれず、呪文の如く「護憲」を唱えるのみで 衰退を加速させている。
 
 この国の民達は、あの0から始まった日以降 どれだけの+を積み上げて来たと言うのだろうか。