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0038 権力とマスメディア 宮天狗 2005/05/16-06:51:27
泣く子も黙る大蔵(財務)官僚と検察官そしてマスメディア。そのトライアングル
のおぞましい実態を白日の下に晒け出したのが高杉良「不撓不屈」です。
1918年栃木県鹿沼市の貧しい布団屋の一人息子として生まれた飯塚毅
さんは、東北大法科を卒業後1946年飯塚毅会計事務所を開設、62年
には社員67人、顧客400を擁するまでに成長したが、その年の10月
契約事業所の支出の取り扱いを巡って氏が東京国税局を相手に税務訴訟を
起こしたことから、「第二の帝人事件」と言われるほどの不当な弾圧を受
けることになったのです。
税理士を当局の下請けくらいに思っていた国税庁は、飼い犬に手を噛まれ
たとばかり63年2月から調査官や、査察官を動員して飯塚会計事務所及
び契約事業所の大掛かりな税務調査を行い、広報誌「税のしるべ」に確と
した証拠もないまま「著名税理士数々の非行により近く処分」と発表、
リークを受けた地元の栃木新聞(94年廃刊)は「会計事務所が脱税指導
の疑い?」とキャンペーンを展開、朝日、読売など全国紙もあとを追って
一方的に飯塚さん側に非があるかのように報じ、きちんと反論を掲載した
のは地元下野新聞だけでした。
さらに国税庁からの告発を受けた宇都宮地検は、64年3月飯塚さんの事
務所、自宅を家宅捜査して職員4人を逮捕拘留し、49日間にわたり夜遅
くまで尋問を繰り返すなど、拷問に近い取調べを行ったのです。
相次ぐ契約解除で経営の危機に陥りながらも屈しない飯塚さんに救いの手
を差し伸べたのは、党を挙げて真相の解明に乗り出した日本社会党と、離
党も覚悟しての自由民主党渡辺美智雄代議士でした。税のプロでもある社
会党平岡忠次郎代議士と渡辺氏は、衆議院大蔵委員会において国税庁が最
初から飯塚つぶしを狙って予断に満ちた税務調査や脱退教唆などを行った
事実を鋭く追及、木村秀弘国税庁長官を実質的な辞任に追い込みました。
しかし裁判は検察側の証人喚問戦術によって延々と続き、職員が晴れて無
罪を獲得したのは70年11月、検挙以来実に足掛け7年の歳月が流れて
いました。これを4段組で報じた全国紙は産経新聞のみで他紙は地方版で
もだんまりを決め、下野新聞も小さなべた記事を載せたに止まりました。
飯塚毅会計事務所は業務を拡大して社名をTKCと改め、コジマ、元気寿
司などとともに宇都宮に本社を置く東証1部上場企業に発展、社長を長男
に譲った飯塚さんは会長として今も元気に活躍しています。