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0044 近代国家という幻想 くぬぎ林 2005/06/27-11:43:48
くぬぎ林も国家について書こうと思っていたら流水さんに先手を打たれてしまいました。でもやっぱり国家について書きます。

まず、日本ではなぜ国に国家と「家」がつくのか分かりませんが、それはさておいて、国家、特に自衛権を持った近代国民国家などというものは、十九世紀、二十世紀に支配的だっただけの、歴史的にきわめて短い期間の幻想としての現実です。

その前は,王様の親戚はよその国の王子様や王女様だから、一人でいくつもの国の王様になりました。国民の中からはお妾さんしか出ません。それでも親戚同士戦争はしましたが、これは遺産争いみたいなものです。

こんどEUで、人民の国家意識の強さは出ましたが、でもEUの中で互いに戦争することはちょっと考えられないので、やはり十九世紀、二十世紀の国家絶対化はだんだん解消の方向にいっているようにも思えます。

アジアやアフリカは植民地から独立したところが多いので国家意識が強いのですが、それでもたとえば南洋のいなかの島にいる人たちが、おれはインドネシア国家の民だとか思っていないのではないでしょうか。

くぬぎ林は、いわゆる近代国家はもうそろそろやめにした方がいいと思うので、日本の江戸時代の人々にとっては藩が国だったけれど、三百年の間藩同士の戦争はなかったのを思い出します。(民衆の生活の問題、税金、つまり取上げられるお米の量のひどさは別として)

そして幕末、外圧によって初めて日本国が、藩より上位の単位として強調されて、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国の悪い点まですっかり真似した、擬似近代国家ができあがりました。

そうだとすれば、今世界が近代国家の迷妄からさめるにもやはり外圧、つまり地球人類よりはるかに強力な火星兵団でもこないと駄目かなと悲しい気持ちです。その前になんとか国家は藩なみになった方がいいと思いますが、幕府がアメリカというのは最悪です。