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  政権ウォッチング(第十三期)
笹井明子    −    2015/08/01 02:15:02
(安倍)政権の目指すところと動きを検証し、対抗手段を考察・提示する。
0001  政権ウォッチング(第十三期)   笹井明子 08/01 02:15
 
憲法を無視して暴走する安倍政権の政権運営・政治手法を検証・批判し、私たちはどのように対抗していけばよいのかを考えます。  
 
 
0002 馬鹿に権力を持たせてはならない! 流水 08/11 11:33
 
馬鹿の語源には諸説ある。その中で根拠は薄いとされているが、人口に膾炙された説がある。

・・「秦の2代皇帝・胡亥の時代に権力をふるった宦官・趙高が、あるとき皇帝に「これは馬でございます」と言って鹿を献じた。皇帝は驚いて「これは鹿ではないか?」と尋ねたが、群臣たちは趙高の権勢を恐れてみな皇帝に鹿を指して馬だと言った、との『史記』にある故事からとする説。」・・

この話、「法治主義」と『人治主義』の対立と読まなければならない。秦は、初代始皇帝時代、【法治主義】により全国統一を成し遂げた。ところが、その後、趙高が権力を掌握。この挿話のように、【法治主義】を【人治主義】に転換してしまった。その為、秦は、ほどなく滅亡した。後をおそった漢は、秦の失敗に学び、【法治主義】の国家を形成し、前漢・後漢あわせて400年余り中国を支配した。

磯崎首相補佐官の『法的安定性は関係ない』という発言。秦の趙高の鹿を馬と言い張り、それを押し通すやり口と同じである。この発言は、近代国家の要諦である憲法を中心とした【法治主義】を根底から覆すものである。少なくとも、国家の為政者や役人たちが口にすべき言葉ではない。しかし、このような【人治主義】=【独裁権力】への誘惑は、権力者にとっては骨がらみのものである。

権力の本質は、人を支配するという【悪魔的誘惑】にある。人が人を支配する、という事は、どんなに配慮しても、何がしかの無理が伴う。権力者は、自分の思いが簡単に通らない場合、力づくでも通したいという誘惑に駆られる。この【誘惑】に抗しきるのは、自らの【理性】【知性】以外にない。

国家権力から、家庭内の権力に至るまで、権力の本質は変わらない。この本質をよく考えれば、権力を握る事より、権力を維持する事の方が難しい、という事が理解できる。

権力の本質を深く考えれば、権力者に取って一番重要な事は、【権力をどう使うか】と言う点にある事が理解されるだろう。【帝王学】とは、権力をどう使うか、というノウハウを教える事である。

そういう意味で【権力を使う】人間は、何のために権力を使うか、という明確な理念と誰にでも理解できる説明能力と権力を行使される人々の心理に通暁していなくてはならない。そうしないと、主観的にどんなに人々のためだと思っていても、権力を使われる側は、そうは思わない。その意味で権力者は、人間心理の達人である必要がある。

翻って、現在の安倍政権の権力行使を考えて見よう。
安倍首相が繰り返す【首相である自分がそういうのですから、間違いない】という発言から類推できるのは、彼が権力の持つ【デーモン】=【悪魔的誘惑】に取り憑かれている事が良く分かる。
【法的安定性など関係ない】と発言した磯崎補佐官などは、丸ごと権力の持つデーモンに取り憑かれている。彼を見ていると、「権力への憑依現象」をおこしているのではないかとさえ思われる。

実は、安倍首相やその背後の日本会議などの国粋主義・国家主義連中の多くは、【国家】と【個人】を直通させ、【国家】と【個人】の間の【社会】を無視したり、軽んじる。その為、【国家】の事を真剣に考えている(志がある)人間の行為は、多少社会的規範を外れていても(時には法規範を外れても)、それは志に免じて免罪できる、という発想に取りつかれがちである。戦前の右翼壮士たちの多くは、この種のタイプが多かった。

戦後民主主義は、戦前の反省の上に立ち、【社会】=【世間】を重要視して、他者や社会への迷惑を考えない人々を批判する風潮を作り上げてきた。現在、世界中の観光客から称賛される日本流の「おもてなし」「交通マナーをはじめとする集団的マナー」などは、この【社会】を大事にする発想から生み出されている。
この日本的慣行は、その多くは農村共同体的感性から生み出されている。1960年代、農村共同体が上げ底になって以来、その実態は失われつつあるが、精神として日本人のDNAに残っている。

しかし、21世紀に入って以来、新自由主義的弱肉強食の風潮が主流になるにつれ、社会を大切にする社会的気風が失われつつある。
【おれおれ詐欺】に代表される現在の日本の変質は、この日本的【社会】の崩壊が大きな要因になっている。

安倍政治の最大の問題点は、【日本を取り戻す】などと称して、戦後日本の最大の動力であった【社会】を根底から崩壊させている点にある。このイデオロギー的背景にあるのが、新自由主義的【市場原理主義】である。

もう少し、具体的に言うと、政治・官僚・財界・メデイア・米国とグローバル企業がタッグを組んだ支配体制が主導するイデオロギーが日本を席巻している。この体制にくさびを打ち込んだ民主党政権(鳩山・小沢政権)は、文字通り革命的政権だった。そのスローガンである【国民の生活が第一】は、日本の支配体制(政・官・業・メデイア・外国企業)に対する見事なアンチテーゼだった。その為、彼らの総力を挙げた反革命キャンペーンに鳩山政権は瓦解した。同時に、その中心である小沢一郎もその政治的影響力を失った。
その結果、現在日本は戦後最低の政権である安倍内閣の恣意的政権運営で、日本崩壊の瀬戸際に立たされている。

『覆水盆に返らず』。失ったものを嘆いても始まらない。今、わたしたちが肝に銘じておかなければならないのは、本当の意味での法治主義国家、立憲主義国家の再生である。
間違っても、鹿を馬と言い張る馬鹿に権力を任せてはならない。




 
0003 維新の分裂騒ぎと山口組分裂騒ぎ報道の狙い 流水 08/31 09:34
 
維新の会が実質分裂した。27日、橋下と松井が離党すると発表。昨日は、橋下市長は、維新の会の大阪の国会議員は離党しないように説得。安保法案の重要性を強調した。ところが、今日は、大阪維新の会は、全員離党、改めて、国政政党として出発するという。
橋下が嘘つきである事はよく分かっていたが、政治活動から引退するという前言も取り消し、離党はしないと言いながら、今日は離党。これだけ言う事がくるくる変わる政治家も珍しい。

何故、今なのか。御用評論家どもがしたり顔の解説をしているが、本当の理由は一つしかない。
8月30日の国会前反安保10万人デモ報道ニュースを薄めるため。31日のTV報道を見れば、如何に30日の国会前デモニュースの量が少ないか、一目瞭然。報道管制か報道自粛かしらないが、かなりの圧力がかかっているとしか思えない。

しかし、何も大きなニュースがないのに、報道をしないとあまりにも不自然。だから、無理を承知でニュースの材料を提供した。それが維新の会の分裂騒ぎというわけだろう。
30日の大デモは相当前から告知されており、政権側は菅官房長官を中心にそれに対する対抗策を練っていたに違いない。
維新の松井大阪府知事や橋下市長などに相当な根回しがなされていたと想像するのが自然。
橋下や松井は、維新分裂を主導し、政権に恩を売った、というわけ。
橋下が言う事をくるくる変え、前言を撤回したのも、出来るだけインパクトを強め、ニュース価値を高める計算に基づいたパフォーマンス。

しかし、これだけでは、所詮野党内の内輪もめ。ニュース価値もそれほど高くはない。もう少し、インパクトが必要。それが、山口組の分裂騒ぎというわけ。おそらく、この分裂騒ぎ警察は相当以前から掴んでいたに相違ない。30日の反安保10万人デモの衝撃を弱めるための発表のタイミングを図っていたのだろう。

維新分裂騒ぎと山口組分裂騒ぎ、この二つが重なると相当なインパクトがある。しかも、この二つの分裂騒ぎ。山口組も維新の会どちらも創業者側が権力を失い、それを奪還するための分裂騒ぎだという共通点がある。権力に取りつかれた『人間の業』がよく分かる騒ぎで、興味をそそられる。橋下という欲望の塊のようなキャラクターは、こういう騒動にはぴったり。これが、ニュース価値を増幅したというわけ。まあ、政治家もやくざも権力を利用して、利権を独り占めしようという剥き出しの欲望の持ち主であり、それを獲得するためには、手段を問わない。やくざ流にいうなら戦争、政治家流にいうなら抗争も厭わない。というより、そういう事が大好きなのが、やくざや政治家である。

政治という世界。どんなに美しく魅力的な絵を描いても、それを実践するためには、何が何でも権力を掌握しなければならない。権力を掌握するためには、泥水も呑まなければならないし、綺麗ごとだけではやっていけない。

本当の意味で魅力的な政治家は、『蓮の花』のような存在でなければならない。一言でいえば、美しい花は、泥水の中から生まれるというわけであろう。

問題は、大半の政治家は、泥水に慣れて、『蓮の花』を咲かせないと言う点にある。最初から持ち合わせていない人間も多数いる。そうなると、あるのは、武藤議員のような『お前たちはルールを守れ。俺は別だ』という剥き出しの権力欲のみということになる。こういうのを本当の『OUT OF LAW』という。
これでは、やくざと政治家の相違点など見出せなくなる。山口組の分裂騒ぎと維新の分裂騒ぎが同じに見えるのも無理はない。
だから、合わせて報道することにより、30日デモのインパクトを弱めたのであろう。
 
0004 橋下騒動とNHK・産経・読売報道 流水 09/01 14:54
 
昨日も指摘したが、8月30日の反安保デモの衝撃は、相当なものだと考えてよい。
反安保デモに対する読売・産経・NHKの取り上げ方を見れば、その衝撃の大きさが分かる。

次のブログに掲載された読売新聞と東京新聞の一面記事を比較すれば、読売新聞はもはやジャーナリズムとしての矜持もプライドも投げ捨て、政府の広報誌になり下がっている事がよく分かる。
http://ryuma681.blog47.fc2.com/blog-entry-1534.html

産経新聞も似たようなものだが、今回の読売はあまりにも酷過ぎる。彼らにとっての『言論の自由』『報道の自由』『表現の自由』とは、政府=権力にとって不都合な事実・不都合な真実は、決して国民に知らせない【自由】を意味しているようだ。
NHKが政府にとって不都合な審議を放送しないのと同様、読売も産経も不都合な事実・真実には、『見ざる・聞かざる・言わざる』を貫いているのだろう。

「頭隠して尻隠さず」という諺があるが、彼らが隠したい真実は、現在ではネットや動画でいくらでも入手できる。現代は、物事をそう簡単に隠蔽できない。

と言う事は、普通の常識と能力のある人間は、隠蔽する事に莫大な労力や費用を使うより、事実や真実を公開する事により、人心を掌握する手立てを考える方が得。営業の達人が異口同音に語るのが、『誠実と正直』こそが人々の信頼を勝ち取る最大の武器だと言う事。徒手空拳で生きるジャーナリズムにとって、読者や視聴者の信頼こそが全て、だという事を忘れ果てている。

ところが、安倍政権と翼賛メデイアなどは、『誠実・正直』から最も遠い存在。何故そうなのか。理由は簡単明瞭。【自分たちの本音を知られたくない】【うまい事騙したい】というきわめて不純な動機にからめとられているから、説明すればするほど、論理がおかしくなり、支持率が落ちてくるのである。菅官房長官の言う事と正反対で国民は【誤解】しているのではなく、『真実をよく理解し、見抜いている】から、反対運動が増加する一方なのである。

さらに悪い事に、橋下新党結成騒動は官邸・御用メデイアなどすべて気脈を通じた出来レースだと言う事が見え見え。たとえば、デモは取り上げない読売・産経は橋下発言を積極的に取り上げる。橋下は橋下で「12万人集会に「たったあれだけの人数で国家の意思が決まるなんて民主主義の否定」とのたまう。この発言が、物議を醸す。物議をかもせばかもすほど、デモの意義を薄れさす。すべて計算づくでやっている。狡猾で悪達者な芸人政治家である。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/3a41c285bc674a79285e9bf7cfaabd99

多少なりともこの間の政治状況を知っている人には、あまりにもアザと過ぎて吐き気を催す。
あまりのいい加減さに、ついに京都新聞が厳しく批判。多くの識者が自分の言葉に責任を持たない橋下を批判している。

実は翼賛メデイアにとってこれは致命傷。事実や真実を捻じ曲げ隠蔽するだけでなく、国民を意図的に騙し、煽動しようとする新聞やTVを誰が信頼するか。誰が金を出してまでそんな新聞を取るのか、という問題である。一度は騙せても何度も人は騙せない。だから、NHK・読売・産経・その他読売などの系列局のニュースなど今やその信頼度は地に墜ちている。お笑い芸人などを起用して、視聴率稼ぎに汲々としているが、その姿勢が見え見えで、ますます信頼を失う。
先日東京で止まったホテルで無料の新聞を配布していたが、読売・産経だった。無料でも読みたくない新聞になり下がった二つの新聞社に未来はない。

人でも組織でも、その仕事に対する基本がある。その基本を忘れたら、仕事それ自体が信頼を失う。ジャーナリズムにとっては、たとえ自分が不利益を被っても、国民に事実・真実を伝える姿勢こそが1丁目1番地だろう。それ以外に国民の信頼を勝ち取る術はない。

読売が、反安保デモの事実すら報道する事すら出来なかったのは、自らの腐敗した姿勢に対する恐怖が先に立ったのだろう。彼らは追い込まれているのである。
 
0005 Re:  政権ウォッチング(第十三期)   べごおじ 09/05 07:53
 
参院 「安保法制特別委員会」の政府答弁が 大きく揺れて 「速記を停めて・・」の連発、或は 長々と焦点からズレタ答弁が続き 質問者の時間に食い込んだり 内容の審議がないのに 時間ばかり経過していきます。

地元紙、秋田さきがけ新報で 紹介されたサイト

「安保法案の論点の整理」

http://anporonten.jp

筆者のブログ

http://anporonten.blog.fc2.com/blog-category-2.html

で筆者が拡散するよう呼びかけていますので よろしくお願いします。

ご本人が、9月2日までに 参院議員160名、衆議院議員300名にメッセージを発したと ブログに書いております。是非 ご一読ください
 
0006 新国立競技場と五輪エンブレム問題に見る無責任体制 流水 09/08 11:31
 
よくもまあ、これだけ問題が噴出するものだ。あまりの不祥事の連続に東京都民ならずともあきれ果てて言葉もない。

しかも、誰ひとりその責任を取らない。組織委員会の事務方の中心(実質NO2)の元財務次官武藤などは、責任追及はしないと言い放つ始末。
東京都知事の舛添要一自身が、『無責任体制』が最大の問題だと言い放つ始末。開催都市の首長が、誰が責任者か分からないという。

そう言えば、わたしも何度か指摘したが、福島の大事故でも、東電関係者、経産省、原子力委員会など誰ひとり責任を取っていない。

この国の為政者やエリートたちは、責任を取るという言葉を知らないようだ。そのくせ、人の失敗を責める事には熱心。支配層がここまで腐敗堕落すると、世間が腐敗堕落するのも無理はない。中国支配層の腐敗堕落を指弾する前に自国の支配層の腐敗堕落を糾弾しなければならない。これでは、巷で【おれおれ詐欺】が横行するのも無理はない。
一体全体この国はどうなってしまったのか。

丸山真男は、東京裁判とニュールンベルグ裁判の比較分析から、第二次大戦の最大の要因を戦争指導者や官僚たちの【無責任体制】に求めた。(超国家主義の論理と心理)
山本七平は、その要因を【空気】に求めた。

歴史家磯田道史は、このような戦前エリートの劣化の道を明治維新以降三期に分けて考察している。(昭和史大論争・・「戦前エリートは何故劣化したか」 ・・文芸春秋社)

それによると、・・・・・

第一期⇒明治維新の志士で明治新政府の創設に貢献したエリート⇒西郷隆盛・大久保利通・伊藤博文・山縣有朋・西郷従道など。

第二期⇒慶応年間から明治初めに生まれ、江戸時代の生き残りに育てられたエリート⇒秋山好古・秋山真之・正岡子規・夏目漱石などいわゆる【坂の上の雲】時代のエリート

第三期⇒明治の半ばから終わりにかけて生まれた世代。⇒東条英機・近衛文麿・広田弘毅・重光葵・米内光政など。

第一期の特徴 ⇒少数・出身は武士・最大の特徴は、試験で選ばれた人材ではない。※選抜試験は、戦場などから生きて帰る事。
【郷党の論理】(地域内であいつは学もあるし人柄もいい)で選抜される。
物事を一から構築する『総合知』に優れている。
統治者としての知識と経験、村や藩、ひいては国家全体への責任感を持っていた。⇒統治者としての武士階級が培ってきたもの。

第二期の特徴⇒高度な専門知を持っていた。(明治新政府は、世界に類をみないほど、徹底的な身分制度の否定を行い能力主義の導入を行った)第一期エリートたちの目標(富国強兵・殖産興業)を実現するためのテクノクラートの養成⇒外国語の習得 ※第二期の特徴は、明治維新という大変革をまたいで、新旧二つの時代を生きた。時代が、彼らを急速に成長させた。(司馬のいう坂の上の雲)が実感できた世代。 秋山真之の言葉「わたしが一日怠ければ、日本が一日遅れる」というエリートとしての強烈な自負と責任感が実感できた時代。
(想像して見てほしい。明治期に現在使用されている西欧起源の言語が、日本語に訳された。秋山は、自分が訳した軍事用語が、後々日本軍隊の中で使用される事が分かっていた。良い加減な事はできない、という責任感が生まれたのも当然であろう)

国家に対する責任感と統治に関する総合知に優れた第一世代と外国語を使いこなし、専門知に優れた第二世代とのタッグは最強でした。これが最大限に発揮されたのが、『日露戦争』でした。

ところが、第三期になるとそれが劣化します。磯田に言わせると、「満州事変から敗戦にいたる日本は、運転手がよそ見をして、ハンドルから手を離していたため、崖から海へ転落した車』だ言う事になる。

何故、そうなったのか。

磯田は以下のように分析している。

●明治維新政府の徹底した能力主義⇒@肯定面⇒あらゆる階層に立身出世の希望が生まれる(末は博士か大臣か)⇒社会の活性化
A否定面⇒エリートが筆記試験の成績が優秀な、学校秀才の集団になる。◎人材の多様性が失われる⇒危機に弱い ◎筆記試験に優れた秀才に画一的教育を施す⇒専門知には優れているが、総合知に欠ける。

●第二期エリートたちの出身母体⇒武士階級か庄屋階級が多い⇒肌感覚で統治者としての総合知を持ち合わせていた。⇒第三期は、他の階級出身者が増加・
肌感覚としての総合知を持ち合わせていなかった。⇒全体への責任感が失われがち。⇒「お国のため」「天皇のため」というお題目を掲げ出世すれば、金も女も手に入る。私利私欲を満たす事ができる。⇒それを目標にしたエリート層が生まれる。※夏目漱石「帝国大学は今や月給とりをこしらえて威張っている」

●日本陸軍の教育のいびつさ⇒トップすべてスペシャリスト(専門知)になるように教育。ゼネラリストとしての総合知を備えた人材育成が失われた。⇒危機に対する感度が希薄。

●明治政府指導者たちが持っていた切迫感・緊張感の弛緩⇒日露戦争の勝利と外国の知見が、ある程度日本語で身に着く時代になり、第二期エリートたちのような必死さが希薄になった。・・・・・・

この磯田の分析は、きわめて説得力がある。総合知が欠落したエリートは、『危機』に対する感度が鈍い、というのは、洋の東西を問わず、時代を問わない。
私自身も何度も経験した。「荒れる中学」の時代、危機に対する感度の鈍い上司に何度泣かされたか。
【実践なき組織は官僚化する】という格言は、何も軍隊だけではない。あらゆる組織に共通する。

実は、明治維新(1868年)から七十年後は、1938年。日中戦争が始まっており、太平洋戦争まで後3年。第三期エリートたちの暴走が顕在化した時代だった。

戦後七十年。戦後の焼け野原からの復興を担った戦後第一世代、GDP世界第二位まで押し上げた技術立国を支えたテクノクラート第二世代。
経済的豊かさしか知らない第三世代へと時代は転換している。

第一・第二世代に共通しているのは、『二度と戦争はしてはならない』『平和こそ最高の善』という価値観だった。磯田の分析に従うなら、徹底的なテクノクラートでありながら、総合知としての『平和主義』は、血肉と化していた。
日本国憲法は、戦後第一・第二世代の歴史に対する向き合い方の象徴だった。

しかし、現在の第三世代エリートたちの『時代への危機感の無さ』『平和主義に対する懐疑』『自らの仕事に対する無責任さ』は、目を覆わんばかりである。

特に安倍晋三やその背後にいる『日本会議』を中心とした歴史修正主義者たちの歴史に対する盲目さは、修復不可能に思える。磯田の言う「よそ見をし、ハンドルを手放し、崖から車を転落させた」第三期エリートたちを祀り上げる歴史の教訓に対する鈍感さは、どうしようもない。

しかし、戦前と違う現代と言う時代の救いは、反安保デモに象徴される『平和を叫び』、軍国主義化に抗する人々の叫びと存在である。
戦後民主主義の最も良質な精神の継承者たちが、ここにはある。

わたしたちは、テクノクラートとしては優秀かも知れないが、統合者としての『総合知』が全く欠落したエリートたち(支配層)をきちんと見抜き、徹底的に批判しなければならない。新国立競技場や五輪エンブレム問題、安倍政権による解釈改憲(立憲主義の否定)、TPP交渉に象徴される売国的姿勢などなど一連の暴政・悪政は、同じ要因から生じている事をきちんと認識すべきである。彼らをこのまま放置したら、日本は間違いなく沈没する。シリア難民の悲惨な姿は、明日のわが身かも知れない。




 
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