護憲+ 第2期 ホームページ   非公開掲示板   ドキュメント用BBS   [投稿規定]   護憲+掲示板過去ログ(1) 護憲+掲示板過去ログ(2) 護憲+掲示板過去ログ(3) 護憲+掲示板過去ログ(4) 護憲+掲示板過去ログ(5) 護憲+掲示板過去ログ(6) 護憲+掲示板過去ログ(7) 護憲+掲示板過去ログ(8) 護憲+掲示板過去ログ(9) 護憲+掲示板過去ログ(10) 護憲+掲示板過去ログ(11) 護憲+掲示板過去ログ(12) 護憲+掲示板過去ログ(13) 護憲+掲示板過去ログ(14) 護憲+掲示板過去ログ(15) 護憲+掲示板過去ログ(16)

護憲+ 公開用BBS

  [新規スレッド作成]   [スレッド一覧]   [▼ラスト]   [リロード]   [記事検索]   [利用の手引き]   [大文字画面]    

⇒ 新着スレッド(10件)     (月/日) 【連絡事項】 蔵龍隠士10/16 16:40
メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと(第十八期)07/31 09:32 どんぺりを飲みながら(第十八期)04/15 17:23
明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術(第十八06/26 09:55 聖火リレー強行スタート03/25 14:59
新聞記事などの紹介(第十八期)06/19 01:31 コラムの感想(第十八期)03/07 22:09
政権ウォッチング(第十八期)05/10 13:05 マスコミ報道を批評する(第十八期)08/01 02:54
イベントの紹介(第十八期)05/06 15:41 安全・外交政策を考える(第十八期)08/01 02:53
  政権ウォッチング(第十八期)
笹井明子    −    2020/08/01 02:58:26
現政権の政治姿勢、政治手法、政権運営、目指すところを検証・批判し、対抗手段を提示しましょう。
0001 政権ウォッチング(第十八期) 笹井明子 08/01 02:58
 
現政権の政治姿勢、政治手法、政権運営、目指すところを検証・批判し、対抗手段を提示しましょう。
 
0002 安倍院政の始まり 厚顔 08/29 22:45
 
昨日の安倍首相の辞任記者会見を見たが、過去に体調を崩し首相を辞任したと方々は辞任と同時に入院だったように思う。そのような意味では大事を採って、余力を残しての辞任であろう。

そして会見では辞任後も積極的に政治に関わり、憲法改正への執念も垣間見えた。また後任の自民党総裁選び方は全党員による選挙か両院議員総会での選挙かは幹事長に一任のようである。それに対して幹事長は総務会で決定すると言っているが、早く総裁総理を決め政治空白を避けたいとの理由で両院議員総会での選挙の意向のようである。総務会での賛否も折り込み済みなのであろう。

そうなると一強と言われている安倍現総理総裁の下での総裁選である以上 、石破氏、岸田氏が立候補したとしても自派閥だけの数となり勝負に成らない。結局安倍現総理が無念にもやり残したことを閣内で熟知して取り組んでくれる意中の人が断然有利である。これでは形式的な自民党総裁選であり、現総裁の任期が切れる来年10月までは安倍現総理総裁の院政が敷かれる可能性が高い。

石破氏、岸田氏は今回の総裁選が両院議員総会で議決されるのであればどうもがいても勝算はない様に見える。ならば今回は立候補を見送り党員全員で行われる来年の総裁選で勝負すべきであろう。いずれにしろ安倍院政が続けば勝ち目は見えない。そして安倍院政の終わりは次期衆議院議員選挙で自民党が数を選らす時という皮肉な結果待ちである。野党次第であるが、しかしその可能性は高い。
 
0003 面白うて やがて悲しき 鵜飼かな (芭蕉) 流水 09/15 16:41
 
(1) 茶番劇

東西、東西!と華やかに鉦や太鼓が打ち鳴らされ、緞帳が上った瞬間に劇は終わっていた。全ては幕の裏側で行われ、観客は貧相な男の見栄を切る姿を見ただけ。
 
これを見た演劇評論家どもは、素晴らしい演技だともてはやす。TVなどは、一日中愚にもつかない楽屋話やじつはこうだったという内幕話を垂れ流し、愚民たちの洗脳に躍起。

安倍坊ちゃんが政権運営に行き詰まり(最大の要因はアメリカの要求⇒対中国への強硬姿勢強要⇒日本経済の地獄への転落を意味する)、ポンポン(お腹)が痛くなり、「ぼくちゃんは、もうやめた!」と二度目の政権投げ出しをした。

そうは言っても、「次の首相に石破がなって、ぼくちゃんの悪事を暴かれたら、困つちゃう」「菅なら、ぼくちゃんを、石破のようには追い込まないだろう。」

二階にしてみても、「俺はもう年だ。元気なうちに息子に後を継がせたい。それにはどうしても幹事長の権力が必要だ。それには、安倍政権内で浮き始めた菅を取り込むのが一番。岸田はかっこしいだが、度胸も腕力もない。石破は、理屈が多くて、面倒くさい。菅に勝てるわけがない」と二階・菅連合を組み、総裁選の流れを決定した。

他の派閥の領袖も同様。菅の粘液質の底意地の悪さ(沖縄に対するやり口や官僚に対するやり口など)は百も承知。下手に奴に逆らうと、間違いなく冷や飯を食わされる。それならば、奴に恩を売って、主流派になったほうが得だと考えたに違いない。

かくして、幕が開く前に芝居は終わっていた。

(2) 安倍政治の一つの結末
 
安倍政治の総括については、様々な論点を論じなければならない。これらはまた稿を改めて論じるとして、今日は安倍政治の一つの局面を論じる。

先日、七年ぶりに【先進国の子どもの幸福度ランキング】がユニセフから発表された。
http://www.unicef-irc.org/publications/pdf/rc11_in_japanese.pdf

日本は身体的健康度は1位。精神的幸福度は37位。能力は27位。総合的に評価すると、日本は38ケ国中20位。七年前は、少し違う尺度だったが、「子どもの幸福度」は、6位だった。

安倍政権の7年半の結末⇒子供の幸福度が6位から、20位に転落した。

ついでにもう一つショッキングな数字をあげる。

日本の子供の貧困ギャップは31ケ国中26位。
http://www.unicef-irc.org/publications/pdf/rc11_in_japanese.pdf

※貧困ギャップ
貧困ラインと貧困ライン未満の世帯の世帯所得中央値との隔たり(貧困ライ
ンに対する割合)(%)

▶ 日本は31 カ国中26 位にランキングされている。これは、貧困状態にあ
る子どもたちの割合が高いだけでなく、貧困の程度も深刻であることを示
している。

以前にも何度か指摘したが、【社会の矛盾は、社会の最も弱い層に最初に現れる】。ユニセフが公開した日本の子供たちのショッキングな数値は、日本社会の矛盾の表現である。

自民党総裁選であろうが、野党の総裁選であろうが、世界に公表されたこういう数値を深刻に受け止め、それに対する具体的な施策を提示し、真剣な議論を経て総裁を選出するくらいの見識を示してほしい。

こういう議論を口角泡を飛ばして真剣に議論するのを【青臭い】と言わんばかりの田崎のような電波芸者が幅を利かせているこの国の言論状況を憂う程度の見識がなければ、この国は本当に沈没してしまうだろう。

「石破は他の政治家と飯を食わないから嫌われる」などという下世話で分かりやすい解説がまかり通るようでは、それもまた絶望的だろう。

昔、吉本隆明が純文学者と大衆文学者(例として、山手樹一郎)を比較して、大衆文学者の【悪達者な文体】として評価していたが、わたしは田崎にも同じ匂いを感じる。悪達者と言うか、悪辣というか、その軽妙な語り口に対抗できるコメンテーターがあまりにも少なすぎる事を憂う。

※山手樹一郎⇒桃太郎侍、夢ノ介千両みやげ、浪人市場など多数の大衆小説を書いている。

面白うて やがて悲しき 鵜飼かな 

船のかがり火に照らされた芭蕉の顔の陰翳がさらに濃くなる気がする。
 
0004 【自助】をスローガンにする新自由主義政権に対峙する思想 流水 09/17 16:45
 
1、序章 (無責任政治の継承)

菅政権が誕生した。
スローガンは、自助・共助・公助・絆だそうだ。

菅個人の信条ならば、いくらでも「自助」を叫べば良い。
しかし、内閣総理大臣が国民に向かって「自助」を叫ぶのは間違っている。

何故ならば、政治の仕事は【公助】以外にない。
何はさておいても、【公助】の内容を語り、どうしても漏れる部分について、「自助」「共助」による国民の協力をお願いする、というスタンスでなければならない。

真っ先に「自助」を語り、「共助」を語る、というのは、最初から、政治の責任を回避する姿勢であり、「自助」に名を借りた弱肉強食社会の推奨に他ならない。

この姿勢から見える事は、菅政権は、安倍政権と同じく、弱肉強食をテーゼにした新自由主義的政策を志向する反国民的政権である事は明白。

「面白うて やがて悲しき 鵜飼かな」で指摘した「子どもの幸福度」が6位から20位へ転落という安倍政権七年半の実態を、さらに推し進めようという悪魔のような政権の誕生である。

わたしたちは、菅政権の政治思想に対峙しうる【公助】を主体とした政治思想を再構築しなければならない。

理由は明確。
「自助」⇒「共助」⇒【公助】の思想からは、政治の「責任」という視点が希薄になる。国民の貧困は、「自助」努力が足りない「国民」の責任と言う論理がまかり通る。

安倍政治七年半で「政治の無責任」を嫌というほど見せつけられた国民たちは、まだ【無責任】を我慢するのだろうか。

菅政権の安倍政権の継承とは、【政治の無責任】の継承だというきちんとした認識が必要である。

2、過去の帝王学とは何か!

【貞観政要】という書物がある。
戦前には、官僚の必読書とも言われ、エリートの必読書の一つだった。

【貞観政要】は、唐の歴史家・呉兢(ごきょう)が著した本。
「貞観」は、唐の太宗の時代(627 年〜 649 年)の年号。唐時代で最も平和で安定した社会とされる。太宗の没後50 年ぐらいのころに、その政治に関する言行、群臣との問答などをまとめたもの。

日本には、800 年ごろ、遣唐使により伝わる。
北条政子がこれを和訳させて愛読したといわれ、徳川家康が印刷・出版させたとされる。
以前にも紹介したことがあるいわゆる【帝王学】の典型的な教科書とされる。

日本でも多くの指導者、官僚、学者が研究してきた。政治家だけでなく、企業の経営者など多くの指導的立場にある人間にとって、必読の書でもあった。

戦後の日本では儒学などは敬遠されており、忘れられた存在になっていた。
戦前に人格形成を終えていた昭和時代の政治家や、かれらの薫陶を受けた平成の一部の政治家では、【貞観政要】的帝王学は継承されてきたが、現在の自民党政治家たちには、もはや死語に近いのではないか、と考えられる。

安倍政権が終焉を迎え、菅政権が始まろうとしているが、安倍政権の七年半の功罪を【貞観政要】的視点で評価する事は、政治の腐敗堕落を防ぐ大きな手段になる。

【貞観政要】では、臣下の諫言とそれに対し心を開く君主の姿勢が重要である、と何度も強調されている。

菅首相が、政府の方針に反対する官僚は止めてもらうという姿勢を明確に打ち出していたが、どうやらそれが「ヒラメ官僚」の大量跋扈を招き、忖度をする官僚だけが出世するという【貞観政要】が最も戒める結果を招いているという視点が全く欠落している。

※行き過ぎた“官邸主導”の弊害【報道特集】 【報道特集 2020年9月12日放送より】 http://youtu.be/nNCO0KPI0ow 
@YouTubeより

菅首相は官房長官としてその中心にいた。彼の発言にはその反省はない。
安倍政権の負の遺産をそのまま引き継ぐという事なのだろう。

菅氏は日本の首相になったかも知れないが、1000年以上にわたり「帝王学」として学び継がれた【貞観政要】の中心の教えを否定するほどの逸材なのか。結果が示してくれるだろう。

では、【貞観政要】の中身を少し紹介しよう。
🔷「兼聴と偏信」
◎ 「兼聴と偏信」とは何か

皇帝太宗の問い⇒「明君と暗君の違いは何か」
側近魏徴(ぎちょう)の答え ※魏徴(ぎちょう)はこの本の諫言の中心人物
      ↓
明君は、多くの人の意見を聞いた上で判断をします。
他方、暗君というものは、一方の人の言うことだけを信じるからであります。古典の詩経にはこんな言葉があります。『昔の賢者が言うには、薪を採るような身分の低い者の意見も聞くものだ。』・・・

一部の人間の意見だけを取り上げず、多くの人の意見を聞いた上で判断するという思想は、民主主義の基本中の基本。
魏徴という人物は、「人は間違う」という単純な事実をよく理解していたと思われる。

🔷 上司と部下(君は舟、人は水)
◎ 太宗の述懐
  ・・・・・・・・・・・・・・
古来の帝王をよく観察するに、盛いがあるときがあれば衰えるときもあるのは、まるで一日のうちで朝があれば日暮れがあると同じようなものだ。ただ、衰えるというときというのは、必ず臣下が君主の耳や目をおおってしまって正確な状況がわからなくなっていて、君主が善悪の判断がきちんとできないことから始まる。

忠臣はだまって何も言わず、その一方で、心の曲がった、おべっかのうまい者ばかりが、日増しに君主のそばにいるようになる。そのような状態になれば適切な判断がなされず、国が滅亡してしまうことになるのは当然である。

わしは、宮中の奥深くに居るようになってしまっているから、天下の出来事のすべてを知り尽くすことはできない。それゆえ、その任務をそちたちに分担して任せ、我が耳や目の代わりとしているのである。・・(中略)・・・・・・

天子というものは、立派な道徳を持っていれば、国民は敬意をもって君主としてあおぐ。ところが、道に外れれば、国民の心は離れ、君もその地位を失ってしまうようになる。ほんとうに恐るべきものである」。
・・・・・・・・・・

実は安倍政権の退陣の裏には、上記のような「情報の目詰まり」があった。
「耳障りの良い情報」「おべんちゃらのうまい官邸茶坊主の跋扈」などで、耳に痛い情報が入らず、情勢を見誤ってしまったという側面があった。「不都合な真実」の隠蔽は、権力の常套手段だが、同時に権力の瓦解も隠蔽によってもたらされる。

コロナ問題は、真実の情報が入らないと、的確な対処ができない。感染症は、忖度してくれない。ところが、専門家委員会や厚生官僚などが真実の情報を提示していたとはどうしても思えない。

安倍政権の行き詰まりの最大の要因は、首相や首相官邸が「裸の王様」状態になっていたのではないか、という疑いは拭いきれない。真実とは言えない情報や、忖度された情報だけで政策決定すると必ず間違う。
何故こうなったか、という真摯な反省がなければ、この問題は克服できない。

ところが、菅政権では、悪名高い4人の官邸官僚は全て留任だと報道された。

・・自民党の菅義偉新総裁は、官僚トップの杉田和博官房副長官、菅氏側近の和泉洋人首相補佐官、外交安保政策を取り仕切る国家安全保障局(NSS)の北村滋局長を再任する意向だ。安倍首相側近の今井尚哉首相補佐官兼秘書官は内閣官房参与に起用する方針だ。・・・毎日新聞

これでは菅政権が安倍政権の傀儡だという批判に抗しきれないだろう。
実は、安倍政権の政策決定は、菅官房長官と官邸官僚の合作によるもので、これが最終的には【裸の王様】情況を招いたのだと考えられる。
菅首相は、傍観者ではなく、安倍政権行き詰まりの当事者であり、責任者である。

その菅首相に、それを壊して、再構築する度胸も能力もないと考えるのが至当だろう。

🔶「創業と守成」

◎太宗の問い
「帝王の事業の中で、国を創りあげることと国を維持すること、どちらがより難しいといえようか」

◎側近の答え

▽房玄齢(ぼうげんれい)の答え
※房玄齢⇒太宗の重臣、杜如晦と共に唐の制度の基礎を築いたといわれた。

「この国を創り上げるときを思いだしましても、天下が乱れ群雄割拠する中、それらの強敵を次々と打ち破っては降参させ、大変な苦労の末戦争に勝ち、やっと天下平定をなしとげました。この大変さを思えば、国を創りあげることの方が難しいと思います」

▽魏徴の答え

「帝王が起こるときというものは、必ず前代の極度に衰え乱れた世の後を受け、それを平定して鎮めるということで、人民たちも新たな王を敬い従います。その意味で、その地位は天が授け人民が与えたもので、それほど困難なものとは思われません。

しかし、政権を獲得した後は、ついつい権力をかさに気ままなことをしがちになります。帝王のぜいたくのために人民たちを容赦なく労役に用いたりしてしまうものです。
国がまた衰えて破滅するのは、常にこういうことから起こります。
この点から言えば、いったん完成されたものもしっかり維持して行くことの方が難しいと思います。」

★太宗の言葉

「たしかに房玄齢は、その昔、私に従って天下を平定するに当たって、艱難辛苦を経験し、ほとんど絶体絶命の危機を幾度となくくぐり抜けてこの国創りに貢献した。創業の難しさを実際に体験している者ならではの言葉である。

一方、魏徴のほうは、私と共に天下の安定に心をくだき、わしにわがままかってや、おごり高ぶる心が少しでも起こって、国の滅亡につながってしまわないようにと日々心配してくれている。維持することの困難さをよく知っている者ならではの言葉である。

さて、今や、創業の困難は、過去のものになったと言えよう。皆と力を合わせて、維持していくこと難しさを心得ながらこれからの政治に当たって行かねばなるまい」。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

安倍政権七年半の功罪は多数あるが、最大の罪は、太宗の言う「最高責任者のわがまま勝手やおごり高ぶり」が国を滅ぼす、という認識が決定的に欠落している点であろう。

森友・加計問題、桜問題、公文書改竄問題などなど、この国の道徳・倫理の根本が問われる問題が噴出しているのは、太宗の認識が完全に欠落しているからであろう。

国の根本が虚偽にまみれているという疑いは、国家や社会、国民の倫理道徳の腐敗を招く。嘘がまかり通る世の中が、発展するわけがない。虚偽の統計で作り上げられた国家運営など、それこそ【砂上の楼閣】である。

何度も言うようだが、【魚は頭から腐る】。

【貞観政要】のごく一部を紹介したが、人々の指導的立場に立つ人は、普通の人間以上の学識とモラルが求められる。中国にしろ、日本にしろ、昔の人はその事を痛いほど理解していた。「帝王学」はそういう指導的立場に立つ人に対し、常人以上の認識と判断力や配慮と気配りを求め、自らの責任に対し、厳しい姿勢を貫かねばならない、と言う事を要求している。

日本の武士道、西欧の騎士道、英国の「Gentleman Ideal」などもその一つ。これらの教えの共通点は、常に指導的立場の人間に対する要求である事に共通点がある。
一言で言えば、指導者としての【責任】の認識である。

「自助」・「共助」・【公助】・「絆」などをスローガンに掲げると言う事は、指導者や国の責任に対するエクスキューズを認める事だという厳しい認識が全く欠落している。

国の指導者がまず考えなければならないのは、【公助】以外にない。【公助】を真剣に考えるからこそ、他者の意見を聞くし、その結果判断した政策に対する自らの責任を厳しく問う事になる。

新自由主義的国家観の最大の欠陥は、指導者の「責任」の観点が完全に欠落しており、悪いのは全て「個人の責任」という「無責任」論理に陥りやすい点にある。

3、現代の指導者のあり方

🔶「人は間違う」

現代社会のように、専門性が高くなり、利害関係が複雑に絡み合っている社会では、一人の人間の判断では、必ず間違う。
「多くの人の意見を聞く」必要性は、さらに高まっている。
特に、専門家の意見を聞く必要性は、過去の社会とは比較にならない。

そこで指導者に求められる資質は、本当の意味での【総合的判断能力】である。

【総合的判断能力】を養うのに最も必要な能力が、【概念化能力】。

官僚たちの得意技は、抽象的文言を具体的な事象に落とし込むやり口だが、これは官僚たちが一般の人々より具体的物事を「抽象化」する能力に優れているからである。

多くの人々は、具体的物事を具体的物事の次元で解決しようとする場合が多い。わたしの経験で言えば、「授業中の生徒の聞き方、姿勢、動き、雰囲気、目の輝き」などから、そのクラスや学年全体の傾向を抽象化し、それに対する本質的対処を考えられる教師は、稀だった。
多くの教師は、その場その場の具体的事象の解決に腐心し、その手段を工夫していた。

政治家など社会の指導者に求められる最大の資質は、具体的物事を聞く耳を持ち、その具体的物事を「抽象化」し、「概念化」する能力である。

現代社会のように専門的分野が細分化し、ありとあらゆる分野に専門性が高まっている時代に、一人の人間がその全てを理解することなど不可能。
と言う事は、その専門の具体性をどのように「抽象化」し、【概念化】するかに、指導者のレーゾンデートルはかかっている。

この「抽象化能力」と「概念化能力」が高ければ高いほど、物事の【解決能力】が高くなる。

その為には、指導者は常日頃から【自分は間違っているかもしれない】という認識を忘れてはならない。

だからこそ、各分野の専門家の意見を好き嫌いなく聞いて、それを「抽象化」し、「概念化」し、各分野の必要性や予算などを【総合的】に勘案して、具体的政策の実行を【判断する】。その判断を他者に説明し、説得し、理解をしてもらう努力を怠ってはならない。

そして、その結果にたいしては、全面的に責任を取る覚悟を持たなくてはならない。

現代社会の指導者に求められる最大の資質は、常に「自分は間違っているかもしれない」という謙虚な心と、好き嫌いの感情なく、あらゆる人々の声をよく聞き、常に時代の流れに置いてゆかれない勉強を怠らない事。

そうして集めた「具体的事実」の「集積」を「抽象化」し、「概念化」し、多くの条件による制約の中で【総合的】に【判断】し、具体的政策を実施していくかを決定する。

そのようにして決定した政策に対して人々に対する【説明】を充分に行う。

「政策」実行の成否は、人々の「理解」にかかっている、という認識が最重要。
コンプライアンスとは何も犯罪にかかわる事だけではない。

現代社会の人々の能力は、封建時代とは訳が違う。大多数の国民の政策理解能力は高い。
国民を説得できない政策は、必ずどこかに欠陥がある。そのような謙虚な姿勢が必要である。
このような【説得力】も重要な能力である。

最後に大切な能力は、【間違いを認める勇気】である。

単純な話だが、小学生の授業でも、教師が間違う事はしばしばある。この時、教師が大声で「すまん、すまん、先生が間違っていた」と言える教師に対する子供たちの信頼は高い。
それに対して、自分の間違いを決して認めない教師の信頼度は低い。

子供でもそうなのだから、大人はなおさらである。ところが、大人社会では本音を言わない。「間違ったと認めるのが厭なのだろう」という忖度が働く。
簡単に言うと、真実を指摘した人間が損をするというのが、本音だろう。
だから、大人社会では、真実を滅多に指摘しない。
こういう部下に囲まれた指導者が間違った政策をしないという保証はどこにもない。

【貞観政要】で指摘されているのも同じ事である。

これが今も変わらぬ大人社会のありようである。これに胡坐をかくようでは、指導者の役目は果たせない。

現在のメディア事情もほとんど同様。忖度と提灯記事のオンパレード。
ジャーナリズムなどと呼ぶのもはばかれる。
これがどれだけ日本社会を蝕んでいるかをメディアは、もっと真剣に考えなければならない。

これでは、21世紀に必要な真の指導者は生まれない。
現在の日本社会の最大の課題だろう。
 
0005 菅戦前型ファッショ政権の正体!(国民には何も知らせる必要なし) 流水 10/11 10:56
 
菅政権が、学術会議推薦人事を6人まで拒否した。安倍政権以降の言論弾圧がついにここまで来たのか、という驚きが広がっている。

戦前の日本の歴史を少しでも勉強した人間にとっては、今回の菅政権の学術会議推薦の人事拒否は、京大の滝川事件、美濃部達吉の天皇機関説を思い起こさせる重大事件である。

戦前の歴史をよく知る小沢一郎が「菅政権は怖ろしい」と語っているが、その通りだ。

10月8日のTV朝日の大下容子ワイドスクランブルで、コメンテーターの末延某が、「今回の学術会議推薦人事拒否問題は、この問題に反対の論陣を張るメディアと賛成のメディアの色分けを鮮明にするのが菅首相の狙い」だと語っていた。

末延某が語っているのは、【菅政権の意向に反するメディアは、排除する】というのが、官邸の意向だと言う事。【学術会議推薦人事の賛否】は、その踏み絵だと言っているに等しい。

この指摘が正しいならば、任命拒否は、菅の政治的立場の表明であり、任命拒否の相手は誰でも良い事になる。要は、問題を大きくして、反対者(メディア、学者、評論家)から、これ以降自分に敵対する連中や組織をあぶり出し、言論弾圧の対象にしようと言うわけだろう。

現に菅首相は、拒否された6人の名前を知らないと発言しているようだが、この問題について弁護士郷原氏も書いている。
・・・日本学術会議問題は、「菅首相の任命決裁」、「甘利氏ブログ発言」で、“重大局面”に・・郷原信郎
http://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20201010-00202356/

戦前の言論弾圧でもそうだったが、学問に対する弾圧が始まった時は、日本の言論状況は、ほとんど死に瀕していると考えなければならない。

映画監督の是枝氏などが、「言論の自由」が侵されているという事は、「表現の自由」が侵されていると同じだ、という危機感に溢れたコメントを発表していたが、その通りである。

その一つの証拠が、国境なき記者団が発表する【報道の自由度ランキング】の2020年度では、日本は66位。G7最下位。

安倍晋三前首相が価値観を共有する外交などとほざいていたが、「報道の自由」などは民主主義国のイロハのイ。それが最下位なのだから、何の価値観を共有するのだと言う事だ。
http://news.yahoo.co.jp/articles/679e205708979174b0c8248f480d107be2fbe5a6

今回の問題でも、朝日・毎日・東京新聞などは、一面で扱い、問題の重大性に警鐘を鳴らしている。しかし、読売・産経・日経などは、扱いが小さく、あまり問題にしていない。

報道機関・学問などの言論に対する弾圧が強行されると言う事は、国民の言論状況はもはや死に瀕している、と考えなければならない。

例えば、小泉今日子さんに対するネット上での暴言などを見れば、戦前の隣組の監視体制とほとんど変わらない。コロナ騒ぎの時の「自粛警察の跋扈」は、その良い例である。

今や社会が【物言えば唇寒し】の状況に陥っているという鋭い感性を持たなければ、この危機を感知する事はできない。

以前、丸山真男の話で紹介したことがあるが、ナチス・ドイツに抵抗できなかった理由について、マルティン・二―メラーは以下のように語る。(是枝氏らも声明の中で引用している)

・・ナチスがコミュニスト(共産主義者)を弾圧した時、私は不安に駆られたが、
自分はコミュニストではなかったので、何の行動も起こさなかった。
その次、ナチスはソーシャリスト(社会主義者、労働組合員)を弾圧した。
私はさらに不安を感じたが、自分はソーシャリストではないので、何の抗議もしなかった。
それからナチスは学生、新聞人、ユダヤ人と、順次弾圧の輪を広げていき、
そのたびに私の不安は増大したが、それでも私は行動に出なかった。
ある日ついにナチスは教会を弾圧してきた。
そして私は牧師だった。
だから行動に立ち上がったが、その時は、すべてがあまりに遅過ぎた。・・・・
※マルティン・ニーメラーのことば   http://www.syuppan.net/kyoto/s2-kan-07.htm

「言論の自由」とはそういうものだ。

今回の学術会議任命拒否問題でも、日が経つにつれて、権力側が何年もかけ、如何に周到に準備し、計画的に進めているかが明らかになってきている。

安倍政権下で始まった言論弾圧の第一歩は、2013年8月の内閣府法制局長官人事。この人事で駐仏大使の小松一郎氏を任命。内閣法制局からの繰り上げ人事に風穴を開けた。小松氏は安全保障の考え方が安倍首相の考え方に近い、というだけの理由で、法制局長官に外務官僚がなるという前代未聞の人事を強行した。

小松氏が急逝したため、次の法制局長官には、横畠祐介氏。彼は法制局からの昇任人事だったが、彼の在任中の一番の仕事は【集団的自衛権の承認】だった。歴代の法制局長官が決して認めなかった【集団的自衛権の承認】をするというのが横畠氏の仕事だった。人事権を掌握して、戦後の憲法解釈を変更させたのである。

さらに日銀の人事に介入。黒田氏を登用。黒田バズーカと呼ばれる異次元の金融緩和やEPFによる株式購入、さらに国債を大量に購入。本来独立した機関であるべき日銀を政府方針で完全にコントロール。本来、株価が示す日本市場の羅針盤の役目を完全に放棄。今や、株式市場は、完全なマネーゲームの主戦場となった。

その他、NHK会長人事に介入。政権と関係の良い人物を会長に就任させる。NHK内部のリベラル派を一掃。NHKニュースの不偏不党は失われ、政権の広報誌化している。

また、TV朝日の報道ステーションから久米宏氏が降板。古舘伊知郎が登板。コメンテーター古賀正明氏の「I am not Abe」事件などがあり、古館氏が降板。というように、政府の圧力が顕在化。報道機関からリベラル派が放逐され続けており、報道機関の萎縮化が進み、今やほとんど「大政翼賛会」ではないかと思えるほどである。

霞が関官僚に対しては、官僚の人事権を掌握する事により、ヒラメ官僚・忖度官僚を大量輩出。骨のある有能な官僚がきわめて出にくい環境を作り出している。(※典型的な例が、財務官僚)

このように、「人事権」を梃子にメディアや官僚などを支配し続けたのが安倍政権。その中心人物が菅官房長官。彼は、人事権を人質にして支配する権力者の暗い満足感に酔いしれているのかもしれない。

菅首相が理解していないのは、「人事権は鋭い刃」だと言う意味。人事権で人を支配できるが、同時に多くの人を深く鋭く傷つける。人事権を振るい過ぎると、大量のヒラメ人間と闇に深く沈殿した多くの恨みを生み出す。

物言わぬ組織は生気を失い、ただただ上の命令だけを聞けば良いという澱んだ空気が支配する。一言で言えば、組織の人間の発言の『自由』が失われると、その組織の存在意義がなくなるのである。理非曲直をただすのでなくて、すべてが忖度で決定する。全ての人間と組織が腐臭を放ちだす。

何度も言うようだが、【権力は自制的に行使する】事は、権力者の理性と知性に依存する割合が大きい。知性も理性もない権力者を戴くと、際限のない【権力の行使】が行われる可能性が高い。こういう組織や国家は必ず滅亡する。安倍・菅政権が続くと、我が国は、歴史が教える組織や国が滅亡する道を確実に歩むだろう。

その一つの証拠が、今回の問題に対する外国の評価であろう。以下の記事を読めば、今回の問題に対する海外の評価が分かる。ネイチャー、サイエンス、ル・モンド、フィナシャルタイムズ、ロイターなどの記事はいずれも今回の問題を「政治の学問への介入であり学問の自由への脅威であると扱っており、その理由も自身が官房長官を務めていた安倍政権の政策への批判が原因と指摘」している。

※日本学術会議の任命拒否問題を世界最高の学術誌「サイエンス」「ネイチャー」が批判、海外の一流紙からも「非情な黒幕」「学問の自由への攻撃」など問題視する声
http://buzzap.jp/news/20201008-science-council-of-japan-overseas/

このまま強引に押し通せば、日本は学問の自由がない国と目されるだろう。

悪いことに、現在はノーベル賞ウィーク。学問に対する世界中の注目が集まっている時。菅政権が如何に井の中の蛙かと言う事が良く分かる話である。
 
0006 総務省接待疑惑 役人の子は/にぎにぎを/よく覚え(江戸古川柳) 流水 03/02 17:08
 
🔶総務省接待疑惑

女性官僚の代表者らしい山田内閣広報官(元総務省審議官)は、ひとり7万円を超える会食をしたらしい。接待を受けた総務官僚は全員【ごちになります】と言ったかどうかは知らないが、ごちになったうえに手土産までもらったらしい。

まあ、役人が接待を受けたり、袖の下をもらうのは、今に始まった話ではない。江戸川柳の “役人の子は/にぎにぎを/よく覚え”に見えるように、江戸時代もにぎにぎ(袖の下)が盛んだった。“越後屋 お主も 悪よのう”などという話が日常的に転がっていた。

以前、【寛政の改革】で有名な江戸幕府の老中松平定信の側近中の側近に水野為長という人物が書いた【よしの冊子】を紹介した。当時、いかに賄賂政治が席巻していたかを逆に証明している。

※官邸のヒムラ―;杉田和博官房副長官「公安を使った監視と圧力」!
老人党リアルグループ「護憲+」ブログ
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/ebf28d0501d501b58fdfee0becf56b3e

そういう点から見れば、今回の総務官僚の話は特別なものではない。日本では昔からよくある話だと言えば、そうである。

しかし、この手の話を聞く時、忘れてならない事がある。

賄賂というものは、権限を持っていないもの(立場が弱いもの)から権限を持っているもの(立場が強いもの)へ送られる、という単純な事実である。
これは役人だけではなく、一般の人々の間でも同様。

では、役人の場合が特に問題になるのはなぜか。

役人は【公】の仕事をしており、その給与は国民の税金で負担している。役人の権限は、【公】の権限であり、【私】の権限ではない。基本的に言えば、役人の権限行使は、国民の負託に基づく【公】の権限行使であり、決して役人個人の【私】の権限行使ではない。

だから、役人は、【公】と【私】の区別を明確に分けなければならない。間違っても、【公】の権限行使が【私】の権限行使であるという誤解や認識を与えるような行為をしてはならない。役人倫理のイロハのイである。

総務省の接待疑惑も一般庶民の常識から言えば、どう言い訳しても、「行政の話もせず何10万円も払って一緒に飲むバカはいない」(井筒和幸の「怒怒哀楽」劇場)と言う事になる。

この当たり前の感覚(常識)を忘れてしまったら、役人は役人ではなくなり、ただの「欲ぼけ」の悪人に成り下がる。

まあ、抜け道や言い訳を作り出す事にかけては天才的な役人たちなので、飲みの席では具体的な話などしないように心掛けているはず。飲みの席を設けたと言う事は、具体的な話は出来上がっていて、総仕上げとしての飲みの席だと考えてほぼ間違いない。

江戸時代もそうだったが、明治・大正・昭和・平成と官(役人)の不正は枚挙に暇がない。その傍証に1人の法学者の文章を紹介する。

🔶役人学三則⇒東大文学の淵源

法学者末弘厳太郎は【役人学三則】を著し、役人の生態を見事に喝破した。戦前に活躍した彼の定義は、いまだ色あせていない。

●第一条 およそ役人たらんとする者は、万事につきなるべく広くかつ浅き理解を得ることに努むべく、狭隘なる特殊の事柄に特別の興味をいだきてこれに注意を集中するがごときことなきを要す。

●第二条 およそ役人たらんとする者は法規を楯にとりて形式的理屈をいう技術を習得することを要す。
・法規を盾にとって理屈をいう技術と法律学とは別物である。
・今日われわれが教えているように、まず社会があり、社会生活があっての法律である、というような考え方は役人にとって禁物である。
・現在の役人は、しばしば法規の不存在を理由として行動それ自体を拒絶する。私はそれを法治主義の誤解に由来するものとして排斥したいのである。
第三条 およそ役人たらんとする者は平素より縄張り根性の涵養に努むることを要す。
(『改造』昭和六年八月号)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000922/files/43242_17420.html

🔶役人の頭(大正十一年六月下旬)

〇 「元来、法治国はあらかじめ作っておいた法律すなわち尺度によって万事をきりもりしようとする制度です。そうして近世の人間は公平と自由との保障を得んがために憲法によってその制度の保障されることを要求したのです。」
〇 「ところが人間というものはきわめてわがままかってなもので、一方には尺度を要求しながら、他方においてはその尺度が相当に伸縮する、いわば杓子定規におちいらないようなものであることを希望しておるのです。」
〇 「その矛盾した要求を適当に満足させているものは、すなわち「役人」である。」
〇 「万事をあらかじめ法律で決めておくことは事実上とうてい不可能なことであるのみならず、生き物である人間は決してかくのごときことを好まない。」
〇 「そこで、一方においては法律をもって大綱を決めつつ同時に他方においてはその具体的の活用をすべて「役人」に一任して、公平と自由とを保障しつつ、しかも同時にある程度に動きのとれるようにすることを考えたのが、すなわち今日の法治主義です。」

末弘の定義を地で行っているのが安倍政権以来の自民党政権。安全保障問題など憲法上の難しい問題をすべて解釈で変更していく。それこそ法解釈を【融通無碍】に行い、具体的活動で実質的な憲法改正を行う。今や【法治主義】など風前の灯火。【法治主義】を守らねばならないのは国民で、支配階級は事実上【法の外】=OUT OF LAWにあるのが現状。

🔶非言語的言葉=【密室言語】に生きる政治家たち

このような役人学に精通した官僚たちが支配しているのが、日本と言う国家。日本の政治家たちは、こういう官僚たちの延長線上に位置しており、彼らの言語は【密室言語】の権化。ほとんど他者には了解不可能である。

※具体性のある言葉で語ると、法に触れる。法に触れないために、能う限り具体性を排除した言語で語る。ここに日本の政治言語、政治文化、政治風土の特徴がある。

「例の件ですが」
「ああ、あれね」
「あんな線でどうでしょうか」
「うーん、でもあの筋がどういうかね」
「では基本線はあんな線で。問題点は先送りで」
「まあ、その線かね」
・・日本の首相の言葉はどうして心に響かないのか・・・冷泉彰彦 プリンストン発・・・
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2021/01/post-1211.php

これが、典型的【密室言語】である。

調整型と呼ばれ、腹芸の巧みな政治家ほどこの種の禅問答のような会話に長けている。現在の政治家でいうならば、二階幹事長、菅総理大臣などが典型だろう。それに加えて先ごろ問題になった森オリンピック組織委員長などもそうだ。

実は官僚組織でも出世すればするほど、この種の【密室言語】が磨かれる。東大文学と呼ばれる物事の本質を覆い隠した国民騙しの言説に加え、政治家との間で交わす【密室言語】に磨きをかける。

政治の嘘を見破る一番簡単な方法として、政治家や官僚がどう理解したら良いのか分からない言葉を使い始めたら、国民にとって不都合な政策をやろうとしていると考えてほぼ間違いない。本当の事がばれてしまっては、彼らにとって都合が悪いのである。

だから、彼ら政治家・官僚たち「永田町」の住人たちは、昔の芸人たちがひそかに使った「逆さ言葉」のような仲間内でしか分からない符丁のような言葉を使っている。

例えば、音楽界の連中が使うズージャー(ジャズ)、ダンモ(モダンジャズ)のようなもの。森田一義がタモリ。銀座をザギン、ドヤ街(宿街)、ドサ回り(里回り)など。
※ズージャ語 ウィキペディア 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E8%AA%9E

一般の国民には理解できない禅問答のような言葉を駆使して支配する。永田町の得意技である。

菅首相は調整型政治家と言われている。別の言い方をすれば、【寝業師】ともいう。こういう政治家の生きている世界の言語が、上記のような【密室言語】=【非言語】だとするならば、彼らが総理大臣になったとたん【論理的・科学的言語】に変われと言ってもそれは無理だろう。

彼らは、含みの多い言葉しか使えない。一昔前ならばこのような含みの多い言葉を理解し、咀嚼できる人間が多数おり、【含みの多い言葉】を国民向けに分かりやすく解説し、落としどころを探る事ができた。

今はそんな時代ではない。一昔前なら「それを言っちゃ おしめーよ」という言葉で解説しなければ、理解できない国民が増えている。政治の【素人化】である。

安倍政権や菅政権の行き詰まり感は、この【政治の素人化】の要請と、「科学的・論理的言語」で語る要請のいずれにも対処できない【無能力】さにある。

【無能力】だけならまだ救われる。彼らは、それに加えて究極の【無責任】ときている。

われわれが間違えてはならないのは、【無能力】と【無責任】は不可分な関係にあるという事実。

もし政治家に心の底から達成したい政策があるとするならば、何はさておいても、その政策について研究し、それを他者に理解してもらうために言葉を尽くして説明し、ありとあらゆる手段を尽くして政策実現のための努力をするだろう。

同時に、その政策を実現した結果が失敗だったら、その責任を取るという覚悟も持つだろう。そういう覚悟の無い奴は、政治など語る資格はない。

つまり、結果に対して【無責任】と言う事は、政策実現の想いが真剣ではなかった事を意味している。と言う事は、彼らの語る政策が本物ではない事も意味する。要するに【無能力】なのである。

こういう連中が固執するのが【権力】。何かを実現するための「権力」ではなく、自らが良い思いをしたり、自分の力を確認するため(誰かの首を切る)の権力=自己満足のための権力である。

安倍首相の外遊好きは、【自らが良い思い】をするための権力好きだろうし、菅首相が部下の首を切るのは、【自らの力を確認するため】の権力好きを意味している。

何度も書いて恐縮だが、こんな権力者を何年も頂いていては、【日本沈没】も致し方ない。OECDにおける日本の多くの指標が、日本を後進国と指し示している。今や、霞が関は、【無能力者】と【無責任者】の巣窟と化した。

※OECD統計 www.oecd.org/tokyo/statistics
※世界の貧困率 世界の15位
※LGBT問題などの統計
sag2019-japan-jp.pdf (oecd.org)

次の選挙では理屈はいらない。自民党と公明党という【無能】で【無責任】で、腐臭ふんぷんたる腐敗堕落した政治集団には、決して一票を投じないという単純な政治行動が求められる。

単純明快な【一票一揆】こそが、政治を変える第一歩になる。
 
0007 社会的地位と責任の重さが反比例する国 日本(1) 流水 04/15 14:11
 
🔶接待とは、『共犯意識』の深層心理を植え付ける儀式。

総務省の接待疑惑は拡大する一途。
特にNTTの迎賓館では、官僚から歴代総務大臣や政治家にいたるまで接待漬けになっている。
民間業者と権限を持つ政治家や官僚たちとの間の接待は、何かしらの癒着があると疑われても仕方がない。

本当にうまい酒が飲みたいなら、官僚や政治家などと飲まない。気の置けない友達と飲むのが一番。気を使いながら飲む酒などうまくないに決まっている。
それをぐっと抑えて政治家や官僚たちと飲むのは、下心があるから。下心なしに飲むはずがない。

仕事に関する話はなかった、などと言うのは、言い訳に過ぎない。業者と政治家・官僚たちとの接点は仕事しかない。仕事の為に接待はある。それこそ細部にわたる具体的話はないかもしれないが、「あの件をよろしく」程度の話がないわけがない。

酒の席で具体的な話をすれば、痛くない腹を探られるに決まっている。だから、事前にそんな話は決めておいて、酒の席では「ありがとうございました。これからもよろしく」「いやいや、こちらこそ」程度で話は通じる。

まあ、接待の席の話はその程度だろう。後は、業者と官僚・政治家の顔つなぎ。一緒に酒を飲み、馬鹿話をし、女性をからかうなどという『共犯意識』を積み上げるのが狙い。特に男どもにとって、下ネタ的秘密の『共犯意識』ほど連帯意識を強めるものはない。

業者にとって、官僚や政治家たちの深層心理にこの種の『共犯意識』を植え付けれれば、大成功。後は黙っていても、業者に有利な決定が下る可能性が高い。
だからこそ、接待には、金をかけねばならない。金額が高いほど『共犯意識』は深くなる。

接待のメカニズムとはそういうものだ。

🔶日本における権力者(支配者層)の権力に対する認識の問題

現在進行形の総務省接待問題で考えてみても、今責任を取らされているのは官僚。政治家や大臣はほとんど責任を取っていない。

特に、武田総務大臣の答弁は酷い。彼の答弁を聞いていると、目の前の問題をやり過ごすための答弁で、問題の本質を掘り下げるものではない。三百代言とは彼のような答弁を言う。

小泉内閣以来、特に安倍政権以降の大臣の答弁、官僚の答弁は、東大文学どころではない。

「あなたはご飯を食べたでしょう」と言われて、「ご飯は食べてない。パンを食べた」という類の子供の言い訳程度の答弁をしている。
自らのレーゾンデートルを賭けた魂のこもった説明など聞いた事がない。
こういう答弁が幅を利かせている日本の国会の現状を見ていると、ほとんど絶望的になる。

彼らの醜悪な姿を見ていると、彼らの「権力」に対する姿勢(理念)が透けて見える。
@自己顕示欲としての権力(自らの力を見せつける⇒人事を弄ぶ)
A自己満足としての権力(権力誇示⇒力のない人間に対する蔑視⇒野党勢力や反体制的学者、評論家、メディアなどに対する威圧的姿勢や蔑視)

自分が保持している権力は、自分のもののようであって決して自分個人のものではない。権力は国民のために使って初めて役に立つ。それ以外の事に使ったらそれは全て『私的利益』のためだ。
民主主義国家の権力者は、権力に対する厳しい自己規制が必要である。

彼らには、このような権力に対する認識がなく、自己規制もない。自らに与えられた権力が、国民から負託されたものだという自覚がない。

実は日本における『権力に対する認識の問題』は、日本歴史の特殊性に依存しており、きわめて根が深い。時代は、平成から令和へと流れているが、小泉・安倍政権以降、政治家の『権力に対する認識』は、見事に戦前の認識へと逆行している。
彼らの権力認識は、戦前のそれより質が悪い。

戦前の権力者は、【天皇】という神聖化された絶対権力者の臣下というタガがはめられていた。
【天皇機関説】を唱えた美濃部達吉は、「天皇」に対する明治政府以降の本音を述べたに過ぎない。しかし、この建前を守らないと、日本の支配機構それ自体が崩壊する、というジレンマを抱え込んでいた。
「天皇の臣下」というタガは、戦前の日本の支配機構を支える最重要な柱だった。

しかし、小泉・安倍以降の日本の権力者には、「天皇の臣下」などというタガはない。あるのは、「俺が最高権力者だ」という認識しかない。このむき出しの権力認識は、世界中に存在した(存在する)独裁者のそれとほとんど大差がない。

今週、東電の福島原発汚染水の海洋放出が決定された。菅総理大臣の決断だそうだ。こんな重大な決定をろくな国会審議もせずに行うなどおよそ民主主義国家の首相の行う事ではない。
彼が就任直後に行った学術会議人選拒否なども同様である。

このように、彼らの権力行使の「公私混同」ぶりは、戦前の権力者よりはるかに酷い。

このような「権力認識」は、必ず「権力保持」が自己目的化する。「権力保持」が自己目的化した人間や組織は、結果として「権力行使」が「権力保持」のための私的「権力行使」に収斂する。

政治家に思想、哲学、理念、理想などと呼ばれるものが絶対に必要なのは、自己保身のための「権力行使」に傾きがちな人間の弱さを自分自身で克服するためである。

安倍・菅政権の理念の無さ、科学的・論理的思考の無さ、倫理観の無さ、想像力の欠如、弱者に対する思いやりの無さ、自らに反抗する人間に対する無慈悲な扱い・・・。
いずれを見ても、彼らに権力を付与したら、その権力行使の大半が、【権力保持】のため以外に行使されない事は明白。

民主国家で権力を託するに足りる政治家を選出すると言う事は、国民の運命を託する事を意味する。だから、民主国家に生きる国民は、政治家の根幹を見抜く眼力を持たなければ、自らの運命を諦めるに等しい、と言う事をもう一度考えなければならない。
 
0008 国民殺しの菅自民党政権の危険性が増大している 流水 05/10 13:05
 
(1)憲法改悪へ加速しつつある状況(コロナ危機の逆用⇒火事場泥棒的行為)

昨日(5/6)国民投票法改正案が衆院憲法審査会で採択され、成立した。
自民党は、立憲民主党が提示した付帯決議案を呑んで成立を急いだ。

この国民投票法改正案(自民党案)は、憲法改正の発議が国会で成立した後、国民投票にかける前、メディアを通じてのCMなどに規制がかけられていない。要するに、メディアを通じて徹底的にプロパガンダが可能、というのが自民党案。つまり、国民をプロパガンダで洗脳し、憲法改悪をしてしまえば、何でも可能という腹積もりなのだろう。

これに対し、立憲民主党は、CM規制などについて、「改正後3年を目途に、必要な法制上の措置その他の措置を講じる」という文言を付則に明記するように要求。自民党が丸呑みして、法案が採択された。

立憲民主党の腰砕けも党内事情と国民民主党との野党協力を巡っての駆け引きなど、種々の事情があるようだが、かっての民主党時代の党内事情と同じく、相変わらずである。憲法改悪阻止の国民運動は、常に野党の監視を怠ってはならない。

(2)コロナ危機に応じて、「緊急事態条項」を憲法改悪の目玉にしようという論理

🔸【無恥・無知】の人たちが、国民に対しては、【鞭】の人になるための憲法。

自民党など与党内の右派(神道政治連盟や日本会議系列など)の連中は、安倍・菅政権のコロナ対策の失敗の要因を、日本国憲法に【緊急事態時要項】がない点に求め、このような危機に対応するために、【緊急事態条項】を盛り込んだ憲法改悪の機運を盛り上げようとしている。

コロナ危機対策の失敗は、その大半は、安倍・菅など右派連中の統治能力の欠如に由来している。この問題については、この掲示板でも折に触れて書いた。

彼らの特徴は、己の識見の無さ、知識の無さ、言語能力の欠如、能力の無さ、弱者にたいする想像力の無さ、恥を知らない、自らの言葉や行為に対する反省の無さなど、数えきれないほどの「無いない尽くし」のくせに、絶対に反省しない点にある。

一言で言えば、【無恥・無知】の人でありながら、国民に対しては、【鞭】の人なのである。

◎右派(歴史修正主義者)の憲法改悪の真の狙い
(1)憲法9条(平和条項)をなくす。空洞化する。
(2)立憲主義(憲法が権力を縛る)・・・⇒国家が国民を縛り、命令し、監視する憲法に変える。
(3)日本国憲法が紡ぎだした戦後日本の理念(社会通念になっている)を空洞化し、強者が正義の弱肉強食の社会の創出。

上記の狙いの突破口が、【緊急事態条項】の必要性の主張である。

【緊急事態条項】導入の狙いは、2013年7月29日に行われた東京都内のシンポジュームで麻生太郎の演説で明確に示されている。

※「ある日気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。だれも気づかなかった。あの手口に学んだらどうか」

当時この発言は世界的にも問題になり、官邸は火消しに躍起になった。当たり前で、欧米(特に欧州)では、ナチス・ドイツ賛美とも受け取れる発言を政治家が行う事は、政治家としての自殺行為に等しい。麻生太郎が欧州の政治家だったら、間違いなく政治生命を絶たれたはず。

安倍晋三が二言目には「同じ価値観を持つ国々」とのたまわっていたが、その副総理がナチス・ドイツ賛美とも取れる発言をしたのである。彼らが民主主義のイロハすら理解していないのはこの発言一つで明確に理解できる。

🔸緊急事態条項の危険性

日本の中学・高校で学ぶ歴史ではあまり教えられないが、ナチス・ドイツの権力掌握過程は、きわめて重要で示唆に富んでいる。日本の右派(歴史修正主義者)たちの間では、真剣に学んでいるようだ。

彼らは権力を握る事に最大の関心がある。そして、その権力を維持する事に全力を傾ける。その為には、何でも行う。その意味で彼らは超がつく【現実主義者】。彼らの最大の生き甲斐は、権力闘争の坩堝の中でどう生き抜くかにある。

彼らは、政治理念らしきものや、政策らしきものを語るが、そんなものに興味はない。それらは全て権力闘争を勝ち抜くための方便に過ぎない。権力を勝ち取ったら、過去に語った政治理念や政策などは、屑籠に投げ捨てても何の悔いもない。彼らの脳裏にあるのは、只今現在の権力闘争をどう勝ち抜くかしかない。

彼らに国家的危機管理能力はない。理由は単純明快。国家的危機を本当に乗り切ろうと考えるなら、まず自分自身の運命や行く末など全て捨てなければならない。自らに与えられた権力は、全て国家・国民のために使わなければならない。断捨離ではないが、不必要なものを捨てて、捨てて、捨てきって初めて、その時その時に最も必要な対策が見えてくる。

わたしが右派(歴史修正主義者)には、本当の意味での「危機管理能力はない」、と断じるのは、権力に対する妄執ともいえる執念がありすぎる連中が多いから。だからこそ、反対者に対する異様な弾圧も行う。反対者に対する弾圧は、権力獲得が自らのレーゾンデートルの証なのだ。

こういう感性の持ち主は、自分自身の妄執や執念を捨てきる事が難しい。だから、人には「遵法精神」を強要するが、「自分は別だ」と思い込みやすい。

自らを捨て去る覚悟がない人間に、他者が自らの運命を預けるはずがない。だから、他者を従わせるためには、力による「圧政」以外方法がない。憲法改悪の真の狙いは、暴力的な力による「圧政」を正当化するための法整備ができるための【憲法】改悪だと考えて間違いない。

これでは本当の意味での「危機管理」はできない。今や官邸内部や自民党内部では、責任の押し付け合いが始まっている。

この脈絡の中で、【緊急事態条項】の憲法の中に盛り込む重要性を語るとはどういうことか。一つは、「危機管理」の失敗を現行憲法の不備に押し付ける事で責任をチャラにしようという意図が丸見えである。

他の一つは、国民の正当な異議申し立てや反対意見などを力づくで押さえつけ、自らの失敗や無能さを糊塗したり、他に原因を押し付けて、自らの権力維持を正当化するためである。

緊急事態条項自体の危険性については、以前詳細に論じたので、以下の文章を読んでほしい。麻生太郎がなぜナチス・ドイツに学べと演説したのかが理解されると思う。
「緊急事態条項の危険性」
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/0a8463264ee6e859ca99b2ef9179bae6
2016-05-09 11:10:12 | 憲法

🔸周回遅れの新自由主義的改悪の断行;(75歳以上の医療費2割負担を強行採決など)

小泉政権以降、特に安倍政権と菅政権の経済政策の中心人物は、竹中平蔵。一周遅れの新自由主義経済政策を主導。日本を後進国に落とし込んだ主犯。
多くの日本人は、いまだ日本を先進国だと錯覚している。(特に自民党政治家や自民党を支持している地方の有力者など)

しかし、現実の数値は、日本がもはや先進国から滑り落ち、後進国に転落していることを示している。

わたしも何度かOECDの数値を紹介したが、今日はさらに分かりやすい数値を紹介する。

元外務省の孫崎氏が世界最強の情報機関CIAの「world Factbook」から興味深い数値を紹介している。 ※World - The World Factbook (cia.gov)

その中で1人当たりGDP(国内総生産)のランキングの紹介が以下のようになる。

●G7(先進7カ国)のランキングは次の通りだ
〇米国:15位 〇ドイツ:25位 〇カナダ:32位 〇フランス;37位 〇イタリア;42位
★日本;44位
●アジア諸国 
〇シンガポール;5位  〇韓国;41位

1人当たりのGDPを見ると、その国の住民がどれだけ豊かさを享受しているかが見れる。今や日本は、アジアでも韓国に抜かれている。「格差社会」の深刻さがこの数値をみても良く分かる。

【一人当たりGDP】の国連統計での推移】
比較的変動の大きかった年を抜粋
1990年⇒14位(海部内閣) 91年⇒9位 (宮沢内閣)94年⇒6位(細川内閣・羽田内閣) 98年⇒12位(橋本内閣)
2002年⇒14位 (森内閣) 04年⇒20位 (小泉内閣) 06年⇒29位(安倍内閣) 
09年⇒26位(麻生内閣) 10年⇒21位 (鳩山内閣)
12年⇒20位 (野田内閣) 13年⇒ 31位 (安倍内閣) 17年⇒ 33位(安倍内閣)

参考までに当時の内閣を書いてみた。民主党内閣が酷かったと言われているが、こうして統計数値を眺めてみると、20位以降に落ち込んだのが小泉内閣から。第一次安倍内閣や麻生内閣と比較すると、民主党内閣では、数値は持ち直している。民主党内閣以降の落ち込みの激しさが目立つ。

20位以降に落ち込んだのが小泉内閣。民主党内閣以降の激しい落ち込みの内閣が、安倍内閣。つまり、新自由主義的経済方針を内閣の方針として掲げた内閣。その結果として、日本の貧困化、窮乏化が激化している。その中心のブレーンが、竹中平蔵。彼こそ、日本の「貧困化」「窮乏化」の中心人物。竹中平蔵の罪は万死に値する、と思う。

菅首相と竹中平蔵の親密な関係は有名。そのため、菅政権の経済政策は、新自由主義的政策一辺倒とでもいうべきもので、なかでも竹中平蔵の影響は甚大。

菅首相が次々と打ち出す政策のほとんどは、新自由主義的政策。デジタル省の設置とNTTをはじめとするデジタル産業との癒着は有名。

学術会議人選の話は、言論弾圧(リベラル・左派言論人の弾圧)の一環。
前川喜平の反乱に懲りた政府は、子供省を設立し、文部省を解体し、教育を完全に政府の手に掌握しようという狙い。

その中で最も酷い政策が、ベッド数の不足が問題になっている病院のベッド数の削減がこれまで通り予算に組み込まれている。コロナ渦の中で問題になった過去の医療政策の問題点を何一つ反省していない厚労省の姿勢が良く見える。

現在、ベッド数が足りない、医療崩壊だと騒いでいる大阪府などは、早速それを行おうとしている。新自由主義者、維新の吉村知事の面目躍如。大阪府民や大阪市民などは、近視眼的にならずに冷静に事態を見てほしいものだ。

もう一つ、高齢者医療の改革(75歳以上)。現在、高齢者の窓口負担は1割。それを2割にするという法案が先日強行採決された。しかも、所得制限は実質なし。どういう制度設計にするかは、省令で決めるという。

わたしの妻の例でいえば、彼女の慢性疾患に効く薬は、きわめて高価だった。当初は、月12万円を超えていた(月一度の検診)。もちろん、高額医療の制度で半分は返るのだが、それでも結構な額になった。

今回の改定は、この金額が倍になるという話である。つまり、月一度の検診で、毎回24万円を払わなければならない。年間、300万近い医療費を払い続けねばならない、という話になる。高額医療の制度で半分返ったとしても、年間150万近い額になる。

これに加えて、健康保険料、介護保険料、住民税、電気代、上下水道代などの負担を考えると、公的料金に年金の全てをつぎ込んでも足りないという話になる。

病気は平等。貧富の差なく、万人に襲い掛かる。年齢が上がれば上がるほど、病気は多くなる。しかし、病院に行けば行くほど、費用がかさむ。それが一気に2倍になるのである。

高齢者の多くは、病院に行くのを躊躇するであろう。1月に一度が3月に一度。そのうち、半年に一度になるだろう。そうしているうちに、病状が悪化。手遅れになる人が続出するに違いない。

今回の改悪は、それが狙いなのだろう。身もふたもなく言うと、厄介者は早く死ね。お前たちの長生きの為に国の金など使えるか、という話である。

コロナの恐怖に苛まれている最中に、こんな国民いじめの医療政策を平然と強行する政府や厚生労働省にコロナ対策など期待できるはずもない。

何度も書いて恐縮だが、政治を馬鹿にする国民は必ず政治にしっぺ返しを受ける。

悪政というより、もはや【暴政】と言って良い現在の政治状況を変える事ができるのは、国民が選挙に出かけ、現在の政府与党(自民党・公明党・第二与党の維新)にNOの意志を突きつける以外ない。
 
護憲+ 公開用BBS

護憲+ 公開用BBS
▲トップ 先頭から表示 記事No 記事ログ表示

表題
お名前 パスワード (記事削除・変更に使用)
E-Mail E-Mail をリンクで非公開する
コメント