呼出完了
0032 遺体からの遺言 桃李 2005/04/04-02:58:59
年末から今まで、フランスで、戦争、内戦などの争いで殺された遺体、天災でなくなった方々の遺体の写真、現場の映像をたくさん見ました。争いで殺された人間は、例えば銃で撃たれれば、その瞬間のショックで、目をかっと見開いて口を半開きにしたまま何か言い残したようにその場に倒れています。もっともっとむごたらしい遺体もたくさんあります。
日本では夕飯の時間帯にそのような映像をニュースに載せたりしません。視聴率を稼ぐためのトレンディドラマや自伝的ドラマでは、家庭や恋人たちのスタイルを時にはおもしろおかしく、そして必ず素敵に見えるように仕立てて視聴者にあこがれを持たせ、自分と似ているけれどあり得ない人を描くことで、見る者を世界の現実から離れさせているように思えます。そうかと思えば、中国や韓国、北朝鮮から攻められたらどうするのだ。とか愛国心を持たせる教育をしなくてはだめだ。と言う人もいます。
でも、虐殺されたユダヤ人やアフリカやインドネシアなど色々な国の多くの遺体を見ていると、愛国心の前に、国籍に関係なく人間を愛する心、地球のどの国に住んでいる人間も、お金のない人、たくさんある人、仕事のない人、病気の人、どんな人でも殺されることがあっちゃいけないんだよ。生まれてきたら生きる権利があるんだよ。という教育をした方がいと思います。そして、おぎゃーと地球に生まれてきた「地球にいる人間が生き易い世の中を作る」ことを主軸にものを考えていった方がいいでしょう。日本は島国だから。なんていう言葉が筋の通った言い訳になる時代はもうとっくに終わっています。地球の上で暮らす人間には、国という単位で考えた方がいいことと、そうじゃないことがあります。今の日本の政権にとってはどうやら目の上のたんこぶの9条も、人間が生きることを保障するためには、きちんと守れば世界に自慢でき、模範とされるものです。
それから今、複数の国が協力して人を育成する為の人的な未来への投資は、かなり進んでいます。フランスの学校を取材しましたが、その中で、日本からの留学生は、「言葉の間違いなどを恐れずに体当たりしていく強さ」の点では、かなり出遅れているようです。教育は未来の人材への社会の義務でありまた、投資でもあります。君が代を歌うことを強制したりする教育に躍起になってもこれからはあんまりお役に立たないでしょう。そんなことをとやかく言ってもめている間にも、どんどん世界に置いて行かそうです。
戦争で死んでいった遺体のはんびらき半開きの口から、言葉がこぼれるのが聞こえるようです。「人間が人間を殺すことがあってはならないんだ。ただでさえ、そうでなくても人はいつか死ぬ。人間は、国ためでなく自分の小さな幸せのために生きるんだよ。そのために地球に住む人々と殺し合うのではなくいがみ合うのではなく、責任のなすり合いをするのでもなく、生きる方向へ力を合わせていくんだよ」と。