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0033 狂気と正気 百山 2005/04/11-00:34:12
 想像することすら許されないような事柄が多発する。
それは悲運としか言いようのないほんの数秒・数センチの差という間の悪さが引き起こしたものもあれば、断ち切られることのない縁に堅く結ばれ 末永く穏やかな幸せに包まれ続けると誰しもが信じていた日常の、内側から切り裂かれた突然の暗転というものもある。
また、天賦の才を恵まれたままに発揮し、それの当然の結果として社会的地位を得、尊敬と憧憬とを一身に集めていた筈の人の 一皮剥かれて露見した本性の卑しさというものもある。

 終わってみれば、正気の沙汰とは決して思えないような事の数々。しかし、それが計画的であったか否かは問わず、一旦その渦中に身を置くと決意した途端、その人の正気と狂気は 入れ替わってしまうのではなかろうか。
自分の立つ側が正気であり、彼岸は狂気であると信じて疑わない。己が行為は正しく、他者のそれは否であると。

 これが政治の世界で演じられるとき、彼らを選良として舞台に送り出した主権者・観客たちは、常にその正邪を見抜き退場を促すために必要な鑑識眼を磨き続けなければならない。
しかし、新しい歴史を刻みはじめて60年の節目を迎える今日、永田町劇場を包む響きは、それとは無縁の 付和雷同・無分別の拍手である。

 改めて言うまでもないことながら、権力を手にした政治家の狂気 それが正気を片隅に追いやる恐ろしさは何ものをも超える。
古びたフィルムに再び光を与えようとするかの今、観客の責任はこの上なく重い。