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0024 ゴミの中からひろった命 桃李 2005/01/31-08:59:41
ボランティアで子供達のお世話をしていたときのお話です。

「これお庭をほうきでお掃除していたときに見つけたんだけれど、どうすればいいの?」

年長さんの直くんたちが、小さな手のひらにのせて持ってきたのが、今は亡き小さなコモちゃん。動き方もぎこちない、まだふにゃふにゃのコウモリの赤ちゃんでした。

自分が子供の頃は、何の疑問も持たずに、大人が嫌う虫や、女の子達が大嫌いな生き物を同じように嫌っていたものです。それを思い出すと、だからこそ、コモちゃんを拾ってきてくれた子供達の、小さく優しい視点はなおさら大切にしなければならないし、貴重なことで胸が温かくなりました。

「ゴミの中から拾ってきてくれたんだね。ありがとう。じゃあ育ててみようね。」

その日から、私の「コモちゃんのおかあさん役としての数日間」が始まりました。子供達から預かった自分の知らない小さな命をどうすれば大切に生かせるか、どう扱ったらよいのか・・・ましてコウモリなんて・・・。私は途方に暮れたました。でも預かった以上、コモちゃんの今後は、子供達にとっても、私にとって大問題。

巣から落ちたコウモリの赤ん坊がいったい何を食べて育つのか、体温は冷たいけれど温めたらいいのか、どうしたら親のところへ返せるか。小さな箱に入れて職場にさえ連れて行き、生き物に詳しい同僚にも助けてもらいました。

結局コモちゃんは10日間ほどしか生きられませんでしたけれど、コモちゃんを育てるために、子供をはじめ、周りの大人も、みんなでいろいろ調べては、よい方法を考えてくれました。

そのときとてもよく感じたことなんです。大小の生き物を問わず、相手を大事にするということは、相手の命や性質を知って、有様を受け入れて、生かすということなんですね。

子供達は「自分よりも小さな命だって大事だ」とという基本的なことを、そして、ゴミの中からひろったコウモリは、拾って私に届けに来てくれた子供の心と、「自分より弱いもの、小さな生き物への接し方、生かし方」を考えさせてくれました。これは生き物全般にも、私たちの守りたい憲法にさえ通じるところがないでしょうか。

人間だから生きているのが当たり前。虫や動物は人間の都合でいなくなっても仕方ない。そんな考え方をしているとそのうちに、「自分より弱い者や邪魔な者はどうでもいい。と言う感覚に陥らないか」と考えさせられる忘れられない出来事でした。

その後の話ですが、このとき調べたことと経験が役に立って、ほかのコウモリを助けてあげることができたんですよ。