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  メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと(第十七期)
笹井明子    −    2019/08/01 05:18:01
既存のスレッドに当てはまらない「つぶやき」を投稿する場です。普段発言をしていないメンバーも、夫々の都合に合わせて、「毎日いちどは」「毎週いちどは」「毎月いちどは」投稿しましょう!
0001 メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと(第十七期)  笹井明子 08/01 05:18
 
既存のスレッドに当てはまらない「つぶやき」を投稿する場です。普段発言をしていないメンバーも、夫々の都合に合わせて、「毎日いちどは」「毎週いちどは」「毎月いちどは」投稿しましょう!
 
0003 Re: メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと(第十七期)  名無しの探偵 08/06 18:22
 
「表現の不自由展」を巡って

珠さんの投稿(少し引用が多い?)でこの問題が明らかになっているが、
近現代の歴史を研究している者として一言。

現在では河村市長ヴァーサス大村知事、あるいは有田議員ヴァーサス菅官房長という政治的な対立に移行しているが、私は戦前のドイツ、ワイマール共和国の崩壊期、すなわちその張本人だったナチスによって退廃芸術としてマークされていた当時のドイツの大きな芸術拠点であったバウハウスの追放事件前夜を思い起こした。

この時期、バウハウスは「退廃芸術」の一番の対象として攻撃されていたが、その当時のドイツ国民多数の取った行動が注目される。

同時期に二つの展覧会が開催されていた。
一つは親ナチの芸術家の展覧会。
もう一つはバウハウスの開催した展覧会である。

もしこれが当時の日本なら以下のような国民の行動は予想できないはずだ。

ところが、二つの展覧会の入場者の数が非常に驚くべきものだった。

なんとバウハウス主催の展覧会は盛況のうちに開幕された。(数は忘れたが親ナチを大幅に上回る入場者数であった)

これに対して親ナチの展覧会は入場者も少なく殺風景なものだったのである。

表現の自由を制限したところで「国民」の行動は権力者の想定外なものになるのである。

さて、日本の状況はどうか。やはりワイマール共和国崩壊過程の時と同じではないだろうか。

それで忖度マスコミなどがつまらない報道でお茶を濁しているが、河村市長などの真安倍派がナチスと同じ制限行動を取っているだけで、もしそういう
憲法違反行動がなければ多数の入場者が詰めかけたはずである。

こうした歴史の比較で分かることは現在の日本の政治はナチス以下の無様な
ものになっているという歴然たる事実である。

当時のナチス政権はバウハウス展を非公開にしていないからである。
 
0004 「表現の不自由展・その後」の中止問題考! 流水 08/08 11:36
 
珠さんが書かれた『「表現の不自由展・その後」の中止は、まさに表現の自由を侵した』で指摘された問題は、現在の日本の置かれた言論状況・思想状況を象徴している。

この問題を考えるとき、まず押さえておかねばならないのは、「あいちトリエンナーレ」という国際美術展の一部としての「表現の不自由展・その後」で、愛知県美術館という公立の美術館で開催されていた、と言う事実である。

今回行われたような各種の妨害行為、恫喝行為、明らかな脅迫行為は、わたしには、既視感がある。日教組が行う全国大会(教育研究)への街宣右翼の妨害行為は何十年も前から毎年行われてきた。それこそ大会への出席は、街宣車の怒号と警察官の防御の中を通るのが常態だった。大音声のマイクの規制すら行われなかった。

会場を借りるのは、各県の公共機関を借りるケースがほとんどだったので、県の担当者は、混乱は困るという理由で、会場の貸し出しを嫌がるケースが続出した。

今回の嫌がらせの手口を見ていると、日教組大会に仕掛けられた嫌がらせや圧力と全く同じ手口だと思う。とにかく、大量の抗議電話やメール、恫喝行為、脅迫行為などを集中的に行い、相手がひるんで行事を中止すれば大勝利、中止には追い込めなくても、公的機関がその種の行事を行わないようになれば万々歳。これが手口である。

冷静な言論による議論ではなく、圧力や脅迫まがいの行為・騒音などの迷惑行為をしかけて相手の言論や表現の自由を奪うという手口では全く同じである。

メディアはこういう迷惑行為や脅迫などを徹底的に批判し、警察などはこの種の行為をする人間はきちんと摘発しなければ、この種の迷惑行為はエスカレートする一方である。

もし、安倍晋三首相の演説会場に「ガソリンの携行缶を持って行く」というメールが届いたら警察はどうする。それこそ徹底的な捜査をするだろう。明らかなテロ行為の示唆だと断定し、警察の威信をかけて捜査するに違いない。

警察は、今回、愛知県などに送られたメールに同様な捜査を何故しない。メディアはその事を何故批判しない。問題の本質はここにある。

わたしの経験からもう一つ指摘したい。日教組の大会と同様な全国大会が行われるのだが、日教組大会のような激しい妨害行為が行われないのが、全国同和教育(全同教)研究会。

この大会は、同和教育担当の教師たちだけでなく、解放同盟の活動家も多く参加する。もし妨害行為に怯えて会場の貸し出しを拒否するような真似をしたら、「差別問題」として激しい抗議(糾弾活動)が行われることは必至。

同時に今回のような恐喝まがいの脅しなどには決して屈しない強さが解放同盟にはある。彼らは、先祖伝来、激しい差別行為を受けた体験を持っており、その差別を跳ね返してきた歴史的体験を蓄積している。少々の妨害行為などものともしない強さを持っている。

だから、各自治体も、会場の貸し出しを拒否したりすることはあまりなかった。

つまり、この種の問題の根源には、彼我の力の差(世間の風の向き方)により、自分たちが迷惑をこうむる度合いによって、どちらにでも転ぶ各自治体の腰の据わらない姿勢がある。

日本の各地方自治体首長や職員の民主主義理解や憲法21条理解の浅さがこのような及び腰の対応を招いている。この種の迷惑行為、脅迫行為、恫喝行為自体が、「民主主義の敵」であり、決して屈してはならないという毅然とした対応こそが、この種の行為を根絶する要諦だと考えなければならない。

その意味で大村愛知県知事の発言は出色のものだと思う。

・・・・「河村さんの一連の発言は、私は憲法違反の疑いが極めて濃厚ではないか、というふうに思っております。憲法21条はですね、《集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する》《検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない》というふうになっております。このポイントはですね、国家があらかじめ介入してコントロールすることはできない、ようは既存の概念や権力のあり方に異論を述べる自由を保障する。ようは、公権力が思想内容の当否を判断すること自体が許されていないのです」

「最近の論調で、いわゆる“税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだ”ということをですね、ネットでいろんな意見が飛び交っているのはこれは匿名の世界であれかもしれませんが、いろんな報道等でコメンテーターの方がそういうことを言っておられる方がいるようですが、逆ではないかと思いますね。これは行政、国、県、市、公権力をもったところだからこそ表現の自由は保障されなければならない、と思います。というか、そうじゃないんですか? 税金でやるからこそ、公権力であるからこそ、表現の自由は保障されなければいけない。わかりやすく言うと“この内容は良くて、この内容はいけない”ということを公権力がやるということは、許されていない、ということではないでしょうか」

「いちばん酷いのはね、“国の補助金もらうんだから国の方針に従うのは当たり前だろう”というようなことを平気で書かれているところがありますけど、みなさん、どう思われます、それ? ほんとうにそう思います? 私、まったく真逆ではないかと思いますよ? 税金でやるからこそ、むしろ憲法21条はきっちりと守らなくてはいけないのではないでしょうか。この数日間、“ちょっと待てよ”とつらつら考えて、非常に違和感覚えております」・・・・・・リテラより

見事な正論である。このニュースを聞いた時、わたしは、一瞬耳を疑った。このような首長が日本にもいるんだと言うくらい、日本国憲法や民主主義の基本精神をよく理解している。

今回の問題がここまで大きくなったのは、誰もが感じているように、最近の日韓問題の険悪化と密接に連関している。

韓国を貿易のホワイト国から外すという政府の決定は、参議院選挙前に行われた。一言で言えば、【選挙対策】。

拉致問題解決のための北朝鮮との交渉が完全に暗礁に乗り上げ、ロシアとの領土交渉も一歩も進まない。米国とのFTA交渉では、自動車関税、農業分野での譲歩は確定的。イランとの交渉も子供の使い以下。

どれをとっても、安倍政権の手柄として吹聴できない。それどころか、突っ込みどころ満載。選挙に役立たない。だから、日韓問題をこじらせ、嫌韓感情を煽り、選挙を有利にしようと考えたのである。

案の定、日本国内では、嫌韓感情が煽られ、メディアも韓国が悪い、という論調で報じた。

韓国は韓国で反日感情に火が付き、文政権はこれを扇動。弱体化していた政権が、息を吹き返した。

丁度そういう時期に「表現の不自由展・その後」は行われた。通常ならこれほどの反響はなかったかもしれないが、嫌韓感情のはけ口として、絶好のターゲットになった。

もう一つ、わたしたちが、頭の中に叩き込んで置くべき問題がある。日本と韓国の双方にいる戦争大好き勢力の親玉は、アメリカのネオコンをはじめとした産軍複合体勢力(米国戦争屋)。日韓関係の悪化は、彼らにとって絶好の金儲けのタネ。このまま、現在のような日韓関係を続けてゆけば、最終的には「戦争」まで視野に入ってくる。これが米国戦争屋の金儲けになると言う構図だけは頭に置いておく必要がある。

日本人は、中東で日常的に行われている戦争やテロなどは、他人ごとと考えがちだが、このほとんどが、米国戦争屋連中が仕組んだものだという認識が薄すぎる。

中東での覇権を失いつつある米戦争屋勢力は、今儲けのタネをどこに求めるかを考えている。その一番のターゲットが、極東アジア。極東アジアの緊張をどう高めるか、これが彼らのメインの戦略と考えて間違いない。

だから、トランプ大統領の行う北朝鮮との緊張緩和は、戦争勢力にとって目の上の瘤。何としても阻止しなければならない。

北朝鮮の完全非核化(リビア方式)などと言うのは、トランプと北朝鮮の和解を妨害する屁理屈。要するに、北朝鮮の脅威がなくなれば、東アジアの冷戦構造が崩壊。彼ら戦争屋の儲けのタネが無くなる。だからあの手この手で妨害する。ハノイ会談でのポンペオ・ボルトンの役割である。

同時に北朝鮮との融和政策を積極的に推進する文大統領も目の上の瘤。何とかして引きずりおろす。これは、韓国内の戦争屋の利益にもなる。日本と同様に、北朝鮮との緊張状態継続が彼らの利益になるというわけである。

これらが相まって今回の日韓の緊張状態が創出された、と考えると納得できる。つまり、北朝鮮との緊張を創出する事が難しくなったので、代わって韓国が選ばれたというわけである。

ところが、韓国側には、日本の植民地支配に対する【恨み】の感情が拭いきれない。時としてそれが噴出する。韓国の【恨(ハン)の文化】を馬鹿にしてはいけない。

日本は日本で、ネトウヨなどを中心として韓国などに対する「差別感情」や「侮蔑感情」が拭いきれない。この感情がさらに韓国を刺激する。問題解決が長引けば長引くほど事態はこじれる一方だろう。

だから、早めに日韓関係を修復しないと、最後には行きつくところに行きつきかねない。これは両国にとって「百害あって一利なし」。よくよく考えなければならない。

今回の「表現の自由」に対する挑戦は、上記の文脈で行われていると考えたほうが良い。

名無しの探偵さんが『「表現の不自由展」を巡って』でドイツのワイマール共和国時代のバウハウスの退廃芸術の問題との類似性を指摘されているが、きわめて的を射た指摘。

麻生太郎の「ナチスドイツの手口を学ぶ」という発言は、安倍政権とその一派のファッシヨ化手口をきわめて正確に表現している、と考えるべき。

以前にも指摘した「ファシズムの初期兆候」の中に「学問と芸術の軽視」がある。ナチスドイツの台頭の陰に、彼らが「退廃芸術」と名付けた現代アートに対する攻撃が、バウハウスに対する攻撃である。

わたしはバウハウスの芸術家の作品は、あまり見ていないが、大原美術館(新館)にカンデンスキーの作品がおいてあるので、彼だけは知っている。

※尖端 https://www.musey.net/5275

見事な現代美術である。正直、何が「退廃芸術」か、理解に苦しむ。

今回の騒動の発端にある「少女像」を見て、河村市長は、「日本国民の心を傷つけられた」と感じたそうだ。この作品のどこにそんなに傷つけられるところがあるのか、わたしは理解に苦しむ。
https://censorship.social/artists/

おそらく彼は「従軍慰安婦像」だから、「日本人の心が傷つけられた」などと言ったのだろうが、そんな事は、この「少女像」の作品の評価とは全くかかわりない。彼は頭の中にある妄想で、この作品の評価を下している。

ナチスドイツがレッテルを貼り、排斥した「退廃芸術」と全く同じ感性で、作品を排斥している。彼らは、芸術の持つ「多様性」「普遍性」が全く理解できない。どんな理念、どんな思想に基づいて作られた作品でも、その表現された作品自体の価値で評価されるべき、という原則が全く理解できない。

作品評価に政治的立場を基準にするようでは、それ自体がファッショだと指弾されても致し方ない。

このようにファッショ体制構築のためには、何でも攻撃し、排斥するのが、ファッショ政権の特性。

これと同様に、嫌韓感情を煽るためには、何でも利用する安倍ファッショ政権とその同調者による攻撃が、今回の「表現の不自由展―その後」を巡る騒動だと考えてほぼ間違いない。

わたしたちは、今回のように、言論の自由、表現の自由の危機が顕在化した時には、国民の自由の大半が失われていた、という歴史の教訓を想起しなければならない。この想像力を失い、目の前の出来事だけに一喜一憂していると、ファッショ勢力の思うつぼになる。

だからこそ、大村県知事と河村名古屋市長の発言の思想の差を問題にしなければならない。

河村流の「“国の補助金もらうんだから国の方針に従うのは当たり前だろう”」という論理を平気で受け入れる人間が増加すると、それこそ【国の言う事は何でも聞く】世の中が招来される。ファッショ国家そのものになる。

だから、大村知事は、「私、まったく真逆ではないかと思いますよ? 税金でやるからこそ、むしろ憲法21条はきっちりと守らなくてはいけないのではないでしょうか。」と言い切った。ファッショ的思考に対して、民主主義的思考を対峙させたのである。

わたしたちは、ここから出発して、もう一度ファッショ的思考の蔓延している世相に対して【NON!】を申し立てなければならない。
 
0005 不服従は時には義務となりうる瞬間がある! 流水 08/15 09:59
 
今日は8月15日。メディアでは、【終戦記念日】。正確に言うと、【敗戦記念日】。

【終戦記念日】という語感からは、日本が、主体的に戦争を終わらせたのであって、戦争に負けたのではない、というニュアンスがある。本質は、ポツダム宣言を無条件に受諾して、日本が負けた日。

実は、【敗戦記念日】を【終戦記念日】と言い換えたために、何故日本は愚かな戦争に突入し、何故敗けたのかという、原因究明がおろそかになり、戦争責任の追及が疎かになった。

昨年、官僚が、物事の本質を微妙に言い換える「東大文学」という言葉が流行ったが、この日本流言いかえ術は戦前からの伝統だった。

特に酷くなったのが、ミッドウェイ海戦の敗北以降。戦況を伝える【大本営発表】はこの種の言いかえの代表。「転進」と言ったら、敗北して退却をした、と読めば良い。

日本における官僚は、この種の詭弁、言い換え、誤魔化しなどの【言葉】とそれを合理的に説明する【屁理屈】をどうひねり出すかが、優秀かどうかの判断基準になっているふしがある。【一億総懺悔】などと言う言葉に流されて、日本国民の手で戦争責任を追及しなかった。これもまた、見事な【東大文学】である。

現在の戦争前夜のような世相を作り出してきた最大の要因は、国民一人一人が歴史に真摯に向き合わなかった事にある。

※日本と全く対照的に戦後のドイツとドイツ国民は、ナチス・ドイツの戦争責任を追及し、真摯にナチス・ドイツの負の歴史と真正面から向き合った。戦争で多大な損害を与えた欧州各国に対して、謝罪と融和を粘り強く、国家挙げて取り組んできた。

今年、7月20日。そのドイツで、びっくりするような式典が行われた。

第二次大戦末期、ドイツ軍将校による【ヒトラー暗殺未遂事件】が起きてから75年の式典が行われ、民主主義を取り戻すための抵抗としてたたえられている。

・・・
メルケル首相は式典に参列し、花輪を捧げ、以下のように述べた。

「不服従が義務となり得る瞬間がある。75年前に抵抗した人たちは、他の人たちが黙っているときに行動した。状況が完全に異なっているとはいえ、今日の私たちにとっての模範だ」

全体主義の独裁政権に抵抗した事実をたたえることで、民主主義や法の支配を自分たちの力で守り続けていかなければならない、との訴えだ。

メルケル氏は式典に先立つ声明で「右翼過激派には(付け入る)機会がないということをはっきりさせるため、力を合わせよう」とも語った。・・・・
朝日新聞 デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASM7M7L3BM7MUHBI03K.html

ヒトラー暗殺事件は複数回あるが、7月20日のものは、トム・クルーズが主演した映画「ワルキューレ」そのものだ。

暗殺に失敗した将校5人が銃殺された場所にメルケル首相は花輪を捧げ、【他の誰もが沈黙している時に行動した】とその勇気をたたえた。

わたしが注目したのは、【不服従が義務となりうる瞬間がある】という言葉だ。一国の首相が、当時の政権(ナチス・ドイツ)の方針に不服従を示し、暗殺を計画した将校を褒めたたえた。

この言葉、取りようによっては、暗殺者(テロリスト)を賛美していると誤解されるかもしれない。為政者としてはきわめて危険な言辞になりかねない。

しかし、メルケル首相は、【不服従は時には義務になりうる瞬間がある】と語り掛けた。この言葉そのものが、彼女のレーゾンデートルである民主主義を守ろうという強い政治的信念の表現である。

7月2日、ドイツのマース外相は、ポーランドのワルシャワを訪問した。

大戦末期、ナチスドイツの占領下にいたワルシャワ市民が、解放と戦後の独立を求め反乱を起こし、約2カ月間で20万人が犠牲になったいわゆる「ワルシャワ蜂起」から75年を迎え、敬意と追悼の式典が開かれたのである。

マース外相は、「ポーランドに対してドイツ人が行ったこと、ドイツの名の下、ポーランドに対して行われたことを恥じている」とポーランド国民に、語り掛け、許しを請うた。

日本とドイツの戦争に対する向き合い方の差が、このような為政者の言辞の差となって表れている。現在の日韓関係の深刻さの最大の要因は、加害者である日本の姿勢が、ドイツのような真摯さが欠落しているからである。

【不服従は時には義務となりうる瞬間がある】

昨年の国会で、前文部科学省事務次官前川喜平氏が起こした反乱は、まさにこのメルケル首相の言葉そのものである。

「あるものを無いとは言えない」という彼の言葉は、これ以上、国民を騙し、愚弄する事は出来ない、という姿勢の表現である。彼を孤立無援にしてはならない。

わたしは、今日本は戦後最大の危機に立っていると考えている。文字通り、国家として存亡の危機にある、と考えている。

この種の危機に際して国家の舵取りを担っている政治家・官僚たちは、正確に現状を把握しなければならない。見たくない数字も、見たくない現状も真正面から見なければならない。問題解決の方針は、そこからしか見いだせない。

しかし、現在の安倍政権は、都合の悪い数字、都合の悪い現実を決して見ようとはしない。数字は改竄する。時には捏造する。時には、無いことにする。まず身内に利益を誘導する。身内の不祥事は徹底的に擁護する。

国民には、現実と正反対の政策を提示する。公約は破るためにある、と嘯いている。やったふりをする。それで誤魔化せる、と考えている。

これで国家が腐らないはずがない。何度でもいう。【魚は頭から腐る】。日本は国家破滅の瀬戸際に立っている、と認識しなければならない。

こういう状況を見れば、メルケル首相の言葉【不服従は時には義務となりうる瞬間がある】が身に染みてくる。

現在の日本、特に霞が関の官僚やメディア連中は、この言葉を噛みしめなければならない。

前川喜平の生きざまに自らを省みる必要がある。
 
0006 「人は学ぶことで真の自由を得られる。そして人は自由でなければ学べない!」 流水 08/20 17:09
 
先週、鬼籍に入ったピーター・フォンダの言葉である。

ピーター・フォンダといえば、「イージー・ライダー」。1970年代前後の若者たちの気分を代表した映画。

若者二人(映画上ではワイアットとビリー・・・ワイアット・アープとビリー・ザ・キッドから取っている。これをピーター・フォンダとデニス・ホッパーが演じた)がただ大型バイクに乗って旅をする話である。

これが爆発的にヒットした。何でヒットしたのか。わたしには、「時代の空気」としか言えない。

先月、高校時代の友人と久しぶりに電話で長話をした。彼は、橋梁設計の専門家で、会社生活の大半を外国で過ごした。彼の代表的仕事は、イスタンブールのボスボラス海峡にかかる橋梁を作った事だと言っていた。

その彼が昨年一人で車を運転して、アメリカのルート66を走破したそうだ。どうしても、死ぬまでに走破したかったと言っていた。

わたしも彼も1970年代前後の若者世代。彼の気分は手に取るように分かる。年も年だから、バイクではなく、車だったというだけである。

「イージー・ライダー」「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て」や「バニシング・ポイント」などを総称して「アメリカン・ニューシネマ」と言うのだが、その代表作である。

「イージー・ライダー」「俺たちに明日はない」「バニシング・ポイント」に共通して言えるのは、衝撃のラストである。

「イージー・ライダー」の二人もただ旅をしてればよいのに、地方の共同体に入り込み、そこでトラブルを起こしてしまい、最後は銃で撃たれる。

「俺たちに明日はない」のラストは、ボニーとクライドが警官たちの待ち伏せに合い、車ごと蜂の巣のように撃たれてしまう。

「バニシング・ポイント」も同様。最後は警官が張ったバリケードに突っ込んで死ぬ。

三作に共通するのは、どう見ても無意味な死を招くのが分かっていても、破局に向かって突っ走らざるを得ない彼らの【抵抗の心情】を描いている点である。

どうやっても、既成の社会や秩序になじめず、NONを叫ばざるを得ない心情を描いていた。それでいて、彼らに次の時代の青写真があったわけではない。青写真はなけれど、どうしても既成の社会秩序は否定せざるを得ない。

「イージー・ライダー」などの「ニューシネマ」は、その切ない抵抗の心情を痛いほど描いていた。最初に「時代の空気」としか言えない、と書いたのは、その意味である。

その代表選手だったピーター・フォンダが死んだ。「ニューシネマ」のように、若死にをせず、天寿を全うし、家族に看取られた穏やかな最後だったと報道されている。

しかし、彼は最後まで「自由の戦士」だったようだ。昨今のアメリカの風潮を憂ったのだろうか、ウェブサイトで【人は学ぶことで真の自由を得られる。そして人は自由でなければ学べない】と言う言葉を残したと報道されている。現在の若者たちに聞いてもらいたい含蓄のある言葉である。

【自由】になるために学び、学ぶために【自由】を希求する。「自由」を決して【金】に換えてはならない。

ピーター・フォンダ世代の爺さん、婆さんたちは、そうやって生きてきたのだ、と言う事をもう一度考えてみてほしいと願う。
 
0007 日本軍敗戦の歴史に学ぶ 無責任の構図(組織の腐敗)(1) 流水 08/31 10:28
 
「日本兵の兵役生活」

BSで、インパール作戦の再放送があった。権威に胡坐をかいた組織。その中で権力を持った人間の腐敗堕落は、結局その組織で生きている多くの人間を悲劇に陥れる。その事を、如実に示したのが、インパール作戦の教訓である。

わたしの生家の隣に「インパール作戦」の生き残りのおじさんがいた。夏、半そでシャツになると、そのおじさんの腕に大きな弾痕の跡が見えた。渡河作戦の最中に撃たれたそうだ。わたしの戦争の記憶の原点におじさんの腕に残る傷跡がある。

もう一つ幼い時の戦争の記憶がある。母親の弟(叔父)が戦死しているのだが、その葬儀の記憶が鮮明に残っている。冬の凍てつくような寒さの中で行われた野辺送りの行列の中で、叔父の奥さんの悲しみ方が尋常ではなかった。母親から聞いたその理由は、遺骨だと手渡された箱には石が一つ入っていたそうだ。夫の骨すら帰ってこなかった事に耐えられなかったという話だ。

後年、蔵原惟繕監督の【執炎】という映画を見た時、この時の野辺送りの光景と重なり、胸がふさがれる思いをしたことを鮮明に覚えている。浅丘ルリ子主演。
※ 執炎  https://www.nikkatsu.com/movie/20829.html

えぐられたような傷跡、野辺送りの葬列。わたしにとって戦争の具体的記憶は、この二つに集約される。

わたしの生家は田舎の雑貨屋で、当時は近所のおじさん連中がよく出入りしていた。特に、煙草の葉を専売公社に納入する時期(備中葉として有名)は一年で一番の繁忙期だった。その時は、おじさん連中が親父とよく戦争中の話を店先でしていた。

一番多かったのが、軍隊の話だった。「あの軍曹が偉そうだった」。あの若い少尉が生意気だったので、「ふけ飯をくわしてやった」とか、「後先考えずに突撃、突撃と命令するので、皆が白けていたら、そいつが自分で行かざるを得なくなり、突撃と言いながら真っ先に突進して戦死した」などの話を良くしていた。

ちなみに「ふけ飯」とは、上級士官のご飯の上に頭のふけをかきむしってかけて食わせると言う事。偉そうで生意気な士官の多くは、この「ふけ飯」の洗礼を受けていた。

そして一番印象的だったのは、あの将校は「名誉の戦死」と言う事になっているが、あれは後ろから弾が飛んできて死んだんだ、と言う話だった。兵隊たちに憎まれている上級士官は、突撃している時、兵の誰かが後ろから士官を撃つケースがよくあったそうだ。

戦場では弾が飛び乱れているのだから、誰が撃ったか、どこから撃ったか分からない。戦死者から弾丸を取り出して鑑定にかけるなどという芸当ができるわけもない。結局、死んだら全て【名誉の戦死】になるというわけである。中には、風呂場で名誉の戦死を遂げた将校もかなりいたそうだ。

長々と兵士の話を書いたのには訳がある。軍隊という組織は、将校だけでは動かない。兵士がきちんと任務を果たして初めて軍隊として機能する。前線では、将校と兵士は文字通り「運命共同体」になる。

現在でもそうだが、会社の中で少し出世をすると異様に張り切ったり、威張ったり、パワハラまがいのいじめをしたりする人間がいる。面白いもので、少し出世をすると自分を「万能の神」のように錯覚するのであろう。

特に若い連中ほどその傾向が強い。年功序列制度が壊れた現在の会社制度では、出世しそこなった年配の連中は、自らの居場所をどう見つけるかで苦労しているだろう。

会社なら何とか自分を落ち着かせる場所を探せるかもわからないが、【軍隊】ではそうはいかない。【軍隊】は完全な階級社会。星一つ違えば、完全服従。そうしなければ、秩序は保たれない。上官は、文字通り「全能の神」になる。

このような組織になると、上官の人間性しだいで、部下の運命は左右される。上官が暴力的で問答無用の理不尽な性格の場合は最悪。その時々の気分次第で、訓練が異常にきつくなったり、些細な事でぶん殴られたり、部下は踏んだり蹴ったりの目にあわされる。

まあ、現在でも若い連中には、軍隊教育が必要だとのたまう連中の多くは、有無を言わさず「絶対服従」させる快感を夢見ている。そういう連中は、自分が有無を言わさず「服従」することは、大嫌いな人間が多い。人間「得手勝手」の典型である。

日本軍を考えるとき、上のような上官と兵の関係を基本に考えなければ、認識を間違う。

日本軍隊内部の実態を描いた小説では、野間宏の「真空地帯」が有名だが、軍隊経験者(将校ではなく兵士)の大半が、野間の書いた事を肯定するだろう。

吉田裕氏は、このような、アジア・太平洋戦争中の軍隊における兵士の実態を、数値に基づき、客観的な研究にまとめ上げている。

※吉田 裕(よしだ・ゆたか)
一橋大学大学院特任教授
専門は日本近現代軍事史、日本近現代政治史。主な著書に『昭和天皇の終戦史』『日本人の戦争観』『アジア・太平洋戦争』など

その中に衝撃的な数値があるので、紹介しておく。
・・・
支那駐屯歩兵第一連隊の部隊史を見てみよう 。(中略)日中戦争以降の全戦没者は、「戦没者名簿」によれば、2625人である。このうち (中略)1944年以降の戦没者は、敗戦後の死者も含めて戦死者=533人、戦病死者=1475人、合計2008人である。(後略)(支那駐屯歩兵第一連隊史)(出所:『日本軍兵士』)・・・・

ここで注目しなければならない数字。
全戦没者の約76%⇒敗戦前1年に集中。
その中、戦病死者数⇒約73%。⇒戦闘ではなく、日々の生活の中で死亡した。
「名誉の戦死」という美名のもとで行われていた醜悪な真実である。

◎これは、もはや軍隊ではない。【軍隊】とは、戦う集団。その戦う集団が、日々の生活の中で7割強死亡している。この数字は、軍隊内での「医療施設・人員・食料・水・日常品など」が如何に欠乏していたか、そういう「兵站」に対する意識が如何に欠落していたかを示している。

吉田氏は、戦病死の中でもつとも多かったのが【飢餓】だと指摘している。

・・・日中戦争以降の軍人・軍属の戦没者数はすでに述べたように約230万人だが、餓死に関する藤原彰の先駆的研究は、このうち栄養失調による餓死者と、栄養失調に伴う体力の消耗の結果、マラリアなどに感染して病死した広義の餓死者の合計は、140万人(全体の61%)に達すると推定している*。(『餓死した英霊たち』)(出所:『日本軍兵士』)*:諸説あり・・・・・

・・・ 飢餓がさらに深刻になると、食糧強奪のための殺害、あるいは、人肉食のための殺害まで横行するようになった。(中略)元陸軍軍医中尉の山田淳一は、日本軍の第1の敵は米軍、第2の敵はフィリピン人のゲリラ部隊、そして第3の敵は「われわれが『ジャパンゲリラ』と呼んだ日本兵の一群だった」として、その第3の敵について次のように
説明している。・・・・

・・・彼等は戦局がますます不利となり、食料がいよいよ窮乏を告げるに及んで、戦意を喪失して厭戦的となり守地を離脱していったのである。しかも、自らは食料収集の体力を未だ残しながらも、労せずして友軍他 部隊の食料の窃盗、横領、強奪を敢えてし、遂には殺人強盗、甚だしきに至っては屍肉さえも食らうに至った不逞、非人道的な一部の日本兵だった。(前掲、『比島派遣一軍医の奮戦記』)(出所:『日本軍兵士』)・・・

◎“心頭滅却すれば 火もまた涼し”

広辞苑では、(織田勢に武田が攻め滅ぼされた時、禅僧快川が、火をかけられた甲斐の恵林寺山門上で、端坐焼死しようとする際に発した偈と伝える。
また、唐の杜荀鶴の「夏日題悟空上人院」の詩中に同意の句がある。

無念無想の境地に至れば火さえ涼しく感じられる。どんな苦難に遇っても、その境涯を超越して心頭にとどめなければ、苦難を感じない意。

日本軍は、この種の「精神主義」で突っ走ったため、人間「腹が減ると獣になる」という簡単な摂理すら分かっていなかったようだ。人間の生存本能が他の動物と違うはずがない。生きるためには何でもするのが本能というもの。

「衣食足りて礼節を知る」と言う諺がある。【軍規】は、食べる事、飲むこと、住むところ、着るもの、を保証して初めて守らせることができる。上の状況を考えれば、特に戦争末期における日本軍の「軍規」の乱れは、相当ひどいものだと想像がつく。

慰安婦の問題にしろ、戦争中の日本兵の蛮行にしろ、真偽の論議が盛んだが、上記のような慢性的飢餓情況に置かれた兵士たちが、正常な精神状況を保つことができた、と考える方が、どうかしている。わたしは何が行われていたとしても驚かない。

人間死んでしまえば終わり。生きるためには何でもする。まして、軍というある種の「治外法権社会」に生きている連中である。平和な社会の倫理観や常識が通用するはずがない。何事もそこから考えなければ、真実を見誤る。

◎負傷者は自殺を強要される

・・・(前略)戦闘に敗れ戦線が急速に崩壊したときなどに、捕虜になるのを防止するため、自力で後退することのできない多数の傷病兵を軍医や衛生兵などが殺害する、あるいは彼らに自殺を促すことが常態化していったのである。

・・・・その最初の事例は、ガダルカナル島の戦いだろう。(中略)撤収作戦を実施して撤収は成功する。しかし、このとき、動くことのできない傷病兵の殺害が行われた。(中略)
視察するため、ブーゲンビル島エレベンタ泊地に到着していた参謀次長が、東京あて発信した報告電の一節に、次のような箇所がある。

当初より「ガ」島上陸総兵力の約30%は収容可能見込にして特別のものを除きては、ほとんど全部撤収しある状況なり
 (中略)
単独歩行不可能者は各隊とも最後まで現陣地に残置し、射撃可能者は射撃を以て敵を拒止し、敵至近距離に進撃せば自決する如く各人昇コウ錠[強い毒性を持つ殺菌剤]2錠宛を分配する。 これが撤収にあたっての患者処置の鉄則だったのである。
 (『ガダルカナル作戦の考察(1)』)・・・
    
つまり、すでに、7割の兵士が戦死・戦病死(その多くは餓死)し、3割の兵士が生存しているが、そのうち身動きのできない傷病兵は昇コウ錠で自殺させた上で、単独歩行の可能な者だけを撤退させる方針である。(出所:『日本軍兵士』)
・・・・・・

◎「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」(戦陣訓)

1941年に東条英機が軍人に軍規を徹底させるために示達した一節。⇒この結果、日本軍の間で捕虜になる事を拒否する思想が広まったとされる。これが後に沖縄戦などで民間人を巻き込んだ集団自決をする一因になったとされる。

もう忘れ去られているが、小沢一郎は、民主党の党首になった時、A級戦犯をどう思うか、という毎日新聞のインタビューに答えて以下のように答えた。

・・・「A級戦犯については「日本人に対し、捕虜になるなら死ねと言ったのに、自分たちは生きて捕虜になった。筋道が通らない。戦死者でもなく、靖国神社に祭られる資格がない」との認識を明らかにした。・・・・

ガダルカナル以降、どれほど多くの負傷者が自殺を強要されたか。特に、インパール作戦の死者の多くも自殺者である。

兵士たちには自殺を強要し、おのれはぬくぬくと生き残る。「徴兵制」で、行きたくもない軍隊に行かされ、家族と無理やり引き離され、生きたいのに死ぬことを強要される。こんな経験をした兵士たちが、そんなに簡単に戦争指導者を許せるはずがない。

小沢一郎の発言は、戦争で無惨に散った兵士たちの語れぬ思いを代弁している。
 
0008 日本軍敗戦の歴史に学ぶ 無責任の構図(組織の腐敗)(2) 流水 09/01 11:59
 
「インパール作戦」

このような地獄の戦場を這いずり回った日本軍の中でも「インパール作戦」の悲惨さは他に類をみないものだった。

2017年9月NHKBSで放映された【無謀と言われたインパール作戦 戦慄の記録】は、新しく発見された英国側の資料も含めてかなり正確にインパール作戦の全貌を伝えている。以下、この映像に基づいて書いてみる。

◎【インパール作戦】とは

ビルマ(現在のミャンマー)で行われた作戦。
1944年3月に決行された。
(概要)
チンドウイン川(川幅600m)を渡河。2000m級の山を越え、ビルマから国境を越え、インドにある英軍の拠点「インパール」を3週間で攻略する作戦。

(結果)
日本軍は誰一人「インパール」にだどり着けず、3万人が戦死した。大失敗の作戦。

(作戦計画の歴史的経緯)
1942年1月、日本軍はイギリス領ビルマに侵攻。全土制圧。イギリス軍はインドに撤退。
大本営はインド侵攻を計画したが、戦線が拡大しすぎと見て、保留。
1943年、太平洋で日本軍は連敗⇒戦況悪化が顕著
同時期、体制を立て直したイギリス軍がビルマ奪還を目指し反撃。
戦況悪化の打開とイギリス軍への反撃のため、ビルマ侵攻作戦が再び浮上。
1943年 大本営 ビルマ方面軍を新設 司令官川辺正三。

※川辺正三
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E8%BE%BA%E6%AD%A3%E4%B8%89
彼は着任前、東条英機首相から事態の打開を指示されて着任。

同じ時期、牟田口廉也中将がビルマ方面軍隷下の第15軍司令官へ昇進。インパールへの進攻を強硬に主張した
※牟田口廉也
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9F%E7%94%B0%E5%8F%A3%E5%BB%89%E4%B9%9F

当時、大本営では、牟田口の主張するインパール進攻作戦には、懐疑的な参謀が多かった。しかし、この無謀ともいえる「インパール」進攻作戦は裁可された。

その理由が振るっている。
当時の大本営杉山参謀総長は以下のように語ったとされている。「杉山参謀総長が『寺内(総司令官)さんの最初の所望なので、なんとかしてやってくれ』と切に私に翻意を促された。結局、杉山総長の人情論に負けたのだ。」(眞田穰一郎少将手記)
こうして、1944年1月7日 「インパール作戦」は発令。

★インパール作戦の詳細

◎戦略目的
1944年当時、ビルマの制空権は連合国が握る。制空権を握った連合国軍は、中国との連絡網の奪還に動く。少数精鋭のゲリラ部隊をビルマ北部に潜入させ、これに空から補給を行なって、中国軍と連携させることに成功。

この情勢を放置しては、ビルマを征服した意味が無くなる。そこで、イギリスの最前線基地であるインパールを攻略し、彼らの意図を挫折させるのが目的。

※多くの人が間違えるのだが、日本陸軍の最大の敵は中国。南太平洋での米軍との戦いは、海軍・空軍主体。陸軍の作戦目的の主体は、中国戦線をどう有利に導くか、を主眼としている。
 
◎作戦計画
(A) 作戦の時間的計画⇒雨期の襲来を避けるため⇒3週間の短期決戦
(B) 人員⇒3つの師団と9万人の将兵
(C) 南⇒第33師団  ⇒インパールへ
   中央⇒第15師団 ⇒インパールへ
   北 ⇒ 第15師団 ⇒北部の都市 コヒマ攻略
(D)チンドウイン川(600m)と2000m級の山(アラカン山系)を越え、最大400kmを踏破する大作戦

地図上の位置は下。
 

(E)兵站計画
・食料 ⇒作戦計画では、インパール攻略までの期間は、3週間。⇒そのため、3週間分の食料しか持たされなかった。

・補給 ⇒標高2,000メートルを超える山が幾重にも連なるアラカン山系。
車が走れる道はほとんどない。トラックや大砲は解体して持ち運ぶ。崖が迫る悪路の行軍は、想像を絶するものだったという。兵士たちは、戦いを前に消耗していった。

こういう戦場でどうやって補給路を確保するか。答えは一つ。【空路】以外にない。ところがインパール作戦では、空軍の支援はなかった。と言う事は陸路以外に補給路はない。これが容易にできないことくらい小学生でも想像がつく。

イギリス軍は、空路での補給路を確保しており、弾薬・物資・食料の確保に問題なく、日本軍との差は歴然としていた。

インパール作戦大失敗の最大の理由が、兵站(食料と補給路の確保)ができなかった点に求められる。

食糧確保と物資郵送の両方を解決できると牟田口司令官が考案したという作戦が、【ジンギスカン作戦】。

※ジンギスカン作戦 ウィキペディア

・・・・この作戦中、牟田口が要望した自動車等の補給力増強がままならないため、牟田口は現地で牛を調達し、荷物を運ばせた後に食糧としても利用するという「ジンギスカン作戦」を発案した。しかしもともとビルマの牛は低湿地を好み、長時間の歩行にも慣れておらず、牛が食べる草の用意もおぼつかなく、また日本の牛とも扱い方が異なったため]、牛はつぎつぎと放棄され、「ジンギスカン作戦」は失敗した・・・・

◎戦いの経緯
(A) 作戦開始から2週間目
 (イギリス軍との最初の衝突)=インパールから110kmの一帯。第33師団(南からインパールを目指す)の戦闘。
 (結果)
イギリス軍の戦車砲や機関銃をあび、1,000人以上の死傷者を出す大敗北。

第33師団 柳田元三師団長は牟田口司令官に進言
「インパールを予定通り3週間で攻略するのは不可能だ」として【作戦変更】を強く進言。

他師団からも作戦変更の進言が相次ぐ。

🔷当時、牟田口司令官に仕えていた齋藤博圀少尉の手で、牟田口司令官と参謀との会話が記録されている。

牟田口軍司令官から作戦参謀に『どのくらいの損害が出るか』と質問があり、『ハイ、5,000人殺せばとれると思います』と返事。最初は敵を5,000人殺すのかと思った。それは、味方の師団で5,000人の損害が出るということだった。まるで虫けらでも殺すみたいに、隷下部隊の損害を表現する。参謀部の将校から『何千人殺せば、どこがとれる』という言葉をよく耳にした。」(齋藤博圀少尉の回想録)

戦後、イギリス軍によるインパール作戦関係者17人の聞き取り

🔷コヒマの戦い(第31師団、佐藤師団長の証言)
第31師団、1万7、000人が、イギリス軍と激突。

佐藤師団長の証言
・・「コヒマに到着するまでに、補給された食糧はほとんど消費していた。後方から補給物資が届くことはなく、コヒマの周辺の食糧情勢は絶望的になった。」(佐藤幸徳師団長 調書より)・・・

コヒマの戦闘⇒2ケ月続く。日本軍兵士の戦死者⇒約3、000人。

この戦いは日本本土で華々しく報道される。

大本営は、この作戦の継続に執着していた。

インパール作戦の現地視察をした秦中将の報告を東条英機首相は聞き入れなかった。

・・・・「報告を開始した秦中将は『インパール作戦が成功する確率は極めて低い』と語った。東條大将は、即座に彼の発言を制止し話題を変えた。わずかにしらけた空気が会議室内に流れた。秦中将の報告はおよそ半分で終えた。」(元東条英機秘書官 西浦大佐の証言)・・・

翌日の東条英機の天皇への上奏文

・・・「現況においては辛うじて常続補給をなし得る情況。剛毅不屈万策を尽くして既定方針の貫徹に努力するを必要と存じます」・・・・

1944年5月(作戦開始から2ケ月)
牟田口司令官⇒苦戦の原因は、現場の指揮官=(師団長)の無能さにあるとして更迭。
作戦中にすべての師団長を更迭するという異常な事態に陥った。

牟田口司令官は、第33師団を直接指揮。

(作戦方針)
全兵力を動員し、軍戦闘司令所を最前線まで移動させることで、戦況の潮目を一気に変える計画。

この作戦はイギリス軍の思惑通りの結果になった。(全て読まれていた)

・・・「われわれは、日本軍の補給線が脆弱になったところでたたくと決めていた。敵は雨期までにインパールを占拠できなければ、補給物資を一切得られなくなることは計算し尽くしていた。」(ビルマ奪還に当たっていたイギリス軍のスリム司令官の証言)・・


🔷レッドヒルの攻防(日本軍兵士のあまりに多くの血が流されたのでそう呼ばれている)

第33師団は、インパールまで15キロの小高い丘にあるイギリス軍の陣地を攻めた。作戦開始から2ケ月、日本軍に戦える力はほとんど残されていなかった。牟田口司令官は、残存兵力をここに集め、「100メートルでも前に進め」と総突撃を指示し続けた。武器も弾薬もない中で追い立てられた兵士たちは、1週間あまりで少なくとも800人が戦死した。

🔷 白骨街道 (インパール作戦失敗後の撤退路をそう呼ぶ)

1944年6月 インド・ビルマ国境は雨期に入る。当時の降水量は、1ケ月の降水量は、1、000mmを超えていた。悪いことに、30年に一度の大雨だった、と言われている。作戦開始から3ケ月。死者数は、1万人近い。

6月5日 河辺ビルマ方面軍司令官が牟田口司令官を訪問。⇒お互いに作戦中止を考えながら、切り出せず、作戦中止命令を出せなかった。

戦死者は増加の一途

大本営が作戦中止を命令したのは、7月1日。

☆ここから「インパール作戦」の本当の悲劇が始まる。

🔷戦死者の6割が作戦中止後に集中している。

〇第33師団
レッドヒル一帯の戦闘で敗北⇒猛烈な雨の中、撤退を始める。⇒チンドウィン河を超える400kmの撤退路。⇒兵士は飢餓と疲れと病気や怪我で次々倒れ、死体が積み重なっていった。暑さと雨で腐敗が進行。ウジとハエが群がる死体。あっという間に死体は、【白骨】になった。兵士たちは自らの運命を呪って、【白骨街道】と呼んだ。

第31師団⇒コヒマ攻略に失敗。⇒後方の村に補給基地があると信じて撤退。⇒しかし、補給は全くなかった。
分隊長だった佐藤哲雄さん(97)の証言。
・・・「(インドヒョウが)人間を食うてるとこは見たことあったよ、2回も3回も見ることあった。ハゲタカも転ばないうちは、人間が立って歩いているうちはハゲタカもかかってこねえけども、転んでしまえばだめだ、いきなり飛びついてくる。」(佐藤さん)・・・

🔷 作戦中止後、牟田口司令官は解任され、本国に召還される。
残された部下たちは、悲惨な退却戦を戦う。(古来より、戦での死者は退却戦が一番多い)

牟田口司令官に仕え、「味方5千人を殺せば陣地をとれる」という言葉を記録していた齋藤博圀少尉は、前線でマラリアにかかり置き去りにされた。(当時の日本軍は、負傷者・病人は、置き去りにして、自殺用の毒物と武器を渡される)

雨期の到来後、マラリアや赤痢などが一気に広がり、病死が増えた。死者の半数は、戦闘ではなく病気や飢えで命を奪われていたのだ。

・・・「七月二十六日 死ねば往来する兵が直ぐ裸にして一切の装具・ふんどしに至るまで剥いで持って行ってしまう。修羅場である。生きんが為には皇軍同志もない。死体さえも食えば腹が張るんだと兵が言う。野戦患者収容所では、足手まといとなる患者全員に最後の乾パン1食分と小銃弾、手りゅう弾を与え、七百余名を自決せしめ、死ねぬ将兵は勤務員にて殺したりきという。私も恥ずかしくない死に方をしよう。」(齋藤博圀少尉の日誌)・・・

死者の3割は、作戦開始時に渡ったチンドウィン河のほとりに集中。いったい何人がこの河を渡ることができたのか、国の公式の戦史にもその記録はない。

※インパール作戦の責任の所在はどこにあるのか。(日本軍の無責任の構図)

日本軍の将校は馬鹿ばかりではない。【インパール作戦】決行前、補給担当の将校たちは必死で知恵を絞った。どうやって、前線部隊に武器弾薬や食糧医薬品を渡すのか?そして得られた結論は、「不可能」。しかし、この結論は無視された。

太平洋戦争前、「総力戦研究所」が出した結論。「米国と戦えば、必ず敗北する」。これを東条内閣は無視した。「インパール作戦」でも同様なことが行われた。

今も昔も、日本の権力者連中は、自分の意に沿わない研究結果を無視する傾向が強い。自分に都合の良い研究結果を出してくれる【御用学者】【御用官僚】【御用評論家】が重宝されるのは、現在も戦前と違わない。

安倍政権下の種々の統計の改竄、隠蔽は言うに及ばず、最近は責任追及されることを恐れて、資料を作らない、資料を捨てることまで行われている。この行為自体が、歴史に対する冒涜である。歴史修正主義者のやることは、今も昔も変わらない。

結果、1944年3月、10万の将兵が、ビルマ-インド国境に殺到した。そして、戦う事約4ケ月。参加将兵数約10万人。戦死者約3万。戦傷、戦病で後送されたもの約2万人。残存兵力約5万のうち半数以上が罹患(マラリヤなど)という惨憺たる結果に終わった。

(1) 作戦の問題
 
これは太平洋戦争の評価に関わるのだが、太平洋戦争を戦った主力は、海軍と空軍。陸軍の戦の主体は、【中国戦線】にあった。従って、インパール作戦の主目的は、中国戦線への援助にあった。制空権を奪われたミャンマー地域には、中国軍から送り込まれた少数民族のゲリラ部隊が活躍。連合国との連携を図っていた。

軍事的に見れば、中国軍と連合軍の連携を絶つ、という作戦目標自体は間違いではなかった。ただ、制空権を奪われた状況下で、作戦遂行が可能なのか、という検証が不十分だった。

◎最大の問題は、【兵站】を軽視した作戦を強行した点にある。⇒陸軍の【精神主義】重視の伝統の問題

【兵站】を無視した作戦遂行は、近代戦の常識を外れている。例えば、米軍は補給線を確保した後でないと、決して攻撃はしなかった。多少の時間はかかるが、兵の戦闘意欲の確保と無駄な兵力の損傷を避ける意味からも、最も合理的な戦略である。

一方、日本軍は兵站の問題を無視する傾向があった。問題は、陸軍上層部や指揮官たちの人間をどう考えるかという「哲学・理念・人間観」に収斂する。

陸軍の伝統的思考に、「白兵戦」で相手を圧倒するには、気迫で相手を上回らなければならないという「精神主義」があった。「心頭滅却すれば 火もまた涼し」

この種の精神主義は、陸軍内の暴力、いじめ体質に容易に移行する。殴ったりけったりされながら、「我慢」の精神を涵養し、それが「203」高地のような戦場で、一死を省みず突撃する勇猛果敢な兵の育成に役立つ、と信じられた。

戦後、この【精神主義】は、学生スポーツの世界に色濃く残された。昨年問題になった日大のアメフト部のような大学スポーツの閉鎖的・暴力的体質。これと同様な体質が、高校や中学などの部活動にも、未だに残っている。

これが伝統になり、陸軍に受け継がれていく。

🔷203高地攻略戦 乃木希典とは

この伝統は、日露戦争時、「旅順」攻略の要として、旅順要塞の背後にある「203高地」を陥落させたところから生まれている。「203」高地攻略は、陸軍が犠牲を省みない「白兵戦」を敢行した歴史が大きく影響している。

「203」高地の争奪戦では、戦死者5、000人、負傷者10、000人以上と言われている。
https://kotobank.jp/word/%E4%BA%8C%E3%80%87%E4%B8%89%E9%AB%98%E5%9C%B0-110042

第三軍を率いた乃木希典の指揮で、猛烈な白兵戦を展開、乃木希典の次男保典も戦死。ようやく、「203」高地を落とした。

ある所で、乃木希典の軍服をみる機会があったが、あまりに小さくて驚いた。彼が、意外なほど小柄だったことが良く分かる。もし、彼が突撃し、白兵戦になったら、とてもじゃないけれど、ロシア兵に勝てないだろうと思えるほどだった。

乃木が名将か愚将かは評価が分かれるが、彼が生涯この戦争で戦死させた兵たちの【死】という重荷を背負い続けたのは事実だろう。彼が明治天皇崩御の一報を聞いた後、自決したのも何となく理解できる。「明治天皇」に殉死したことになっているが、わたしには、彼の心に滓のように残っている「203高地」の死者の姿が、彼を死に導いたのだと考えている。

203高地を攻略し、次男の死を聞いた日の乃木希典の日記。
・・・・ 
爾霊山(にれいさん)は険なれども豈(あに)攀(よ)じ難からんや
男子の功名克艱(こっかん)を期す
鉄血山を覆いて山形改まる
万人斉(ひと)しく仰ぐ爾霊山
・・・・・

「万人斉(ひと)しく仰ぐ爾霊山」とは、多くの人命が失われた爾霊山(203高地)を全ての人が拝み仰ぎ見るだろう、と言う意。正直、乃木の胸は悲しみにうち震えていたのだろうと思える。

乃木希典は文人肌の人だと思う。文人肌の人間が、多数の兵を死地に追いやる。おそらくこの後悔は、終生消えなかったと思う。ここがインパール作戦を決行した牟田口廉也との決定的な違いである。

「203」高地の突撃の評価はさておき、これ以降、日本陸軍に「白兵戦」信仰が根付いた。つまり、日本陸軍に【精神主義】信仰が、根付いたのである。

🔷牟田口司令官、河辺司令官、東証英機の関係とは

「インパール作戦」を強行した牟田口司令官、その上司にあたるビルマ方面軍河辺司令官、大本営最高責任者東条英機首相の関係は、支那事変の契機になった昭和12年の盧溝橋事件の時にもあった。

「盧溝橋の一発」が日中戦争を引き起こした、と言われているように、これが日本を終わりの視えない戦争に引きずり込んだ。今でも、この一発は、日本軍が撃ったのか、中国軍が撃ったのかは判然としないが、この事変が以降の日本の運命を決めたことは間違いない。

当時、牟田口は支那駐屯歩兵第一連隊の連隊長。所在不明の銃撃に反撃するよう命令している。通常、連隊長クラスでは、中国軍と戦争になる危険性が大きいこのような行為を上官の許可なく行うような事はあり得ない。事実、盧溝橋事件の結果、いわゆる支那事変(15年戦争=日中戦争)に突入した。

牟田口本人の意図に関わらず、その責任は重大である。その後、日本を泥沼の戦争に引きずり込んだ責任の一端は彼にある。

牟田口はいわゆる「イケイケどんどん」の典型的タイプ。世界情勢の認識、彼我の戦力の分析とか兵站とかそういう合理的(科学的)思考が全く欠落している。そうではなくて、精神力を重視する。典型的な「心頭滅却すれば 火もまた涼し」を信じているタイプ。

それに比べ河辺旅団長は、牟田口の勇猛果敢な心情をどことなく評価し、「任せてみるか」と言うタイプ。何となく優柔不断なところがある。

だから、牟田口の攻撃命令を河辺旅団長が追認。その時の関東軍参謀が東条英機。彼も牟田口の暴走を叱責することなく、事後承認している。「インパール作戦」と全く同じ構図だった。

(2) 中止の決断ができない官僚組織

インパール作戦で悲劇が拡大したのは、中止を決断できない、ビルマ方面軍川辺司令官の優柔不断や大本営や参謀本部の責任逃れ体質がある。

戦争前の大本営や陸軍参謀本部は、陸士・陸大などのエリートコースの将校たちで占められていた。2・26事件までは、「統制派」「皇道派」などの派閥争いが盛んだったが、事件以降はいわゆる「統制派」連中が実権を握った。

当然ながら、お互い同窓で、しかも軍隊以外の社会をあまり知らない連中の集まり。しかも、それこそ上意下達の典型的な縦社会。いわゆる組織の「空気」を読むことが、組織で生き抜く要諦。こういう組織は、どうしても硬直化して柔軟な思考ができにくい。

インパール作戦の決行も、牟田口と河辺の人間関係に拠るところが多い。同時に、東条英機には、南太平洋での相次ぐ敗戦などで政治的に追い詰められていた。そのため、どうしても、何か「華々しい戦果」が欲しかった。だから、現地を訪問した秦中将の報告(戦果は挙げられない可能性が高い)も考慮に入れなかった。

(3) 徴兵制の罠―差別思想の助長―

「志願兵制度」なら、軍上層部は、兵の利益を考えなければ、兵が集まらない。

上官に殴られ蹴られ、日常的な暴力にさらされる組織に、志願する連中はいない。戦争に行ったら、食事は現地調達、装備は滅茶苦茶。靴などは足を靴に合わせろ、という組織に誰が志願するのか。戦争に行ったら、捕虜になるな。捕虜になるくらいなら死んでしまえ、という組織に誰が志願するのか。

少し考える力のある人間なら、この程度の事は誰でも理解できる。

ところが、日本軍(特に陸軍)では、そんな常識は通用しない。いくらでも、兵は集められる。赤紙一枚(一銭五厘の葉書)あれば良い。

※戦後、暮らしの手帖社の花森安治は、「一銭五厘の旗」という長編詩を書いた。軍指導部の意識と徴兵で招集された兵たちとの意識の「絶望的な乖離」が良く分かる。
https://kogotokoub.exblog.jp/24682149/

陸軍上層部(海軍も含め軍上層部)連中は、【兵は消耗品】という意識が拭いきれなかった。だから、理不尽な要求の限りを尽くした。

インパール作戦が象徴的だが、大河を渡り、補給もままならない、峻険な2000m級の山々を歩き、雨期に入ると世界でも有数の雨が降り、マラリアなどの疫病が蔓延するジャングル地帯をわずか【三週間分の食料】で進軍させるのだから、「死ね」というのと同じ。

兵を消耗品だと考えている。それもこれも、兵隊を赤紙一枚で招集できる【徴兵制】の持つ「罠」だと言わざるを得ない。

「齋藤博圀少尉の回想録」で書かれている牟田口司令官と参謀の会話。

・・牟田口軍司令官から作戦参謀に『どのくらいの損害が出るか』と質問があり、『ハイ、5,000人殺せばとれると思います』と返事。最初は敵を5,000人殺すのかと思った。それは、味方の師団で5,000人の損害が出るということだった。まるで虫けらでも殺すみたいに、隷下部隊の損害を表現する。参謀部の将校から『何千人殺せば、どこがとれる』という言葉をよく耳にした。」・・・・

これこそが、軍上層部の徴兵された兵士に対する認識である。戦場経験の長い兵ほど「俺たちは消耗品」という認識を強く持った。

だからこそ、若い将校が生意気に振る舞うと、戦場ではその将校に後ろから弾が飛んだ。

ところが、牟田口クラスになると、将校も消耗品。「5,000人殺せば・・・」の中に将校も入っている。

【差別思想】と言えば、典型的な「差別思想」だが、これは、軍隊と言う組織に付きまとう【病理】と言ってもよい。

どんなに民主的な軍隊でも、戦況によっては、多くの兵を犠牲にしなければならない。戦場の指揮官は、多くの「犠牲」を払ってでも、勝利するために決断しなければならない瞬間がある。考え方によって、それは「差別」そのものと言って良い。

乃木希典の時にも書いたが、たとえ勝利をしても、多くの兵を犠牲にした指揮官は、兵の犠牲が滓のように心の中に沈殿する。逆に言えば、そういう心根の持ち主だけが、指揮官の名に値する。

兵の犠牲を自らの心の奥底で「罪」として意識できない指揮官は、それだけで失格だと思う。兵の生殺与奪の権を握る指揮官だからこそ、心の底から人の命を大切にする【ヒューマニスト】で【人格者】であるべきだと思う。

日本陸軍(日本軍と言ってもよい)は、徴兵制であまりにも簡単に兵員を集めることができるがゆえに、【一人の人間の命は地球より重い】というヒューマニズム精神が完全に欠落していた。

人の生殺与奪の権を握る将校や指揮官を育成する時に、徹底的な【人間教育】と【ヒューマニズム精神】を涵養しなかった事が、太平洋戦争時、多くの悲劇を生んだと思う。

人の命を何よりも大切にする指揮官だからこそ、全ての人間関係、上下関係などを考慮せず、勝利のために必要な最も合理的な作戦を実行できる。命を何よりも大切にするからこそ、慎重すぎるほど慎重に考え、行動する。命を何よりも大切にするからこそ、自らの作戦、行動に責任を持つ。決して、人のせいにしない。

組織は人である。自立した【近代的個人】の育成という発想も理念もない日本陸軍は、近代戦を戦う軍としての【近代化】に失敗したと思う。

戦場(特に中国大陸)で日本兵の数々の非人間的行為が行われた(多くの記録が残っている)のも、その全てを兵の責任に帰する事はできない。

@ まず、兵站線が伸び切り、食料を現地調達せざるを得ない状況を作り出せば、現地の人との軋轢が生じるのは当然。※「人は食べ物と水がなければ生きられない」という単純な真実を【精神論】で乗り切れなどと命令するのは、誰がどう見ても戦争指導者や指揮官の間違い。【水と食料】がなければ、それを得るためには、人間は獣になる。人の生存本能を馬鹿にしてはいけない。

A 家庭内暴力(DV)のありようを見れば一目瞭然だが、家庭内で暴力を受けて育った子供の多くは、悲しいかな、その後自分自身も暴力を振るう場合が多い。軍隊内で理不尽な暴力を受けた兵士は、敵に対して理不尽な暴力を振るだけでなく、民間人に対しても理不尽な暴力を振るう傾向が強く出る。⇒暴力的に食料を奪う。歯向かうものを射殺する。強姦するなど。

B ベトナム戦の時、米軍は、誰がゲリラか分からず、恐怖心に駆られて、多くの民間人を殺した。イラク戦争時、ファルージャなどでの米軍の蛮行は耳目に新しい。この最大の要因は、誰が敵か分からない「恐怖」にある。同様に、日本軍も中国戦線で数々の蛮行を行っている。当然だが、誰が敵か分からない恐怖に苛まれた結果としか言いようがない。

わたしの父は中国戦線に出征していたが、あまり戦争体験は語らなかった。しかし、ある時こんな話をしてくれた。

「中国戦線では日本兵は強かった。昼間敵と遭遇すると、すぐ敵は逃げるので、あまり戦闘はなかった。しかし、夜、その辺りの田舎町で野営をして、朝起きると、墨で黒々と「東洋鬼」と書いてある事がしばしばあった」と述懐していた。

親父から言わせると、非常に怖かったという。それはそうだろう。夜になるとゲリラが自由自在に出入りしているのである。いつ、襲われるか分からない恐怖に苛まれたのだと思う。この恐怖が、日本兵の蛮行の心理的要因であったことは間違いない。

※(注)「東洋鬼」とは、トンヤンキと読み、日本兵を指す。つまり、中国民衆から見れば、日本兵は鬼に見えたと言う事である。

戦後、A級戦犯の話はよく聞くが、B・C級戦犯の話はあまり聞かない。B・C級戦犯の大半は、下士官・兵・少数の民間人なのであまり語られないが、かれらこそ、戦争の被害者なのだと思う。自らの意志ではなく、徴兵によって招集され、上官の命令で犯罪的行為を行い、「戦争犯罪者」として裁かれる。彼ら一人一人は、故郷に帰れば、良き夫、良き青年として、平凡な人生を送れたはずなのに、戦犯として裁かれ、死刑判決を受けたものも多数いる。

わたしは、A級戦犯連中に対する同情心は全くないが、B・C級戦犯の人たちには、同情を禁じえない。彼らが裁かれた戦争犯罪は、日本軍の体質と構造から導き出されたもので、全てを彼ら個人の責任にするのは酷だと思う。

・・・・
【A級戦犯】
 
戦争指導者を対象としたA級戦犯は国際軍事裁判、BC級戦犯は中国をはじめ米英蘭仏豪フィリピンなどの関係7カ国がそれぞれの国の法規をもとに軍事裁判をおこないました。

【B・C級戦犯】
 
B級戦犯は日本も結んでいたハーグ陸戦法規などで規定する捕虜虐待など、C級戦犯は一般の国民に対する非人道的行為、となっていますが、B級は残虐行為の命令者、C級は実行者とする場合もあり、BC級と一括する言い方が一般的です。
 
BC級戦犯裁判は戦場となったアジア各地を中心に国内外49カ所でおこなわれ、被告は5千7百人、死刑判決は984人、死刑執行は920人とも934人ともいわれています(他は減刑や執行前死亡)。被告は、少尉以上が約30%、下士官が約51%、兵が約8%で、他は軍人以外です。被告には、日本の植民地支配化にあった朝鮮や台湾出身者を含む軍人軍属とともに、たとえば秋田の花岡鉱山で中国人が蜂起した際に虐殺した現場関係者や警官、九州大学で米兵を生体解剖した医師なども含まれています。・・・2006年 新聞赤旗 https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-08-31/20060831faq12_01_0.html

※A級戦犯 https://origamijapan.net/origami/2018/02/27/tokyo-trial/

※B・C級戦犯 https://home.hiroshima-u.ac.jp/utiyama/ISIS-12.4.W.html

戦後BC級戦犯の話が一番語られたのは、1958年にTBS系で放映されたフランキー堺主演の【わたしは貝になりたい】というドラマが話題を呼んだ時。わたしもその時初めてBC級戦犯の話を知った。戦争に翻弄された名もなき庶民の苦しみが伝わる名作だったと記憶している。

※わたしは貝になりたい・・・ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E3%81%AF%E8%B2%9D%E3%81%AB%E3%81%AA%E3
%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84


(4) インパール作戦の責任者のその後

戸部良一氏(帝京大学教授)は、
「悲劇のインパール作戦」を生んだ牟田口・河辺・東条
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO3416702015082018000000
で、東条英機について、以下のように述べている。

・・・「東条首相は優秀な軍事的テクノクラートでした。インパール作戦についても作戦開始前に(1)英軍がビルマ南部に逆襲上陸した場合の備えがあるか、(2)兵力の増加は不要か(3)劣勢の航空兵力で地上作戦に支障はないか、(4)補給は作戦に追いつけるか、(5)作戦構想は堅実か――と的確な質問をしていました。作戦開始後も(1)インド・中国ルートの遮断、(2)ビルマ南西岸沿いにタイを攻撃する作戦線を英軍に与えないことが任務だと指摘していました」
「昭和史講義 軍人篇」(ちくま新書)

 「問題は現地の苦境を知った時です。現地を視察した参謀次長が遠回しに作戦中止を示唆したときには『弱気』を叱責しました。インパール作戦の初期の成功は日本国内でも華々しく伝えられていました。ほかの戦場では、どんどん戦況が悪化していました。東条は、戦争指導の継続と政権維持を、インパール作戦の成功にかけつつありました」

 「東条は参謀次長を叱責したあと別室で『困ったことになった』と頭を抱えていたそうです。しかし中止命令は出さず、現地からの要請を待っていました。東条に責任感が欠如していたというより、積極的にイニシアティブをとる明確な戦略ビジョンを持っていなかったためでしょう」・・・

あるエピソードを書く。第31師団の佐藤師団長の話である。

解任された後、師団長は、日本刀をひっさげ、牟田口司令部に乗り込んだそうだ。「牟田口司令官」を「叩っ斬る」と物凄い剣幕だった。

牟田口が逃げ回って事なきを得たが、その時、佐藤師団長は軍法会議で死刑になる事を覚悟していた。軍法会議の席上で「牟田口司令官」や「河辺司令官」の犯罪を弾劾する準備をしていた。

結局、裁判は行われず、佐藤中将は退役になった。大本営が問題を隠すために、彼を「精神病」にしたのである。

結局、東条英機や杉山参謀長などを除き、インパール作戦の関係者は、戦犯にもなっていない。よく考えたら、たしかに、彼らは敵の捕虜とか敵兵に対する人道上の罪は犯していない。

インパール作戦で戦死したり、病死したり、自決を迫られた兵士たちは、結局犬死だった。

陸軍の意思決定のメカニズムは良く分からない。たしかに、インパール作戦の司令官は牟田口廉也中将だったが、作戦決行を承認した大本営の書類には、多くの将校の印が押してある。つまり、牟田口廉也に全ての責任を負わすわけにはいかない形になっている。

日本人の「空気」を読む研究で有名な評論家山本七平は、フィリピンの戦争最前線で分隊長だった。(部下10人程度)彼は、非常に興味ある証言をしている。

・・・・・
≪帝国陸軍では、本当の意志決定者・決断者がどこにいるのか、外部からは絶対にわからない。その決定が「命令」との形で下達されるときは、それを下すのは名目的指揮官だが、その指揮官が果たして本当に自ら決断を下したのか、実力者の決断の「代読者」にすぎないのかは、解らないからである。

そして多くの軍司令官は「代読者」にすぎなかった。ただ内部の人間は実力者を嗅ぎわけることができたし、またこの「嗅ぎわけ」は、司令部などへ派遣される連絡将校にとっては、一つの職務でさえあった。・・・・・(中略)

一体この実力とは何であろうか。これは階級には関係なかった。上官が下級者に心理的に依存して決定権を委ねれば、たとえ彼が一少佐参謀であろうと、実質的に一個師団を動かし得た。

戦後、帝国陸軍とは「下剋上の世界」だったとよく言われるが、われわれ内部のものが見ていると、「下が上を剋する」のでなく「上が下に依存」する世界、すなわち「上依存下」の世界があったとしか思えない。このことは日本軍の「命令」なるものの実体がよく示している。多くの命令は抽象的な数カ条で、それだけでは何をしてよいか部下部隊にはわからない。ただその最後に「細部ハ参謀長ヲシテ指示セシム」と書いてあるから、この指示を聞いてはじめて実際問題への指示の内容がわかるのである≫(『一下級将校の見た帝国陸軍』P319)・・・・・・

この形は、現在も日本の官僚システムの通例である。わたしのような教育制度の末端に位置していた現場教師でも、文部省の教育制度や教育内容の改変のたびに、文部省の文書はきわめて簡略で抽象的であることに驚かされた。
具体的内容は、各県の教育委員会から下される形になっている。文部省はどの方向からつつかれても、言い抜け出来る文章を出していた。

山本が書いているように、内部の人間は上位者の意図が奈辺にあるのかを嗅ぎ分ける能力が求められる、というわけだ。

それから、山本が指摘している・・・「上が下に依存」する世界、すなわち「上依存下」の世界」・・は、荒れた学校時代では、日常だった。おとなしく、強引な荒事が苦手な校長連中は、体育会系の荒っぽい教師(生徒指導担当)に依存する場合が多かった。そうなると、生徒指導担当の教師の発想で学校体制それ自体が動かされる場合が多くなった。

一般の教師は、山本の言う誰が実力者か嗅ぎ分ける能力が重要になる。それで問題が起きた場合は、校長が釈明をせざるを得ない。しかし、校長は、ほとんど事情を知らずに釈明する事になり、問題をさらに大きくする場合もあった。

これと同様に、軍内部でも、戦争のような非日常の世界(荒事)に向いている司令官とそうでない司令官では、部下に対する姿勢が全く異なっていたはずである。河辺司令官と牟田口司令官の関係がそれを物語っている。

軍隊の序列と責任の序列が判然としない官僚的組織の弊害が日本軍の弱点だったと言える。

最後に牟田口中将について述べておく。

彼の「精神主義」が如何に荒唐無稽であったか。彼の演説が克明に物語っている。

兵隊たちに語って曰く。「周囲の山々はこれだけ青々としている。日本人はもともと草食動物。これだけ碧山を周囲に抱えながら、食料に困るなどということは、ありえない事だ。」と大真面目に訓示したそうだ。

野草がいくらでもあるのだからそれを食べれば飢えるはずはない、という論理。指揮官がこれでは兵はたまったものではない。

もう一つ紹介しておく。インパール作戦失敗後の7月10日の訓示。「皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口でかみつけ。日本男子には大和魂があることを忘れちゃならん。・・・・」

こんな訓示を延々と続けた。戦闘と敗走のため、疲れ果てた将兵たちは次々とぶっ倒れた。

まあ、「精神主義」もここまでくると、「宗教」以外の何物でもない。事実、彼はインパール作戦の最後の方では、神頼みを繰り返していたという。本人が神頼みをするのは勝手だが、指揮官に命を託している下士官・兵にとっては、たまったものではない。

戦後、牟田口はインパール作戦の正統性を語り続けていたようだが、最後まで自らの非を認めず、反省もしていなかったようだ。

「勇ましい話をする奴ほど裏切る。勇ましい話をする奴は決して信用するな!」わたしの家で親父と戦争中の話をしていたおじさん連中の結論はいつもこうだった。

まあ、今でも牟田口と似たような話をする連中は、掃いて捨てるほどいる。ネット上で牟田口そこのけの精神論を垂れ流す連中も掃いて捨てるほどいる。ネトウヨと呼ばれる連中は、牟田口の後継者と思って間違いない。

歴史は誰の立場で見るかで、様相が一変する。人は馬鹿だから、どうしても指揮官の立場でものを見がちだが、現実には指揮される兵になる人間が圧倒的に多数。皆、自分が兵になる事を想像していない。

前に、「志願制」と「徴兵制」における兵士の扱いの心理的違いについて述べてきたが、現在の自衛隊が全く同じ状況に直面している。

自衛隊志願者が激減しているのである。人手不足が深刻なため、自衛隊志願者が減少している。同時に、【同盟の深化】の名目の下、米国の戦争の下請けとしての「自衛隊」の存在がじょじょに明らかになるにつれ、海外での戦争に参加する危険性が高まっている。本当の戦争などしたくない若者は自衛隊に志願しない。そのため、自衛隊も高齢化が深刻になりつつある。

今、安倍政権内で静かに【徴兵制復活】の話が持ち上がっているという噂が絶えない。現在の自衛隊志願状況を考えれば、【徴兵制】復活以外、兵の補充が難しくなる可能性が高い。

もう一つ現実に考えられ、実行されている可能性が高い政策が、戦前の日本がそうだったように、若者たちを貧困状況に落とし込み、食うために「自衛隊」入隊を考えさせることを主眼に行われているという可能性だ。

結婚もできない若者たちを大量に生み出している現在の経済政策や「働き方改革」の名のもとに行われている「奴隷政策」。どれもこれも、【徴兵制復活】の臭いがプンプンとしている。

こんなことを考えたり、発言したりする連中は、自分が【兵】になる事を想定していない。おそらく、自分の子供も兵にならそうとはしない。イラク戦争の時、米国の上下院の議員の子供で戦場に出かけたのは、ほとんどいなかったはず。自分や自分の息子が痛まなければ、他人や他人の息子が犠牲になっても心が痛まない、というのが、人間の性。

「勇ましい言葉に騙されるな!」は、今も昔も真実。であるなら、兵の立場で戦争を学ばなければ、何の役にも立たない。21世紀になっても、「インパール作戦」のような愚行に熱狂する国民では進歩がない。
 
0009 「真実」という名の映画 厚顔 09/02 15:22
 

是枝裕和監督の『真実』という映画が今年のベネチア国際映画祭のオープニング作品として上映されたとのニュースがあった。まだ一般公開されていないし,内容もインターネット(下記URL)で配給元GAGAから簡単に紹介されて居るだけである。
 
https://gaga.ne.jp/shinjitsu/

ただ昨今の世上から、『真実』という映画の題名に注目させられた。何故ならいま世界の政治家の中には事実を無視しフェイクニュースを自作自演し、堂々と嘘をついて憚らない政治家も見られるからである。これでは正義が衰退し偽善がはびこり,独裁政治が台頭し、民主主義は衰退する。

例えば米国では議会に事案を通さず,大統領令を頻繁に発令し事を実行し,日本では国会を開かず閣議決定で行政を進める傾向である。また森友・加計問題では行政の資料隠しやデーター改ざんで一人の官僚が自殺に追い込まれたにも関わらず、事件の当事者は頬被り、行政の責任者は検察の訴追も免れている。行政の最高責任者が嘘をつけば全ての行政機関の正義も揺らぎ、引いては国民の倫理観も次第に薄れてくるであろう。

是枝監督はどのような動機で『真実』という映画を製作されたか分からないが、先ずは日本の映画監督が作ったことに意義がありそうである。その映画は外国の家庭内の嘘が主題らしいが、嘘に家庭も政治世界も日本も外国もない。必要なことは皆が嘘か真実かに敏感になり、真実を求める姿勢である。そのようなことから映画祭が終わったら、極力多くの日米欧の映画館で上映され,観客の倫理観を呼び覚まし、引いては世界の政治家の嘘が及ぼす悪影響の大きさを想像し,政治家への観察眼が高まることを願いたい。後は映画祭の審査委員の眼に期待したい。

余談ながら、今や日本では首相が嘘をつくのだから、政治家も嘘をつき、官僚もデーターを改ざんして当たり前の風潮。終いには小学生から、「政治家も嘘をついてるやないか」と先生が詰問され、先生は文科省の官僚や教育委員会も嘘をついてることを噛み殺さざる得ない事態にならないことを願いたい。
 
0010 日本は完全な後進国(政治も経済も学問研究もメディアも国民の知的・道徳的民度も) 流水 09/07 11:30
 
ソフトバンク社長の孫正義氏の痛烈な日本批判が話題を呼んでいる。
・・・「日本はAI後進国」・「衰退産業にしがみついている」・「戦略は先輩が作ったものの焼き直しばかり」・・・・

実に痛烈な批判だが、おそらく日本の支配層(安倍官邸・財務省や経産省の官僚・経団連などの経済界・大手メディアなど)の連中には、孫社長の言葉は響かないだろう。響いたとしても、【それなら、どうする】という戦略性は皆無だろう。

だから、日本はものの見事に「後進国」へ転落したのである。

【1】 公文書・統計数値の改竄など、白昼公然と嘘がまかり通る社会

この政権の連中(官僚も含め)は、統計数値に込められた数値以上の【意味】を推察する想像力が決定的に欠落している。

数字は単なる数字ではない。「なぜ、このような数字が出たのか」を徹底的に議論し、その背景や要因を考察し、その結果に基づいて新たな政策を創出する。その意味で、「統計数値」というのは、国の政策の根幹を考える一番重要な「数値」。

これを改竄したり、誤魔化したり、統計数値の取り方を変えたり、時には取らなかったり、出しても黒塗りだったりする。誰が見ても裏に何かやましいことがあるのではないか、と疑われても仕方がない。

この「統計数値」に対する疑問や不信感が噴出している国家など、近代国家としての体をなしていない。とてもじゃないが、「先進国」などとは言えない。

昔の日本では、大人たちは、子供に、「嘘つきは泥棒の始まり」という諺を懸命に教えたものだ。これでは、現在の安倍政権や官僚たちは、みな泥棒になってしまう。こういう連中が、道徳教育の重要性を説くのだから、何をかいわんや。

2017年、内閣府が作成した公文書ガイドラインでは、重要な打ち合わせの記録が義務づけられたが、作成すべき「打ち合わせの定義」があいまいなため、職員が記録を作成しない恐れがあると各省庁が指摘していた。

ところが、内閣府は各省庁の指摘を聞き入れなかった。そのため、首相官邸を筆頭に各省庁で相次ぐ「打合せ」未記入という結果がもたらされた。

9月4日の毎日新聞(一面)は、内閣府が事実上記録を残さないで済む【抜け穴】を残したと疑わざるを得ない、と報じている。

政策決定がどのような人物が関り、どのような話し合いがなされ、どのような決定がなされたかを後世に知らせる最重要な文書である。

公文書の改竄とか記録していないとか破棄をしてしまうというのは、後世の検証をできなくする。「歴史に対する冒涜」と言って良い行為。安倍内閣になってこの種の行為が多すぎる。

安倍内閣が「歴史修正主義者」の内閣である事は良く知られている。こういう公文書の扱い方を見ていると、彼らの言う「歴史修正主義」は、自分の都合の良い事実だけを取り上げて歴史を解釈するきわめて恣意的な歴史観だと言う事が良く分かる。

こういう歴史観で全ての国内政策、外交政策を構築すれば、必ず失敗する。どんな不都合な真実でも正面から受け止めなければ、正しい政策は構築できない。

それと真逆の、『「不都合な事実・数値・真実」は、決して受け入れない。不都合な事実や数値・真実を語る奴は、排除する』、という姿勢で、正しい内政政策・外交政策ができるはずがない。

こういう為政者の姿勢を【ファシズム】とか「独裁政治」と呼ぶ。こういう国家が「先進国」だなど、恥ずかしくて言えるはずがない。

【2】 経済政策(アベノミクスの大失敗)

🔷数字が示す日本の惨憺たる実情

・日本の労働生産性、先進国最下位
・競争力、世界30位(1997年以降最低)
・平均賃金、OECD加盟35カ国中18位
・相対的貧困率、38カ国中27位
・教育に対する公的支出のGDP比、43カ国中40位
・年金の所得代替率、50カ国中41位
・障害者への公的支出のGDP費、37カ国中32位
・失業に対する公的支出のGDP比、34カ国中31位
 などなど
・・・・日本はすでに後進国か(ニューズウィーク)
https://www.newsweekjapan.jp/kaya/2019/08/post-78_3.php

近年、日本が急速に貧しくなっているのは、多くの人が実感しているはず。最も分かりやすい例は、「子ども食堂」。子供の貧困が拡大。子供が成長する環境が急速に劣悪になっている事が分かる。上記の数値を見ると、一目瞭然。

世界で最も読者数が多いとされる「ニューズウィーク」の記事の指摘である。政府やメディアはもう少し真剣にこの国の実情を憂いたほうが良い。

上記の統計でも指摘されているが、日本の平均賃金は、OECD諸国の中で18位。中位と言って良い。

ところが、日本の平均賃金の推移をみると、愕然とする。

🔷国税庁の「民間給与実態統計調査」

◎1990年の平均給与は425万2000円(1年勤続者、以下同)。⇒97年まで上昇。
⇒1997年 467万3千円 (ピーク)・・・・・・⇒下降傾向
●2017年 平均給与 432万2千円。

432万2千円−425万2000円=7万円 
※1990年〜2017年の27年間で、平均給与上昇は、わずか7万円。27年間で7万円しか平均給与が上昇していない、と言う事は、27年間経済成長もほとんどしていない、と言う事を指す。

27年間、経済成長を殆どしていない国は、OECD各国にはいない。これ一事を以てしても、日本の地盤沈下は明白。これが日本の現実。

こういう不都合な真実を正面から直視し、原因を徹底的に究明し、問題を是正する政策を提示するのが政権与党の役目。その政策をチエックし、問題点を論議し、国民にとって最も有利な政策にブラッシュアップしていくのが、国会の役割。原則的にいうならば、これには、与党も野党もない。主人公は国民という原則を守るのが、国会議員の義務。

ところが現在の安倍政権、現在、6ケ月も国会を開いていない。日韓危機を初め、日米FTA交渉(日本の惨敗)、政務官の不祥事など多くの課題が山積している。ところが、安倍首相は素知らぬ顔で実りのない外遊三昧。

参議院選挙の前、安倍首相はどう言ったか。憲法論議をする政党か、審議に参加しない政党か選択する選挙だと言ったはず。まあ、どの面下げてそんな事を言えるのか。

本来なら、野党はじめメディア総がかりで国会審議をしろ、と声をそろえなければならない。
その国会審議をあらゆる角度から吟味し、国民に真実を伝えるのが報道機関の役目。報道機関が独占的に政府与党や各省庁などに取材できるのは、報道機関が国民の「知る権利」の代役をしているという原理原則があるから。

しかし、その報道機関も韓国の悪口三昧。日本国内の問題を報じようともしない。こんな報道機関で「先進国」だなどとうぬぼれないでほしい。含羞をしる報道人なら、恥ずかしくて外を歩けないはず。報道機関や報道人は、もう一度自分たちに国民から託された使命を認識してほしいものだ。

🔷労働賃金が上がらない理由

経済ジャーナリスト岩崎博充は以下のようにまとめている。

@労働組合の弱体化
A非正規雇用者の増加
B少子高齢化の影響
C内部留保を貯め込んで賃金を上げない経営者
D規制緩和の遅れがもたらした賃金低迷
・・・「日本人の給料がほとんど上がらない5つの要因」

上記については、各方面の専門家によって、指摘されている。

🔷日本の世界における輸出の割合

・・・『2017年における世界輸出に占める日本のシェアは3.8%しかなく、1位の中国(10.6%)、2位の米国(10.2%)、3位のドイツ(7.7%)と比較するとかなり小さい。』・・・(8/27ニューズウィーク日本版)

・・驚くべきなのはドイツで、GDPの大きさが日本より2割小さいにもかかわらず、輸出の絶対量が日本の2倍以上もある。・・(8/27ニューズウィーク日本版)

つまり、ドイツには、売るべきものが日本の二倍以上ある、というわけだ。裏を返せば、日本には売るべきものがドイツの半分以下しかないと言う事を意味している。

今回、韓国のホワイト国除外時有名になったレジスト、フッ化ポリイミド、エッチングガスはドイツBASF社が韓国に提供するという話。同時に韓国はシャカリキになって国産化へ向けて努力している。

9月6日付の毎日新聞によると、韓国では「安倍首相ありがとう」というスローガンがあるそうだ。どういうことか。安倍首相の今回の措置で、韓国は、日本の属国的経済状況にあると言う事を知らせてくれた。だから、安倍首相に感謝するというわけ。だから、韓国は自立しなければならないというわけである。

まあ、韓国に一泡吹かせ、胸がスーとしたと快哉を叫んでいるネトウヨ思考の連中には理解できないだろうが、今の世界は高度な分業時代。現在の日本は半導体製造から完全に脱落。サムソンの足元にも及ばない。だから、その材料生産での高度な技術でサムソンに売っている。ところが、今回のバカげた措置で、その貴重な売るものすら売れなくなる羽目に陥る。

今や日本は「後進国」なのだから、上記のような貴重な技術が必要な製品は、どんなことがあっても守らなければならないが、その逆を経産省がしているのだから、本当に阿呆としか言いようがない。

世界の情勢と自国の「不都合な真実」を見る事が出来ない馬鹿が権力を握ると、本当に国が滅亡する。

【3】知的劣化と道徳的退廃

現在のTVを見ると、ほとんど見るに堪えない状況。コメンテーターと呼ばれる連中のあさはかなコメントを聞いていると、なぜ彼らが今の地位を勝ち得ているか理解に苦しむ。

リテラの記事を引用してみる。
・・・
先週8月27日放送のTBS系ワイドショー『ゴゴスマ〜GOGO!Smile!〜』(CBCテレビ)において飛び出した、武田邦彦・中部大学教授による「日本男子も韓国女性が入ってきたら暴行しなけりゃいかんからね」というヘイトクライム煽動発言。
・・・中略・・・
東国原の発言がいかにひどいものであったか。あらためて振り返っておこう。問題が起きたその日の放送では、東国原が「日本は法を遵守、あの方たちは正義があったら法律変えたらいいと思ってますからね」などと文政権批判や韓国ヘイトをまくし立てていた。東国原の発言が途切れたところで、金教授が「あの……」と意見を述べようとしたところ、突然、敵意をむき出しにして、乱暴な口調でこう怒鳴りつけたのだ。

「黙って、お前は! 黙っとけ!この野郎。喋りすぎだよ、お前!」

 さらに、金教授について東国原は「韓国では、親日家の右派なんですよ。でも日本に来ると、左派・反日系を装うじゃないですか。これ『ビジネス反日』と僕は言ってるんですけど」などと言い、対して金教授がいたって冷静に「私、親日保守なんだけど、そういう意味で私は東さんのことも大好きなんだけど、それと……」と述べるも、「嫌いだよ、俺は!」と吐き捨て、コーナーの最後にもこう発言した。

「大人の対応しているだけ、僕が! 日本ですよ、僕は! 大人の対応してるんですよ。(金教授のほうを指差しながら)でも、もうブチギレそうなんですよ!」・・・・

まあ、一応大学教授の肩書がある人間が、「日本男子は、韓国女性を暴行しなければならない」などという発言をTVの公共の電波で発言する。こんな発言を欧米のTVでしたらどうなるか。彼は考えたことがあるのだろうか。彼の社会的生命は、一瞬にして終わるだろう。

TV局もTV局で、一応司会のアナウンサーが30日に謝罪をしていたが、TV局としての品位を疑われても仕方がない。

それと同等かそれ以上に問題があるのが、東国原の発言。人の発言を妨げるどころか、イデオロギー的反感をむき出しにした感情的発言を繰り返している。彼も宮崎県知事を務めた人間らしいが、あまりにもお粗末な態度である。

女性蔑視をむき出し。彼の品性・人間性がむき出しになっていて、この程度の人間に偉そうにコメンテーターを名乗らせる現在のTV局の知的レベルの低さを象徴している。

この二人の発言と五十歩百歩のコメンテーターが大手を振って闊歩しているのが、現在のTV局の現状。知性もなければ、道徳的倫理観もない。ましてや、新たな知見もない。ひたすら政権よいしょ(強者に対するおもねり)と野党や政権反対派や少数意見(一言で言えば、弱者)にたいする攻撃と蔑みと揶揄以外何かあるのだろうか。

知性の劣化、道徳的倫理観の欠如。このような連中に知的リーダーを名乗らせる日本の現状を、【後進国】と言わずしてなんと言えばよいのか。

【4】 法治国家(法の下の平等)が崩壊している社会

以前、ファッショ国家がファッショ国家である所以の一つに、【法の恣意的適用】を挙げた。戦前の法適用の原則を、【天皇との距離に反比例する】と書いた。

◆天皇との距離の近いもの(社会的地位の高いもの)の犯罪は、汲むべき事情をできるだけ斟酌する。(減刑を前提にした配慮の下で法適用を行う)
◆天皇との距離の遠いもの(社会的地位の低いもの;例 庶民や二等兵クラス)の罪は、汲むべき事情は配慮しない。(厳罰を前提にした法適用を行う)

このような法適用を行う社会では、【法に対する信頼】は、間違いなく損なわれる。

振り返って、日本の現状を見てみよう。安倍内閣発足以来、どれだけの閣僚の不祥事が報道されたか。小渕優子、甘利明等々。安倍晋三本人の森友学園や加計学園疑惑。それに伴う財務省の公文書改竄疑惑。誰一人、司直の手に落ちたものはいない。もはや司法に正義はないと言われても仕方がない。

それでいて、権力に歯向かう連中の間違いは、ほんの少しの瑕疵も許さない。籠池夫妻に対する司法の扱いは、【非道】の一言である。高齢の籠池夫妻を半年以上拘置所に留置。夫妻が安倍夫妻の関与を語るのを封じた。時の権力の走狗と化した司法権力の堕落・退廃が目に余る。

権力側の狙いは、権力に歯向かう事を諦めさせる。羊のように従順な国民を作る事であろう。

現在の大手メディアなどは、牙を抜かれた狼どころか、ご主人に腹を見せて媚を売る番犬そのもの。もはや、【無冠の帝王】と呼ばれたジャーナリズムの面影はない。報道の自由度が韓国以下に転落するのもむべなるかなである。

例えば、文大統領の側近と呼ばれた国(チョグク)氏。10時間になんなんとする記者会見を行っている。

わたしは彼の非違行為それ自体には興味がない。それは、韓国司法と韓国国民が判断すれば良いこと。われわれが騒ぐ問題ではない。興味があるのは、国氏の10時間に及ぶ記者会見をやってのけた気力と、ボロを出さずにやり切る能力。

一口に10時間というけれど、きちんと整合性を以て、ボロを出さずに、検察の追及を避けるように(一番関心を持ってみているのは検察)、しかも多くの国民が納得できるように誠意をもって、緊張感を途切らせないように語る、というのは至難の業。誰にでもできる技ではない。これだけでも、政治家の資質は十分以上にある。

翻って、日本の政治家連中を見てみれば、その差は一目瞭然。小渕、甘利をはじめ、丸山穂高や上野宏史などの政治家連中の情けないこと。記者会見を逃げ回り、全て病院に逃げ込んだ。「人の噂も75日」ととんずらをかまし、鎮静化したころを見計らって復権を果たす。まるで小狡い狐。人間としての信頼性が欠落している。

どちらが政治家としての素質があるか一目瞭然。彼らに10時間に及ぶ追及に耐えられる能力も気力もない。安倍晋三も同様。

この彼我の差をきちんと報道できない日本のメディアも同罪。TVで韓国人を馬鹿にし、差別する日本人こそ恥ずかしい。武田や東国原の韓国蔑視の視点が、いかに正常にものを判断する目を曇らせているかは一目瞭然。

さらに言えば、これだけ時の政権の希望の星である人物の非違行為を追求し続ける【韓国司法】の勇気も称賛に値する。日本の司法の腰抜けぶりに比べれば、はるかに評価できる。これでは日本は韓国にも劣る【後進国】と揶揄されても仕方がない。

以前から、わたしは、「覇権国家」が「覇権」を降りなければならない時が一番危険だ、と警鐘を鳴らしてきた。現在のトランプ政権のハチャメチャぶりを見れば、その事が証明されている。

同様に、日本が先進国から滑り落ち、後進国へと転落し始めているからこそ、今回の日韓危機が起きたと言える。

ネトウヨ・TVメディア・首相官邸・経産省・政治家連中の劣化がその事に拍車をかけている。彼らは、いつまでも「日本は先進国」という夢に生きており、「後進国」という現実を正面から見ようとしていない。

その事自体が、【後進国】の特徴だと言う事すら気が付かない。見事な劣化ぶりである。
 
0011 愛国心雑感! 流水 09/13 15:22
 
🔷愛国心とはならず者の最後の拠り所である ―サミュエル・ジョンソンー

人口に膾炙した言葉である。

この言葉、一般の理解とは異なり、米国独立戦争時、独立を求める米国側にたいして英国側の立場に立って、吐かれた言葉。いわば、一種のヘイトスピーチともいえる。

であるとしても、この言葉。正鵠を得ていて、現在でもきわめて有効である。

以前にも紹介したが、戦前、日本でも「愛国無罪」という言葉があった。「愛国」を叫べば、何をしても許される、という考え方。
つまり、国家と自分を完全に一体化し、最後には自分の行動は国家の意志を体現していると考える思想である。

この種の人間と議論していると、必ず喧嘩になる。何故なら、彼らは、国家=「真であり、善であり、美」であると思い込んでいるわけだから、自分の議論が間違っているなどとは決して考えない。

自分を「真善美」の体現者であると信じ込んでいるのだから、相手が何を言おうと聞く耳を持たない。こういうトランス状態に入った人を「洗脳」された人という。こういう人は新興宗教の入信者に多いのだが、愛国心に燃えている人にも往々にして似た状態に陥る人がいる。

だから、彼らと違う考え方の持ち主や行動をする連中は、【国家の敵】であり、絶対許せない。【敵】に対しては、どんな攻撃をしても許される、と考える。

実は、愛国心を叫ぶ人間には二通りのタイプがある。国家と自分を一体化させて、トランス状態に陥る人間と、それを冷静に眺めながら、彼らをどう利用すれば支配がうまくいくかを考える人間がいる。

そして、「愛国心」の虚偽を指摘し、政府の施策に反対する敵対勢力に対しては、「愛国心」を旗印にして理不尽な方法で排除する。戦前なら「赤」。現在なら「反日勢力」。この種のレッテル貼りで、理も非もなく排除する。そのためには手段を選ばない。「愛国無罪」である。

戦前の特高警察・ナチスのゲシュタボの冷酷非道の手口は、こういう思想に基づいて行われた。

ドイツの詩人 ハイネは、以下のように語る。

🔷「不思議なことだ、いつの時代においても悪人は自分の下劣な行為に、 宗教や道徳や愛国心のために奉仕したのだという仮面を着せようとつとめている」

洋の東西を問わず、「愛国心」を強調する連中の本性は、似たようなものだ。

もう一つ、二つ紹介しよう。皮肉屋で有名なバーナード・ショウは以下のように語る。

🔷人類から愛国心を叩き出してしまわないかぎり、あなたがたは決して平穏な世界を持たないだろう。

🔷愛国心とは、自分がそこに生まれたという理由で、その国が他より優っているとする信念のことだ。

日本の皮肉屋、勝海舟は以下のように語る。

🔷憂国の士という連中がいて、彼らが国を滅ぼすのだ

まあ、洋の東西を問わず、時代を問わず、【愛国】という言葉には、呪術的魔力がある。だから、自民党は道徳教育で【愛国心】を叩きこもうとしている。戦後、自民党が、文部行政に介入し続け、日教組批判を続けてきたのも、【愛国心】という言葉の持つ呪術的魔力を国民に吹き込むためである。

文部族と呼ばれる族議員の大半は、岸信介の系譜を継ぐ、自民党右派の【清和会】。今回文部大臣になった萩生田は、【教育勅語】を額に入れて飾っているそうだ。筋金入りの国粋主義者。教育に最もふさわしくない人物だと思われる。

インパール作戦の中でも書いたが、現在の自衛隊の志願者不足は深刻。現在の安倍政権が取っている軍備増強策の行きつく先は、【徴兵制】復活につながらざるを得ない。

だからこそ、文部行政に介入。道徳教育の正式教科化。教育基本法を改悪。【愛国心教育の強制】を通じて、徴兵制復活を夢見ている。

愛国心の呪術的魔力を振り払うにはどうするか。それには、愛国心の考え方を広げる以外ない。

伝説のギタリストと呼ばれたジミー・ヘンドリックスは、こう喝破する。

🔷「愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理させるな!」

インド独立の父、マハトマ・ガンジーは、以下のように語る。

🔷愛国心は人類愛と同一である。

ヘンドリックスの言葉「魂を国家に管理させるな!」こそが、人間の自立の原点だろう。魂を国家に売り渡していないからこそ、国家の罠が良く見える。だからこそ、厳しい批判の声を上げる事ができる。

自分たちが属している国家だからこそ、厳しい批判の声で間違いを正さなければならない。「魂を国家に管理されない」人間だからこそ、本当の意味で国家を愛する事ができる。

自らの国家を外からの視点で客観的に検証する姿勢こそ、本当の意味での「愛国」的行為だと考えている。

この逆説的な発想にこそ、偏狭なナショナリズムや排他的愛国心を克服するヒントがある。
 
0012 Re: メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと(第十七期)  名無しの探偵 09/15 12:39
 
「西欧中心史観からの脱却は難しい」

流水さんの引用したサミュエル・ジョンソンの言葉に触発された(「愛国心とはならず者の最後の拠り所」)が、戦中・戦後をリサーチしてみると歴史というものが隠れた思考パターンに囚われていることがおうおうにしてありうるように思われてならない。

唐突であるが、歴史学の通年に疑念を持つ昨今である。第一次世界大戦、第二次世界大戦とは言うが、前者はヨーロッパの戦線であり、後者は主にヨーロッパ戦線が舞台であり、日本とアメリカは後半に参戦したこと。日本は日中戦争(日本の侵略)に明け暮れていたにすぎない。

「世界」大戦という呼称(通説)には注意が必要であるだろう。
そもそも「世界史」というオール・オーバー・ザ・ワールドが成立したのは19世紀になってからであり、それまでは日本に関する限り中国との朝貢関係に基づく冊封体制下にあったのである。

戦後史という時代区分もミスリーディングな用語である。特に8月15日の敗戦の日に戦争終結が一夜にして成ったというような歴史学の通念は俗説に近い。

実際上、ポツダム宣告(20年、7月)で戦争継続はできない様相を呈していたし、天皇主権という非公式の帝国概念により白旗を挙げられなかっただけなのである。(参考文献として、「オリバーストーンが語るもうひとつのアメリカ史 1」)

8月15日の神話に拘泥していては戦後史は表面的なものに終わる。

(全体的な参考文献として、木畑洋一「20世紀の歴史」を挙げる)
 
0013 いよいよ、日本型棄民政策の始まり! 流水 09/22 10:41
 
(1)棄民政策の実態

千葉県の電力不足は深刻。今回の事態ほど、現代の社会生活は、電力によって支えられているという実態を浮き彫りしたものはない。電気が無くなれば、人々はただちに【生存の危機】に陥る。その事を象徴的に示してくれたのが、今回の千葉県での電力危機。

「先憂後楽」という言葉がある。

※(北宋の忠臣范仲淹の「岳陽楼記」の「先二天下之憂一而憂、後二天下之楽一而楽」によることば) 憂うることは人に先だって憂い、楽しむことは人に遅れて楽しむ。忠臣の国を思う情。・・・精選日本国語辞典

東京の「後楽園」。岡山県の「後楽園」(日本三名園の一つ)。いずれも、この言葉より採っている。

要するに、君主は民が心配する前に心配し、民が楽しんでからその後に楽しみなさい、という君主の心構えを説いた教え。

江戸時代以来、日本の政治家は、建前であったとしても、「先憂後楽」の精神を口にし、実践しようと心掛けてきた。こういう教えは、口にする事が重要。なかなか実践できなくても、日ごろから口にしておけば、自らの言動に対する【歯止め】にはなる。

ところが、「先憂後楽」の教えの正反対の行為をするのが、安倍政権とその仲間たち。

千葉県を中心に甚大な台風被害が深刻化するなか、災害対応そっちのけで改造人事にウツツを抜かしていた。

昨年7月の西日本豪雨災害の時も、「赤坂自民亭」での飲み会に興じていた。結果、初動が遅れ、大方の批判を浴びた。

今回も同様。気象庁からは、「世界が変わる」ような被害が出る可能性があるという警告が何度も出されていた。

それにも関わらず、能天気な判断で、内閣改造を行い、小泉進次郎フィーバーを政権浮揚に徹底的に利用した。メディアもメディアで政権の思惑を承知の上で、進次郎フィーバーを演出した。それでいて、関東への台風直撃に対して、官邸での対策委員会すら設置していない。

菅官房長官は、17日の定例記者会見で初動の鈍さを指摘されると、「政府一体となって警戒態勢を確保し、対策を進めている。台風上陸前から迅速、適切に対策を行った。(上陸後は事務レベルの)関係省庁災害対策会議を5回も開催している」と強弁した。彼には反省の二文字はないようだ。

たしかに「先憂後楽」の言葉は、儒教的で古いかもしれないが、その精神は古びていない。為政者は、民の心配を先取りし、民の幸福を希求しなければ、為政者としての資格も存在価値もない。

TBSの報道特集で金平記者は、【棄民政策】だと批判していたが、当然だと思う。

国民の命と安全を軽視する安倍政権の体質は一向に変わっていない。これがファッショ政権の特徴だ、と言えば、そうなのだが、いよいよ後戻りできない地点まで来たな、というのが率直な感想である。

実はこの体質は東電にも色濃く表れている。危機管理の鉄則は、「最悪を想定して準備する」ことにあるが、今回の千葉県の電力復旧の遅れは、東電の「危機管理」の認識の甘さを如実に示している。

福島原発事故の時も東電の事故想定の甘さが問題になったが、今回もその体質は全く是正されていない事が明らかになった。

日本を代表する企業から次々と噴出するあまりにもお粗末な対応を見れば、弱者の声を真摯に聞こうという姿勢が、完全に欠落している事が良く見える。現在の日本を象徴する【病根】である。

それは、安倍が改造内閣の最重要課題と位置付ける社会保障改革にも如実に表れている。

・・・安倍は11日の組閣後会見で、社会保障改革の司令塔として新設する「全世代型社会保障検討会議」の設置を表明していたが、さっそく20日に初会合が開かれる予定だ。

 検討会議では、「全ての世代が安心できる社会保障制度」のあり方を議論するというが、読売新聞(12日)によれば、主な検討課題には年金、医療、介護の分野で苛烈な国民いじめメニューがズラリだ。

▽年金受給開始年齢引き上げの選択肢を拡大
▽短時間労働者の厚生年金加入
▽後期高齢者の窓口負担引き上げ
▽少額の受診でも一定額の負担を求める「受診時定額負担」の導入
▽介護保険サービスの自己負担引き上げ
▽軽度の要介護者に対する保険給付抑制

 これだけざっと並べてみても、社会保障改革の実態が、国民負担をいかに拡大させるかという一点に尽きることが分かる。各分野の負担を引き上げる一方で、給付は抑制するという話でしかないのだ。・・・・日刊ゲンダイ

要するに「全世代型社会保障」などという口当たりの良いネーミングを持ち出したと言う事は、その内容はろくでもない事の裏返し。

この政権は、言葉で国民を騙すことに専念している。政権幹部は、官僚の存在意義は、いかにして国民を騙す手口と言葉を編み出すかにある、と考えている。

戦後すぐの官僚たちには、自分たちが国を背負っているという気概が感じられたが、そのような骨のある人材は、安倍政権下では決して出世しない。

(2) 米国の日本収奪計画の歴史的経緯

歴代自民党政権、特に、小泉政権以降の【清和会】政権、なかんずく、安倍政権下で、米国が、どのように国民を貧困化し、奴隷化し、日本を後進国に転落させる政策が実施されたかを検証すれば、この政権が国民生活の向上や安寧のために存在するのではなく、米国支配のために日本の国富を提供している真の意味での【売国奴政権】である事がよく理解できる。

@ 1985年 プラザ合意 
(原因) 米国の双子の赤字 (財政収支、経常収支)
(解消) 円の切り上げ 1$=235円 ⇒ 1$=120円台
このため、日本経済は一時的に円高不況に陥る。
対処方法として、日銀が低金利政策などの金融緩和を打ち出す。結果、投機が加速。空前の財テクブーム。
(結果)1980年代後半のバブル経済や、その後の長期間におよぶ景気低迷のきっかけになったと言う説もある。
A 包括貿易法スーパー301条 =貿易制裁を決めている法律
※通商法301条 
https://kotobank.jp/word/%E9%80%9A%E5%95%86%E6%B3%95301%E6%9D%A1-1822622

プラザ合意にも関わらず日米の貿易不均衡は解消しなかった。パパブッシュ大統領は、スーパー301条適用をちらつかせて、日本の構造改革、内需拡大、市場開放を迫った。⇒基本的に言えば、米国の日本に対する【内政干渉】

●1989年9月  日米構造協議
●1990年6月  日米構造協議最終決定
当時の海部内閣⇒米国の内政干渉に屈服⇒
🔷10年間に430兆円の公共投資⇒関西新空港、東京湾横断道路、東京臨海部開発など
🔷大店法改悪⇒トイザラスをまもるため ⇒ 後にシャッター商店街を作る最大の原因になる
●1994年 村山内閣時 ⇒米国の要求で 公共投資200兆円積み増し。

この一連の外圧に負けた日本政府の対応は、これ以降の日本経済に大きな影響を与える。

🔷財政赤字の拡大⇒10年間で630兆円に上る財政出動を行うためには、どうしても財源が必要になる。

ところが、日本は、バブル崩壊後、財政逼迫に直面する。財務省や政府は、上記の対米公約実現のため、「景気刺激」の口実で地方財政を使うことを考えた。特例枠を設け、地方の借金を奨励。単独の公共事業を乱発させた。

⇒この結果、大阪府のような放漫財政に陥り、地方自治体が借金漬けになり、地方の疲弊が決定的になった。

※ 現在でもそうだが、財務省や政府の言い分を聞いていると、いかにも「財政赤字」は国民全ての責任であるかのように語るが、そんな事はない。これは、米国の「内政干渉」に負けた政府や官僚の失政が原因。太平洋戦争に負けた時、国民の手で「戦争責任」の追及をしなかったばかりか、「一億総懺悔」のスローガンのように、国民に責任を拡散する日本の支配層の無責任体質そのものである。

🔷一連の貿易摩擦交渉で日本が失った最大のものは何か

日米構造協議で失った日本の国益で最大のものは何だったか。これこそ、米国の最大の狙いだった。

それは、現在ファーウェイ問題で露呈している次世代をリードする技術開発を巡る激しい主導権争いが象徴しているように、米国の最大の狙いは、日本の国家予算をIT技術をはじめとする技術開発や普及に使わず、「箱もの」を中心とした公共事業に使わすことで、日本の最大の強みである「モノづくり」「技術開発」にストップをかけ、国際競争力をダウンさせるというものだった。

日米構造協議で同意したものをチェックするために、三年ごとにフォローアップ会議をすることも決まっていた。米国は、この会議を通じて、日本が米国の深刻な競争相手にのし上がらないように監視していたと言って良い。

この決定には、公共事業を地元に誘致する事により、自らの地位と権力とお金を手にできる政治家どもの賛成が背後にあった。

悪名高い【土建屋国家】の成立は、同時に日本経済が国際競争力を失い、世界の【後進国】に転落する最大の要因でもあったのである。

B 年次改革要望書による日米規制改革会議

1993年 宮沢・クリントン会談で決定
【表向きの内容】
日米双方が「要望書」を提示し、それを話し合う形態になっている。
【実態】
米国が一方的に日本に押し付ける政策命令。
米国の要求は、通信、医療機器・医薬品、金融、エネルギー、流通などほとんど日本の全分野を包含するほど多岐にわたっていた。しかも、法律業務や、競争政策の変更など完全な内政干渉とも受け取れるものが多く含まれていた。

🔷90年代⇒「商法」改正を要求
・米国型企業統治の導入(現在、日本の会社でも社長と言わずにCEOなどと呼んでいる)
・株式交換型(M&A)の解禁⇒日本企業の買収をやりやすくする
・独占禁止法の罰則強化 ・公正取引委員会の権限強化 ⇒NTTなどの巨大企業を規制し、米国企業が参入しやすくする
・郵政民営化
・司法制度改革     
     ↓
🔷日本政府が行った改革
・97年 独占禁止法の改定 持ち株会社解禁
・98年 大規模小売店舗法(大店法)廃止⇒大型店出店野放し⇒地方の小売店が倒産⇒地方の疲弊化促進
・98年⇒建築基本法抜本改正⇒災害大国日本の建築基本法は、諸外国より厳しい。⇒仕様規定から性能規定へ⇒災害における家屋被害増大の一つの要因
・99年⇒労働者派遣法改悪で人材派遣を自由化。⇒非正規労働者を増大⇒終身雇用制度崩壊⇒不安定雇用拡大⇒若い世代の貧困化⇒技術伝承の断絶⇒少子高齢化の大きな原因になる

🔷米国は、「年次改革要望書」の実践過程に厳しく目を光らせ、日本が米国の要求に沿うような顔をして、ネグレクトする事を許さなかった。

🔷郵政民営化
・2001年⇒小泉―ブッシュ間で、今後「日米規制改革イニシアティブ」の名で年次改革要望書の発行を継続すると決定

当時、小泉首相は、【聖域なき構造改革】を絶叫していた。要するに、米国さんの要求通りにしますという意思表示。⇒米大統領と親密な関係とはそういう意味。
これは現在の安倍首相も忠実に実行している。

・2003年段階⇒日本郵政公社発足
・2003年の年次改革要望書⇒04年までに郵政民営化計画を作成するように要望
⇒小泉政権は郵政民営化の制度構築に狂奔
・2004年6月 【骨太の方針】(経済財政諮問会議)発表⇒郵政民営化盛り込む
・2004年9月 郵政民営化閣議決定
・2005年8月 郵政民営化法案⇒参議院で否決
     ↓
・小泉首相⇒「自民党」をぶっ壊す、と叫び、郵政解散を決行⇒反対者に刺客を投入、メディアの関心を引き、郵政民営化反対勢力を【抵抗勢力】と位置づけ、メディアと一体で、選挙に勝利した。
     ↓
米国の要求を忠実に実行する事により権力を維持する【隷属構造】が定着した。

🔷次のターゲット
・農協・漁協などの相互扶助組織がおこなってきた金融・共済の解体
・日本の医療制度や国民皆保険制度の破壊。

🔷さらに、安倍政権への要望。
・2016年3月 「アベノミクスの中心転換経済成長に不可欠な新しい構造・規制改革」という提言発表=米日経済協議会(USJBC)
 ↓
・関税・非関税措置の撤廃 ・法人税率25%へ引き下げ
・働き方改革 ・統合リゾート推進法(カジノ法案)

B軍事・政治問題の対日要求(系統的、段階的要求)
   
●アーミテージレポート(全4回)
🔷2000年 第一次レポート
 ・集団的自衛権の行使容認 ・有事法制の国会通過 ・米軍と自衛隊の施設共用と訓練の統合・PKF本体業務への参加凍結解除・ミサイル防衛に関する日米協力の拡大・秘密保護法制定 などの要求
http://www.asyura2.com/07/war88/msg/830.html

☆日本の実行
・2001年⇒PKF本体への参加凍結解除 ・2003年⇒弾道ミサイル防衛システム導入決定 ・2004年⇒有事関連七法決定

🔷2012年 第三次レポート
・原発再稼働・TPP推進・日韓「軍事情報包括保護協定」(GSOMIA)締結・新たな安保法制の制定・武器輸出三原則の撤廃などを要求
※ 日本国憲法の改正も要求している

第三次レポート邦訳全文
https://ch.nicovideo.jp/iwj/blomaga/ar90847

☆日本政府の政策
・特定秘密保護法の成立・武器輸出三原則の撤廃・原発再稼働・安保関連法成立・TPP関連法成立・日韓GSOMIA締結(2016年)など
 ↓
米国の要求を完全に丸のみ

🔷第四次レポート アーミテージ・ナイレポート
・日米統合部隊の創設・自衛隊基地と在日米軍基地を日米が共同使用可能にする基準緩和
 ↓
自衛隊を丸ごと米軍参加に組み込む。日本全土を米軍基地化する目的

http://www.nd-initiative.org/research/6411/

【結語】

ざっと俯瞰してみただけだが、小泉政権以降の「構造改革」と言う名で日本を米国の属国にする米国の戦略は、このように最初は強引に、日本国民の反発が強まると、日本政府が自主的に「改革」を進めたと見えるように秘密裏にそれでいて着実に行われてきた。例えば、【年次改革要望書」の存在そのものすら秘密にされていた。

このように、「年次改革要望書」や「アーミテージレポート」に代表される米国の内政干渉そのものと言って良い要望が着実に実行され、日本の富の収奪が行われてきたのである。

米国の日本に対する「改革要望」は、読んでもらえば一目瞭然。「新自由主義的改革」の押し付けに尽きる。

ベネズエラ問題で中南米の歴史(特にチリ)で触れたように、米国は中南米経済を新自由主義経済に染め直し、その富を収奪してきた。
※ベネズエラで進行している米国によるあからさまな政府転覆計画

小泉政権以降の日本は明らかに米国の収奪の主要ターゲットにされ、その結果、貧富の差、貧困化の進展が加速してきたのである。

現在の日本で安倍首相や小泉純一郎のように【改革】【改革】を強調する政治家は、99%米国の提灯持ちだと考えて間違いない。

小沢一郎や鳩山由紀夫が失速したのも、上記の文脈で見れば、当然だと言える。彼らは、【米国の隷属化】を拒否した政治家であり、米国から見れば「敵性政治家」と言う事になる。だから、彼らは嵐のような攻撃を受けたのである。

何故、安倍晋三のような政治家が権力を持ち続けられるのか。彼らは、民主党政権の失敗から深く学んでいる。

米国の意図に逆らうと権力の座から追い落とされる。どれほど、国民から恨まれても良い。宗主国米国のご機嫌さえ損なわなければ、権力の座に座り続けられる。

米国からすれば、安倍晋三のように自ら進んでポチになる権力者ほど都合が良い。なんでも言う事を聞くのだから、何も気を使う必要もない。能力がないのだから、こちらの意図を見抜かれる危険性は少ない。おまけに度胸もないのだから、気づかれても脅しあげればどうにでもなる。

日本国民の事などどうでもよい。米国の言う事さえ聞くのなら、権力の座に据えておこう。おそらく、米国の腹はそんなところだろう。

両者の思惑が一致して、6年の長きにわたる安倍政権の存続があった。この結果、日本は、見事に先進国から滑り落ち、先輩たちが営々として築き上げた国富も米国に根こそぎ収奪されている。

今や安倍政権には、【棄民政策】を取る以外方法が残されていない。メディアは、「大本営発表」をするどころか、国民騙しのニュースを流す以外能がない。戦前のメディア以上の骨のなさ。大メディアの現状は救いがない。

もう数年もすれば、日本はぺんぺん草も生えない国家に成り下がる事は明らかだろう。
 
0014 15人がムカデの足たれ!(ラグビーワールドカップに想う) 流水 10/01 17:04
 
・・・・・
15人がムカデの足たれ
「整然と動いているムカデの足について、脳と言う中枢が全ての足に指令を出しているのではなく、一本の足が全体のために動きを起こし、他の足がこれに連動している。」と考えた英国の学者がいた。
 この考え方は、チームスポーツのラグビーにも当てはまる。
監督・コーチという指導者が脳であり、選手は「足」だ。ムカデの足が多いチームほど、ボールを継続できるチームだと思う。
―中略―アドリブにこそ、指導者が口出しできないラグビーの面白さがある。
15人がムカデの足にならなければならない。
・・・・・・1996年 毎日新聞の記事

この記事は、毎年、花園で行われる全国高校ラグビーの名勝負として語り継がれている名古屋の西稜商業対大阪の啓光学園の決勝戦の翌日に書かれた。
西陵商業×啓光学園 (前半) 1996年 花園決勝 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=pSpHVn3J2r0

わたしは、これほど的確な表現をしたラグビー論はない、と考えている。

わたしは、この掲示板で何度かラグビー論を書いた。スポーツ好きの私だが、ことのほかラグビーが好きなのは、上記のようなラグビー競技の持つ奥深さに魅かれたからである。

今年の一月に書いたラグビー競技の精神と多様性を見習えから、もう一度引用させてもらう。   
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/9908853da0cc2ddb8bc7bd3411f9ced8
・・・・
「多様性こそラグビー文化」。4年前のワールドカップで活躍した五郎丸選手の言葉。こういう先進性こそ、日本ラグビーが世界的強豪国に肩を並べられる国として進化した最大の要因である。

さらにラグビーという競技は、正統的保守主義(漸進的民主主義。安倍自民党のいう保守主義とは全く違う)思想を見事に体現している。

少し、ルールに即して説明する。

★ラグビーは、ボールを前に投げてはいけない。
この場合の選択肢⇒ @自分で運ぶAキックで前に運ぶ(キックの場合は前に蹴る事を許されている)B後ろの味方にパスする

@ Aの場合は、敵にボールを奪われる危険性が高い。⇒ラグビーの防御は、タックルという強烈な方法が許されており、自分だけでボールを運ぼうとすると、奪われる危険性が非常に高い。キックする場合は、敵陣に蹴りこむことになるので、ほとんどのボールを敵に奪われる。⇒そのため、Bの方法を選択する場合が多い。⇒後ろの味方にパスする。

※このルールの思想的意味⇒進歩(前に進む)とは、後ろ向きに進むことである。⇒前進するためには、いったん後退する必要がある。⇒過去の検証なくして、進歩はない。
⇒この考え方は、イギリス人の国や社会に対する考え方と一致する。

●「ドイツ人は、考えてから走り出す。フランス人は、走ってから考える。イギリス人は、歩きながら考える。」この比喩は、欧州を代表する国家である英独仏の考え方の相違を見事に言い当てている。

★ラグビーボールの特殊性⇒楕円形のボールでどう転ぶか分からない。不確定要素が多い球技⇒この不確定要素に対応する技術と瞬時の判断力と個人の創意工夫が求められる。
⇒個人のアドリブが重要になる

★ラグビーは15人の選手が必要
ラグビーのような激しい肉弾戦を伴う競技では、怪我は日常茶飯事。15人だけではチームは組めない。最低でも20人から25人の選手が必要。しかも、不確定要素が多く、個人の判断と創意工夫が必要な競技だからこそ、チームとしての理念、戦略、戦術が重要になる。それを実践する選手の理解度、それを具現化する技術の練度、90分間戦い続けるフィットネスが重要になる。だからこそ、それを司る指導者の頭脳が問われる。

ここで問われているのは、古くて新しい【組織と個人】の問題であり、二者択一ではなく、組織も個人も生きるにはどうしたら良いか、という組織論である。

(1) 指導者の明確な理念が必要(戦術・戦略の問題)
(2) 選手の理念(戦術・戦略)の理解度が鍵を握る
(3) 組織が前進するためには、前の実践の総括が重要⇒後ろ向きに進む
(4) 組織が前進するためには、前の実践の継続が必要⇒継続の精神
(5) 組織が活性化するためには、個人の創造性が不可欠⇒アドリブが重要
(6) 個人の創造性を生かすためには、他の選手のフォローが重要⇒継続の精神
(7) 組織の活性化には、選手それぞれの能力にふさわしいポジションが必要⇒選手は与えられたポジションの理解が必要。同時に他のポジションに対する理解が重要。⇒能力の評価、ポジションのトータルな理解、フォローの問題

こう見てくると、外国人選手や混血の選手たちをチームの一員として迎え入れ、チーム活性化やチーム強化に生かす、と言う事は、日常からの国際性が必要になる。これをやり遂げて初めて、チームが強くなり、選手も進化する。
・・・・・・

さらにラグビーと言う競技。実に痛い競技。引退したラグビー選手に聞くと異口同音に「よくあんな痛いことを我慢できたな」と言う。

特に、フォワードの選手。身を挺して、ボールをバックスに供給する。世界のフォワード連中の大半は、身長は180〜190Cm前後。中には2mを超える選手も稀ではない。体重は優に100Kgを超える。こんな選手が全速力で走り、タックルし、ぶつかる。

一口にボールの争奪戦と言っても、とんでもない肉弾戦である。ぶつかる衝撃、襲い掛かる力、圧力は半端なものではない。フォワードの選手は生傷が絶えない。

それとフォーワードの第一列。フロント・ローと言うのだが、スクラムを組む最前列に位置する。彼らは最前列でスクラムを組むため、多くの選手は耳が変形している。それはそうだろう。スクラムは8人。世界のトップチームの平均体重は、110Kg前後。つまり、8人で880〜900Kg。両チームで、1800Kg前後。この16人が全力で押し合う。

その全ての力が最前列に加わる。想像を絶する力が、フロント・ローの選手たちの肩や身体に加わっているのである。耳も変形するはずである。

大畑というウイングの有名選手がいた。彼が言うのに「フォワードの選手が組み合う瞬間凄い音がする。骨と骨がぶつかる乾いた音がする。タックルの時にもすごい音がする。そんな音を聞いていると、ああ、奴らは信用できるな!と思う」と語っていた。

そんな痛い思いをしながら、バックスの選手に良い球を供給する。チームの勝利のために黙々と痛くて、汚れる仕事をこなしていくのである。文字通りの「自己犠牲」の精神の発露である。

【ONE FOR ALL , ALL FOR ONE】 
ラグビー精神を表す有名な言葉だが、文字通りいつ怪我をするかも分からない状況に自ら身を投じ、チームのために献身的に痛くて汚くてつらい仕事を黙々とこなすフォワードこそ、ラグビー精神の権化のような存在である。

ラグビーはイングラドで生まれた競技。ザ・ナインと呼ばれる名門パブリック・スクールで始まった、と言われている。

※ザ・ナイン
(*1)設立年度が古い順にウィンチェスター(1382年)、イートン(1440年)、セント・ポールズ(1509年)、シュルズベリー(1551年)、ウェストミンスター(1560年)、マーチャント・テイラーズ(1561年)、ラグビー(1567年)、ハロウ(1572年)、チャーターハウス(1611年)の9校

【パブリックスクールのミッション(使命)】
・・・
各校の校長が口を揃えて言うのは、学術的な能力や芸術、スポーツの才能を伸ばすことはもちろんだが、それ以上に「良識と品格を備えた市民」を生み出すことが重要なのだということです。ハロウ校の校長はこう言っています。「成績だけではなく、大学においてもその先の人生においても、より良い人間になることを私は彼らに望みます。ハロウに来る目的が単に試験で高得点を得ることであれば、スポーツ、音楽、課外活動を減らさなければなりません。しかしそれでは彼らはあまり魅力的な人間にはならないでしょう。高い理想ほど、長くかかるのです」と。人間にはひとりひとり、独自の才能があります。独自の才能の発見と育成という教育本来のミッションを貫いているのです。
・・・
※英国名門校パブリックスクール「ザ・ナイン」から日本が学ぶべきこと
https://resemom.jp/article/2018/08/31/46543.html

以前に紹介したことがあるが、イギリス流武士道精神である「Gentleman」になる精神を感得するための重要なツールとしてラグビー競技が重要視されたのである。

さまざまな立場の多様性を重視しながら主体性を持って行動するというイギリス型のリーダーシップを学ぶ場として、ラグビーは活用されていたのである。

換言すれば、イギリス流エリート育成法の中心にラグビーが位置していると言って過言ではない。日本でラグビーを最初に取り入れたのが、慶應義塾だったのも偶然ではない。

以前にも書いた事があるが、「戦場にかける橋」のアレック・ギネス扮する将校の体格の立派な事。兵隊の2、3人は平気でぶっ飛ばせるガタイをしている。シャーロック・ホームズもボクシングをしていた。つまり、イギリス紳士は、腕力でも庶民に決して負けないというわけである。これが、イギリス流紳士(支配階級)のありようだと言うわけである。

現在行われているラグビー・ワールドカップの参加国に英連邦国家の多いことを見れば、如何に英国流思想を踏襲している国家が多いことが良く分かる。
・・・イギリス、アイルランド、ウエールズ、スコットランド、ニュージーランド、オーストリア、サモア、フィジーなどがそうである。

せっかく、ワールドカップが日本開催されたのである。TVの「にわかラグビー評論家」どものバカ騒ぎに惑わされず、ラグビー競技の持つ思想性や奥深さを学んで、現在の日本のエリート層連中の薄っぺらさを見つめなおすのも、一つの見方だと思う。
 
0015 Re: メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと(第十七期)  名無しの探偵 10/14 06:52
 
「ホームレス、避難所の入場拒否の法律問題」

これは究極の差別だと支援団代の専門家が言うのだが、台東区役所の言い分は「住所がないのでお断りした」「住民を避難させるということなので」と言っている。

これは安倍政権下で(それ以前からも)憲法秩序が究極的に破壊されていることを端的に示すケースなのである。

究極の差別という法の下での差別問題に 限定するべき問題ではありえない。

住民であろうがなかろうが、救助を必要としている人を排除するのは人間としての権利(憲法上の核心的な基本的人権:憲法13条)を踏みにじる暴挙なのである。
 
やはり日本の行政全体がファシズム的な法の運用に流れていることを証明する「究極」の事態が進行していると言うべきであろう。
 
0016  神戸・東須磨小・教師間の暴行・暴言・いじめ事件 流水 10/17 15:47
 
何ともおぞましい事件だ。元教師としては、ここまで教育委員会・学校・教師の倫理観が落ちてしまったのか、と慄然とする。

何はともあれ、具体的事実から、問題の本質を考察してみる。

【具体的事実】
・羽交い絞めにされ、激辛カレーを無理やり食べさせられたり、身体に塗られた
・車の上に乗られたり、車内にわざと飲み物をこぼしたりされた
・目や唇に激辛ラーメンの汁を塗りたくられた
・無料通信アプリで第三者に性的なメッセージを送るように強制された
・携帯電話にロックをかけて使えなくされた
・自宅までの送迎を何度もするように強制された
・「反抗しまっくって学級を潰してやれ」など子供の前で被害教員の悪口を言われた
・熱湯の入ったやかんを顔につけられる
・何十回もカバンに氷を入れられ、中の書類をびしょびしょにされた
・指導案に落書きをされた
等々。
・・・・・・・神戸市教委調べ

神戸新聞は、市教委・校長の記者会見から以下のように書いている。
・・「会見では、加害教員がたびたび職員間で問題を起こし、管理職から指導を受けていた実態が明らかになった。だが、市教委に具体的な報告はなく、管理職も厳しく追及することはなかった。
 市教委によると、2018年度には加害教員の一人に、女性教員へのセクハラや若手教員をやゆするあだ名で呼ぶなどの行為があった。19年2月にも、前校長に「職員室で若手教員へのいじりが度を過ぎている」という訴えがあった。
 
このため前校長は加害教員らを指導。ただ、暴行や暴言は収まらず、前校長は市教委に「詳しく聞き取っておらず、認識が甘かった」と釈明したという。一方、この前校長を巡ってもパワハラ相談があったことが明らかになったほか、後任の仁王校長は加害教員への指導について「前校長ときちんと共有できていなかった」と述べた。・・・・・・・・・・・・・・

実は、この仁王校長の話には多少疑念が残る。というのは、仁王校長は、2018年より東須磨小の教頭を務めており、前任の校長の部下だった。その彼女が、前任校長の学校経営について詳細を知らなかったというのは、おかしい。校長の学校経営を支え助力するのが教頭。知らなかったでは済ませられない。

わたしたちの時代、教頭が同じ学校で校長になる事はほとんどなかった。だから、当初は、赴任したばかりの学校だから、良く分からなかったのだろうと考えたが、同じ学校で昇任したのだったら、【よく共有できていなかった】では済まされない。同じ管理職として前校長と同等の責任があると言わざるを得ない。

【いじめの原因】

(1)教師の個人的資質

上記のいじめの具体的手口は、子供たちのいじめの手口とほぼ同じ。大人としての知恵も想像力もない。いじめをしている動画も残っているが、いじめを嫌がっている人間をいたぶる事に隠微な喜びを感じている卑劣な人間性がもろみえで、みていて気分が悪くなる。

教師が立派な人間などと言う話は、おとぎ話に近いが、それでも今回のようないじめ行為を喜んでするような人間は、滅多にいない。

今回のいじめの原因については、様々な要因が考えられるし、指摘もしたいと思う。しかし、今回の問題については、主犯とされる教師や付和雷同をした教師たちの個人的資質が大きいと言わざるを得ない。人間、ここまで劣化するのか、と、慄然とせざるを得ない。

(2)学校環境

学校は、きわめて「閉鎖的空間」であり、学校独自のメカニズムが働いている。そのため、学校内部での教員間の「いじめ行為」は昔より存在した。

それでも昔の学校は、校長・教頭・教諭という三段階の位階しか存在しなかったので、管理職VS平教諭という図式での対立はしばしば顕在化したが、教諭VS教諭という図式は比較的少なった。(ないわけではなかった)

ところが、近年は、学校内部にも会社と同様な位階制が導入され、学校内部の権力構造が大きく変化している。

具体的に書くと以下のようになる。

🔷学校のヒエラルヒー
・校長⇒・副校長⇒教頭⇒主幹教諭⇒指導教諭⇒教諭 ◎ここまでが教員採用試験合格者で正式教員  ⇒助教諭⇒講師(常勤と非常勤)
その他、養護教諭と栄養教諭と司書教諭

わたしたちの時代とは全く違うヒエラルヒーが形成されている。

今回のいじめ加害教師たちを仁王校長は、【中核教師】と呼んでいた。わたしたちの時代には全くなかった言葉である。主幹教諭や指導教諭を意味しているのだろう。

神戸新聞によれば、前校長の覚え愛でたかったのが、加害教師たちだと報じている。仁王校長は、【中核教師】と呼んでいる。つまり、加害教師たちは、意識の上でも実質でも、上級教師だったのだろう。

被害教師たちは、このヒエラルヒーの下部に存在していて、常日頃上部教師たちの指導と言う名目の支配下にあったという事である。

これが加害教師の「いじめ」に一種の心理的正当性を与えていたと考えるのが至当だと思う。神戸市教委や仁王校長の会見には、この発想は皆無。彼らが自らの「加害者意識」に目覚めない限り、問題の根本的解決には程遠いと思う。

🔷職員会議の権能の縮小の問題

わたしたちの時代は、職員会議の権能がかなり大きかった。多くの問題が職員会議で決定された。【荒れた学校】時代には、それこそ白熱した議論が行われたものである。

時代が進むにつれて校長の権限が拡大され、職員会議が【伝達機関】化されはじめ、様々な問題が噴出し始めた。文部省は、決定権者を校長に限定。職員会議は、その決定を周知徹底させるための会議に限定した。

それぞれの学校には、それぞれの学校なりの事情がある。子供の状況も地域によって大きく違う。都市部と農村部、漁村部では、保護者の気質も子供気質も地域性も全く違う。

都市部の学校で育った校長が漁村部の学校の校長になり、都市部の学校のやり方を強制しても、うまくいくはずがない。強引にやればやるほど失敗する。かっては、そういう場合、校長のやり方に待ったをかけ、その学校の地域性に合ったやり方を話し合い、決定していたのが、職員会議だった。

ところが、現在は、全ては校長が決定し、職員会議はその伝達機関。誰も校長の決定に異議を差しはさまない。
 
しかし、地域の特殊性を知らない校長の決定は失敗する場合が多い。だから、校長は有能な上級教師に頼る場合が多い。そうなると、有能な(校長がそう思っている)教師の影響力は拡大する。事実上、その上級教師は、学校を牛耳ってしまう場合も出てくる。そうなると、その上級教師の【万能感】は拡大する一途。その心理が下級教師に対する【蔑視感】や【差別感】を増幅する。

今回の東須磨小の「いじめ暴行」問題の背景には、現在の公立学校で進行している位階制の問題点が大きく横たわっている。

(4)人権意識の衰退

神戸市は、人権教育(同和教育)の先進地域だった。各学校で人権教育が積極的に行われ、わたしたちも何度か視察に出かけたものだった。今回の事件。かっての神戸市の教育体制なら考えられない酷い事件である。教育委員会・校長・加害教師たちは、本当の意味での人権を理解しているのだろうか。

神戸新聞等で報道されている前校長のパワハラ問題、前校長の就任期間で顕在化している今回の「いじめ問題」。どう考えても、前校長の学校経営に対する姿勢そのものから導き出された可能性が高い。そんな人材を校長にしている市教委の人事。これも鋭く問われなければならない。つまり、【人権に対する認識】が校長選任の条件になっていないのだろう。

見習い期間さんや名無しの探偵さんが指摘されている台東区の役人が行ったホームレスの排除問題も、行政の【人権意識の希薄】さの問題である。

(5)帝国主義の弱い環

教育現場で進行している事態は、これから何年か後、日本社会で顕在化する問題である。

レーニンが帝国主義論の中で指摘しているように、帝国主義の矛盾は、一番弱いところに最初に顕在化する。日本社会の矛盾は、その一番弱いところ、【教育現場】や【ホームレス保護などの福祉の現場】などに顕在化する。

神戸市東須磨小で起きた【いじめ暴行】問題は、形態は違え、全国の教育現場で起きている問題だと考えなければ本質は見えない。文部省によって主導されている教育改革なるものの実態は、教育現場の階級制・差別性の強化と教育の効率性の強化である。

教育を実質的に預かる教師連中が、今回のような【不自由】さと【差別】と【支配の暴力性】の中で生きざるを得ない実態があるとするなら、教育を受ける子供たちがその影響を受けないわけがない。日本が根本から根腐れするわけである。

これを機に教育問題を「国家国旗問題」や「靖国問題」などと離れて、純粋に【国家百年の計】として考え直さなければ、日本の未来はない。
 
0017 「大阪湾に放射能汚染水を放出しないことを求める署名」への提言  厚顔 10/19 16:42
 
松井大阪市長の大阪湾投棄はとんでもないことであり同感です。瀬戸内海は明石の蛸や明石の鯛、いかなごの一大漁場である、漁民の思いは福島も関西も同じであろう。一方松井案に反対ならどうするのか対案が必要でしょう。このままタンクを造りつづけるには物理的限界もみえている。 

いずれにしろもう陸上での処理は限界である。すべての陸上の水は海へ流入するのが自然の法則である。極力除染して海へ放流すべきであろう。仮に放流するのであれば近海漁業に悪影響や風評被害が出ないように自衛隊の給油艦か民間のタンカーをチャーターして日本のはるか南方の南鳥島か、沖の鳥島の200海里(約370KM)内の日本の排他的水域に投棄することである。下記200海里URL.
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/ryokai/ryokai_setsuzoku.html

https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=200%E6%B5%B7%E9%87%8C%E6%B0%B4%E5%9F%9F%E3%81%A8%E3%81%AF

これは東電が決断できることではなく、安倍政権の役割である。小生はこのことについて当時民主党の管政権時代に震災が発生した年の3月29日に海洋投棄することを世界に発信すべきと下記に投稿している。今はその機を逸したので国連でのコンセンサスが必要であろう。その理由の背景は世界の核保有国はその実験で地球上の水と空気を放射能で汚染してきたことにある。日本の場合は天災による二次災害による汚染でヤムをえない面がある。過去ログから一部抜粋して紹介する。そして現在は世界の原子力学者にも一部は海洋への放出やむなし説を支持している学者もいるらしいので好都合なはずである。

0089  政治はタービン建屋の汚染水をどう除く  厚願の美少年   03/29 02:13     
       
 3月28日の福島原発事故に関する各メディアの報道を見ると、先日3人の作業員が知らずに被爆したタービン建屋地下室の汚染水の処分に困っている様子である。しかも1号基〜3号基迄同じ状況でトレンチとか言う配管抗にも高濃度の放射能で汚染された水が漏れ出て溜まっているという。

報道によれば汚染水を処分しないことには作業員が安定的な給水工事に何時までも着手できないらしい。またその汚染水を汲み上げるタービン建屋内の復水器も満杯で汲み上げられないようである。そこで満杯の復水器の水をタービン建屋外の水槽へ一時的に移すことも検討されているとのことである。

ところで菅首相は3月15日に東京電力に乗り込み、政府と東電による統合対策本部を設立し、自ら本部長に就任したと報じられ、その後官邸を尋ねた誰かに「自分は原子力に詳しいんだ」と語った事も報じられていたと思う。しかしその後統合対策本部長としての指示は見えてこない。

何れにしろ首相が東電や保安院の技術屋さんと同じ土俵で問題を解決しようとすれば現状の解決策の域を出ないと言うことである。問題は政治家として現状をどのように打開するかである。そして昨日経済産業副大臣が「最悪の事態は神のみぞ知る」と参議院予算委員会で答弁して物議をかもし、陳謝したらしいが、首相も汚染水の処置には八方塞がりで、内心経済産業副大臣と同じ心境ではないかと想像する。 

そこで首相には技術屋さんと同じ発想ではなく、一国の総理(政治家)として汚染水対策に次のような発想を持って欲しいのである。

1号基〜3号機のタービン建屋に溜まった汚染水を消防車で汲み上げ、かつて米・イラク戦争時にインド洋で米船艦等に給油していた海自の給油艦に積み込み、日本のはるか南方の南鳥島か、沖の鳥島の日本の排他的水域に投棄することを世界に向けて発信し粛々と実行するのである。併せて国民の生命と健康を護るためとして、国内法の海洋汚染等及び海上災害の防止に関する法律の超法規的な措置もとる必要がある。
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/JODC/ryokai/ryokai_setsuzoku.html

止むに止まれる海洋投棄の根拠は、かつて米国は太平洋のビキニ環礁で67回の水爆実験を行い、それによって日本の漁船員(第五福竜丸)が被爆し、また旧ソビエトも昭和36,7年頃には核実験を頻繁に行い、その放射能雨が日本に降ったことは忘れもしない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%AD%E3%83%8B%E7%92%B0%E7%A4%81

現在の核保有国は何れもその実験で地球上の海か空気を放射能で汚染して来ているのである。今回の日本の場合は核実験ではなく天災による原子力発電所の事故で、海洋投棄はこれ以上被害を拡大させないための窮余の策であり、核実験に比べれば放射能も放射線も遙かに少ないはずである。

過去に各核保有国が核実験をする時は事前に発表する場合もあったが、ない場合も多かったずであり、また秘密裏に核実権をした国もあったはずである。核保有国が放射能の浄化を大自然の浄化作用に委ねたように、日本も極力除染して領海内でより危険の少ない海洋へ投棄して、大自然の浄化作用にゆだねるしか選択肢はないのではなかろうか。 
 
 
0018 自由こそ創造性のゆりかご! 流水 10/22 14:54
 
ラグビーワールドカップ。日本チームはベスト8に進出したが、準々決勝で南アフリカに涙を呑んだ。

日本チームの戦いの軌跡を振り返ると、【自由】がいかに大切かと言う事が見えてくる。全てのチームスポーツに共通して言える事だが、戦いの要諦は、いかにしたら、自チームに【自由】を獲得できるかに尽きる。ラグビーと言う競技は、その『自由の争奪戦』の様相が大変良く分かる。

第1戦 ロシア、第二戦 アイルランド、第三戦 サモア、第4戦 スコットランド。この4戦に共通しているのは、日本の柔軟な戦いぶりだった。体格で相手に劣るフォワード戦でも負けず、接点(ブレークダウン)の攻防でも負けなかった。身長で劣るラインアウトも見事に取り切った。ハイパントの攻防も勇気をもって前に飛びあがり、競り負けなかった。

その為、日本チームの長所である早い球出し、スピードに溢れた短いパスの交換でゲイン(前に出る)を切り、臨機応変なキックで相手バックスを混乱に陥れた。

これを一言で言うと、日本チームは【自由】を手に入れ、創造性あふれる攻撃を仕掛け、見事に勝利を手に入れたのである。

ラグビー競技の本質は、陣取りゲーム。まず相手の陣地で勝負をすることが最重要。その為に、痛くて、辛い苛烈な努力をしなければならない。

日本チームの選手が口癖のようにいう「ハードワーク」とは、相手陣地で勝負をし、自チームの選手に【自由】を勝ち取るために自己犠牲も厭わぬ献身的プレーを続ける事を意味する。

これができて初めて創造性あふれる攻撃ができる。ラグビー競技においては、自チームの選手の【自由の領域】が広ければ広いほど攻撃が成功する可能性が高い。

そして、攻撃にどんなプレーを選択するか、に選手やチームのセンスが問われる。

オールブラックス(NZ)は創造性とセンスの塊のようなチームである。アイルランドとの試合でのオールブラックスの攻撃は、これぞラグビーのお手本とでもいうべき見事なものだった。アイルランド得意のフォワード戦でも負けず、生きた球をバックスに供給。その球を、一人一人の選手が創造性に富んだセンス溢れる攻撃手段で生かし切り、アイルランドを完全に翻弄していた。

彼らを見ていると、彼ら一人一人が『自由』に「奔放」にプレーをし、彼ら一人一人が味方の選手のアドリブに見事に反応し、サポートをしていた。

オールブラックスに体現されていたのは、一人一人の自由で個性あふれたプレー選択とそれを可能にする高いスキル。同時に、15人の選手がそれらの個性的なプレー選択に何の迷いもなくサポートしている。そこにはお互いの力量を信頼し、迷いなくサポートする。個人の能力とチーム(組織)としての一体感が矛盾なく存在している。

15人がムカデの足になった、組織と個人のお手本のようなチームだった。
※15人がムカデの足たれ https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/09f558e0dc0c48ea1e26f2456a2354e3

今大会の日本チームもオールブラックスに似た素晴らしいチームだった。予選4試合は、ラグビーのお手本に近い戦いぶりだった。

ただ南アフリカとの試合はそうはいかなかった。理由は単純明快。後半、相手陣で闘えなかった。ブレークダウン(接点)の攻防で負けてしまった。相手のモール攻撃を止められなかった。(体格・フィジカル勝負に持ち込まれた)

日本の勝機は、日本チームがどれだけ【自由】を勝ち取れるかどうかにかかっていた。この『自由』が勝ち取れなかったため、残念ながら勝ちきれなかった。

わたしがラグビー競技から学ぶのは、【自由】というものは、痛くて、辛くて、汚くて、しんどくて、もう辞めたいと思うほどハードワークをしなければ、手に入らない、と言う事だ。痛くて、つらくて、汚くて、しんどくて、を耐えきる努力を重ねなければ手に入らないと言う事である。

15人全員がムカデの足になり、一人一人が自由で、個性的で、創造性あふれるプレーを選択し、それを15人全員でサポートする。組織と個人の双方が生きる、「民主主義」とはそんなものだ、と考える。

南アフリカ戦後半、日本は、自陣に釘付けにされ、チームと個人の自由を奪われ、何の創造性も発揮できなかった。ところが、その日本チームが、アイルランドやスコットランド戦では見事な創造性あふれるプレーを見せた。同じチーム。同じ選手でありながら、天と地ほどの違いがある。

如何にチーム全体が【自由】を獲得する事が重要であるかが了解される。

翻って現在の日本を見てみよう。

日本沈没が叫ばれて久しい。日本の各分野で指導者(人間)の劣化が止まらない。

この最大の要因は、指導者連中が死に物狂いで【自由】を獲得した経験がなく、地位がもたらす「所与の現実」としての【自由】を手にしているからである。

何の努力もせずに手に入れた『自由』だから、全く大切にしない。ただ、【自分勝手の自由】を振り回している。痛くて、辛くて、汚くて、辞めたいと思うほどしんどくて、それでも懸命に獲得した「自由」なら、そんな粗末な使い方をしない。

自分だけが【自由】で、他者は自分が自由に振る舞うための僕(しもべ)だと勘違いしているから、他者が自分の自由を尊重しない事に腹が立つ。安倍政権の閣僚どもの言説を聞けば、自分の自由だけを語って恬として恥じない連中ばかり。

そうではなくて、他者の自由を尊重し、それをサポートする事によって、自分の自由も尊重してもらえるという発想を持たなければならない。

以前、「先憂後楽」と言う言葉を紹介したが、実はラグビー競技に見られる【自由獲得】競争は、この【先憂後楽】の精神に満ちている。

英国やラグビー先進国でラグビーがエリートのスポーツだとされているのは、【自由】獲得に対する心構えがエリートの基礎的資質だとされているからであろう。

英国や欧州の正義が全て正しいとは思わないが、彼らのレーゾンデートルである【自由】の考え方には、血を流して獲得した『自由の精神』に対するきわめて真摯でストイックな考え方に溢れている。

最後にこの国の野党連中に一言いいたい。

政治の戦いの本質は、【権力争奪戦】。権力を把握すると言う事は、自らの政党の政策を実現する【自由】を獲得する事を意味する。

現在の野党の立ち位置は、南アフリカ戦の後半の日本チームと同じだと言う認識がなさすぎる。相手の圧力に負けて、自陣に釘づけにされ、『自由』を失い、何一つ創造性を発揮できない状況に追い込まれている。

相手(自民党)にスキがないわけではない。逆にスキだらけとだと言って良い。ところがラグビーでいう所の捨て身のタックルがない。辛うじて「れいわ新選組」の山本太郎だけが、【消費税廃止】ないし「消費税5%減税】というタックルを連発している。

立憲民主党にしろ、国民民主党にしろ、無所属の野田一派にしろ、過去の自分たちの間違った政策に縛られて、捨て身になり切れない。タックルするのが痛くて厭だと言っている。

彼らは自らの『自由』には敏感だが、国民の『自由』には鈍感。これだけ貧富の格差が拡大し、福祉はカット。医療費は値上げの一途。国民の生活は火の車。

国民の生活を第一に考えるなら、過去の自分たちの言説に反していても(どんなに痛くても)、「消費税廃止」ないし「消費税5%減税」の主張に踏み切るべきである。

その政策を打ち出すときには迷ってはならない。思い切りのよいタックルでなければ、相手は倒れない。どんなに痛くても、どんなに倒されても、明快に【消費税廃止】などの政策を語る事である。

痛みをこらえて、捨て身のタックルを繰り返す【野党の戦う姿】にこそ、国民は心を惹かれる。捨て身で闘うからこそ、創造性あふれる戦術が生まれる。

参院選の山本太郎の戦術は、彼の捨て身の敢闘精神から生み出されたものだ。

そうすると、ラグビーでいうなら、フォワードの捨て身で闘う姿に信頼を寄せるバックスの存在に国民がなる。

捨て身で闘わない野党を国民は応援しない。野党こそ、ラグビー日本代表の献身的敢闘精神に学ぶべきである。
 
0019 原子力村の不祥事に見るこの国の腐敗・堕落(1) 流水 11/12 16:59
 
(1)東京電力経営陣への業務上過失致死に対する東京地裁判決

2019年9月19日の東京電力旧経営陣に対する業務上過失致死に対する東京地裁判決は無罪。

わたしは、福島第一原発事故の時、東京電力経営陣の多くを縄付きにしなければ、福島県の人々の無念は晴れない、と書いた記憶がある。

ところが東京地検は立件を見送り。強制起訴での裁判になったが、案の定東京地裁は無罪判決。

東京新聞の記事を引用する。
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強制起訴された東京電力の旧経営陣3人に無罪を言い渡した東京地裁判決は、大津波の襲来をうかがわせる試算の根拠の信用性を否定し、「大津波は予見できなかった」と結論づけた。判決は原発の運転を止めなければ事故は防げなかったと認定したが、本当に3人が取るべき対策はなかったのか。

 市民からなる検察審査会が「起訴すべきだ」と判断したことで実現した公判。不起訴のままなら闇に埋もれていた事実が次々と判明し、津波試算を得た現場社員が上層部に対策を迫っていたことが明るみに出た。

 結局、ほぼ試算通りの高さの津波が原発を襲った。旧経営陣が現場社員の警告に真摯(しんし)に耳を傾けていれば、原子炉を冷やすための電源を高台に移すなど次善の策は取れたはずだ。そうすれば原発の運転を止めなくても被害は軽減できたに違いない。

 組織の規模が大きくなるほど、トップら個人の過失責任は認められにくい。トップが事故の危険情報に敏感に反応し、より危機感を持って対応に当たるためには、組織自体を罰する制度の創設も検討すべきではないか。

 判決は東日本大震災以前は社会通念上、原発事故のリスクについて「絶対的安全性の確保までを前提としてはいなかった」と言及した。無罪判決の背景に、安全神話の追認があるとしか思えない。(池田悌一)
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この判決。二重の意味で、罪深い。
@ 大津波は予見されていたし、その予見を東電幹部たちは知っていた。(ここまではきちんと立証されている ※安全担当の勇気ある労働者が、事故の三年前に「最大津波15.7M」と言う7予測値が東電経営陣に提示されたと証言していた)

◎(判決)大津波の襲来を予見する試算の根拠に疑問を呈し、予見可能性を否定。
※万が一のリスクに備えるのが、原子力と言う危険なものを取り扱う経営者の最低限のモラル。それすら認定しない判決。

A (判決理由)東日本大震災以前は社会通念上、原発事故のリスクについて「絶対的安全性の確保までを前提としてはいなかった」と言及。

●日本国内に原発神話(原発は安全な施設)を振りまいておいて、「絶対的安全性の確保」を前提にしていないなどとよく言えたものだ。「絶対的安全性」の確保ができないなら、原発は廃止すべき、という論理にならないところが、この判決のいやらしいところ。⇒東電幹部の無罪性の証明に使っている。

こういう屁理屈に近い論理を駆使して、東電幹部3人の無罪判決を言い渡すのが日本の裁判。この判決を受けた福島県民の心情は察しても余りある。

普通の人間の論理
(1)福島第一原発の事故がなければ、多くの人が以前と同じ生活を送れていたはず。
(2)それができなくなったのは、福島第一原発の事故。
(3)原発は東電の人工的建造物。その運転は、東京電力が行っている。
(4)だから、原子力施設で起きる全ての事象に全責任がある。
(5)誰がどう見ても、福島第一原発の事故の東電の責任は免れない。
(6)東電の責任者は社長をはじめとする経営陣。
(7)論理の帰結として、経営に責任を持つ東電幹部の責任も免れない。
(8)ところが今回の判決では、経営陣の責任は認めていない。
(9)三段論法の最後だけを外す判決を書くのだから、東京地方裁判所の判事は、上記のような無理でアクロバテイックな論理構築を行い、誰がどう見ても屁理屈に近い論理構成で無罪判決を書かざるを得なかった。

裁判官の「国策への忖度」と言われても仕方がない。こういう判決を書く判事の心の内をのぞいてみたいものだ。

(2)裁判制度への疑問 

🔷裁判員裁判制度への疑問と提言
わたしは、裁判員裁判制度導入の前、「裁判員裁判制度」を導入するのなら、国や県や今回のような大企業などが被告や原告になっているいわゆる「行政訴訟」に限定すべきだと主張した。

個人を懲役にしたり、最悪死刑もありうる刑事裁判に普通の市民を参加させるのは、おかしな話である。死刑判決を下すとなると、その精神的重圧は半端なものではない。もし、それが冤罪だったとするならば、その後悔は一生ついて回る。普通の市民にそんな重圧を課すのなら、それこそプロの裁判官など必要ないことになる。

🔷裁判官の独立の原則
難しい司法試験に合格したプロの裁判官だからこそ、個人を裁く精神的重圧をはねのけ、「事実」と「証拠」に基づいて冷厳に罪を裁くことが求められる。他者の運命を決定する仕事なのだから、その精神的重圧も半端なものではない。その上に、政治への配慮、上司への配慮、社会的身分への配慮などの重圧を加えたら、「事実」と「証拠」だけに基づいた冷静な裁判が不可能になる。

だから、裁判官の「独立の原則」が定められ、他者の運命を決定する精神的重圧を考慮して、身分保障も万全。社会的地位も高く、給料も高くなっている。

その享受する社会的地位や安定した身分保障、給料などの好条件はそのまま。精神的重圧は、普通の市民に押し付けるのでは、つじつまが合わない。
しかも、裁判員になれば、仕事を休み、秘密厳守が求められ、一日の報酬(日当)も安い。それでいて、その精神的重圧は半端なものではない。普通の市民にとって、負担だけが重く、得るものはほとんどない。

※裁判員制度 日本弁護士連合会 
https://www.nichibenren.or.jp/ja/citizen_judge/becoming/index.html
※裁判員の報酬など
http://www.saibanin.courts.go.jp/qa/c7_1.html
https://allabout.co.jp/gm/gc/3811/

悪く言えば、犯罪に対する一般市民の処罰感情を利用して、犯罪に対する【厳罰化】の進行を図り、同時に他者を裁く裁判官の【精神的重圧】を軽減するのが、【裁判員制度】の目的だと言えなくもない。こんな「裁判員裁判」制度など、ない方がましと言って良い。

🔷行政裁判

行政裁判とは、 国や地方自治体(都道府県とか市町村、東京23区)などが、行政に認められている権限に基づいてしたことについて、その効力を争ったり、行政に対して一定のことをやめさせたり逆にやるように求めたりする裁判。

原子力問題についてみてみると以下の問題が、行政訴訟の対象。
(原子力施設が運転するまでの行政処分)
(裁判の形と裁判で審理の対象となる範囲)
http://www.shomin-law.com/gyoseigenpatu.html

さらに言うと、原子力問題についても、他の行政訴訟(行政裁判)についても、通常の民事訴訟と違って、裁判を起こすこと自体が大変ハードルが高く、簡単には裁判を起こせないようになっている。

・・・ 行政の安定を図るためという理屈で、裁判に様々な制限があります。
 まず、多くの場合、いきなり裁判を起こすことはできません。まず行政に対して不服審査の申し立てをしなければなりません。しかも、たいていは処分の通知から3か月以内にしなければその後は申立ができません。それにもかかわらずそれは様々な法律にバラバラに規定されていて非常にわかりにくくなっています。
 裁判も取消訴訟は行政不服審査の結果が出るなどしてから6か月以内に起こさなければなりません。これは従来は3か月でしたが2005年4月から6か月に変更されました。
 裁判を起こすことができる人も限定されています(業界用語で「原告適格」:げんこくてきかくの問題)。裁判を起こすことができる人の範囲については、空港の飛行差し止めを求める裁判と原発裁判によって次第に広げられてきました。
 元になった処分が期間付のような場合、裁判中にその期間が過ぎると裁判ができなくなることがあります(業界用語で「訴えの利益」の問題)。
 このようなことから、行政裁判では、訴えた人が判断を求めている内容そのものを判断せずに、裁判ができないといって門前払いされる場合が少なくありません・・・・

※行政裁判の話
http://www.shomin-law.com/gyousei1.html
※行政法規のジャングル
http://www.shomin-law.com/gyouseihoukijungle.html

上記で分かるように、「行政訴訟」それ自体を起こす事が難しいうえに、戦後の【行政裁判】の多くが示しているように、行政を忖度する検察の姿勢。行政を追認する事が多い「判決」がどれだけ国民の心を傷つけてきたか。

さらに言えば、たとえ一審で行政が敗訴しても、上級審に上告し、長年月の裁判に持ち込み、訴えた普通の国民が精神的にも肉体的にも訴訟費用の面でも負担に耐えられなくなるまで長引かせる。これが、どれだけ、裁判に対する信頼を傷つけているか。

こういう裁判にこそ、国民の声を生かさなくて、何のための【司法改革】か、と思う。

「憲法裁判」にもこれと同じことが言える。

戦後、笹井さんの報告にもあるような憲法裁判が、全国各地で行われた。自衛隊に一審札幌地裁で違憲判決が出た長沼ナイキ訴訟や、沖縄の米軍用地の強制使用を巡る代理署名訴訟をはじめ、多くの合憲違憲を争う裁判が行われた。

その多くで裁判所が憲法判断を避ける判決(門前払い)が出されたが、中には長沼ナイキ訴訟のように違憲判決が出される場合もあった。

※安保法訴訟、原告敗訴 東京地裁も憲法判断せず
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken/e/717dc69d9bf389d2e632fa529f55023e

こういう貴重な憲法判断の記録の約8割が廃棄されたというニュースが流されていた。
※東京新聞 
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201908/CK2019080502000145.html

安倍内閣の歴史修正主義の思想が司法界にも及んでいることに暗澹とする思いだ。ゴア副大統領ではないが、「不都合な真実」を抹殺しようとする姿勢が、日本の支配体制機構に満ち満ちている。

このような「行政訴訟」に「裁判員裁判」を導入すれば、国や地方公共団体の敗訴が続出する可能性が高い。例えば今回の裁判。裁判員裁判なら、おそらく東電幹部は、間違いなく有罪になっていただろう。もし、そうなったら、「裁判員裁判」という制度に対する国民の信頼感は全く違ったものになるに違いない。

行政にとって、それが一番困る。この国では、お上に逆らう行為は、今も昔もハードルが高い。過去の【行政訴訟】は、国や地方自治体が圧倒的に有利だった。その優位性が崩れる可能性が高い。

それでなくとも、日本の官僚制度は、行政の【無謬性】の原則を崩していない。俺たちは間違っていない、お前たちが間違っている。理由は簡単。俺たちは間違えない。俺たちは偉いんだ、と威張っている。

【行政訴訟】に「裁判員裁判」を導入すれば、行政の【無謬性】や行政に対する【信頼感】が完全に崩壊する。それだけは避けたい。だから、「裁判員制度」は、刑事事件だけに限定されたのだろう。

1956年に公開された「真昼の暗黒」という映画があった。今井正監督の作品。この映画は八海事件(冤罪事件)を題材にした映画。弁護士正木ひろし氏が活躍した事件。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E6%98%BC%E3%81%AE%E6%9A%97%E9%BB%92_(%E6%98%A0%E7%94%BB)(ウィキペディア)

※八海事件 
http://yabusaka.moo.jp/yakai.htm

この映画のラストシーンで、被告が「まだ、最高裁がある」と叫んでいた。この当時は、裁判に対する信頼がまだあった。

現在の裁判、検察、警察などは、ある意味、政治状況の写し絵的状況になっている。現政権の都合を忖度した捜査、逮捕、起訴が行われ、裁判も現政権の方向性に反する判決は出にくい。

🔷原発訴訟 

特に原発訴訟に関しては、国の方向性(原発再稼働)に反した判決を出した裁判官は、降格などの「懲罰的人事」を受ける場合が多い。

上級裁判所勤務の裁判官と下級裁判所勤務の裁判官では、給料が明確に違う。しかも、上級裁判所勤務での赴任地は大都市。下級裁判所勤務は地方の小都市。子供の教育一つでも違いが出る。

裁判官も人の子。自らの信念に殉ずるか、それとも出世の道を選択するか。ぎりぎりの選択を迫られている。これでは、裁判官の独立などのうたい文句は、絵に描いた餅。

※等級別報酬一覧
裁判官の月給は「 裁判官の報酬等に関する法律」によって決められています。
等級別の報酬は、以下の通りです。
•簡易裁判所判事(十七号〜一号):23万3,400円〜81万8,000円
•判事補(十二号〜一号):23万3,400円〜42万1,500円
•判事(八号〜一号):51万6,000円〜117万5,000円
•高等裁判所官庁(東京以外):130万2,000円
•東京高等裁判所長官:140万6,000円
•最高裁判所判事:146万6,000円
•最高裁判所長官:201万円
参考:e-Gov法令検索-裁判官の報酬等に関する法律
https://career-picks.com/average-salary/saibankan-nenshu/

🔷 裁判官の人事
・・・現在、裁判官は、最高裁判所を含む全国598ヵ所の裁判所に約3008人(簡易裁判所判事を除く)。そのうち、最高裁事務総局で司法行政に携わる「裁判をしない裁判官」を除くと、実質、2855人の裁判官で、あらゆる事件を審理し、判断を下しているのである。
 裁判官一人あたりに割り振られる事件数は、年間200件〜350件で、単純計算すると二日に1件、ないし2件の割りで処理していかないと消化できない数だ。・・・
岩瀬達也 −初公開!裁判官の「出世とカネ」こうなっているーhttps://gendai.ismedia.jp/articles/-/51651?page=2

彼らの人事評価は、基本的にはこの裁判案件をどのように処理したかによって左右される。裁判所用語でいえば、「星取表」と呼ばれる一覧表にまとめられ、個人別に集計される。そして、最高裁判所事務総局の中の人事課で決定される。

最近は、この人事のありように少しずつ改善がなされているようで、全国の弁護士の評価も取り入れられているようだ。

※「評価が高い裁判官と低い裁判官」 ・・西天満総合法律事務所ブログ ・・http://mt-law.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-35f2.html

元最高裁判事 瀬木比呂志氏が司法荒廃、司法崩壊を描いた「絶望の裁判所」の内容を読めば、現在の司法の状況が見えてくる。

彼は自著の中身についてこう語る。「日本の裁判官は、実は、裁判官というより、法服を着た「役人」、裁判を行うというより事件を処理している制度のしもべ、囚人です。裁判官という職業名や洋画などからくる既成のイメージは捨てて下さい。」と。さらにこう指摘する。「困難な判断、言葉を換えれば重要な判断であればあるほど、判断を回避したい、つまり、棄却や却下ですませたい、和解で終わらせたい、そういう傾向が強く出てきます。」
・・・・瀬木比呂志氏インタビュー
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/38171?page=4

そして、彼は、司法の根本的な改革のためには、弁護士等を相当期間務めた人々の中から透明性の高い形で裁判官を選出する「法曹一元制度の実現」しかないと考えている。

彼の提言に対して様々な意見はあるだろうが、現在の閉塞した裁判官と裁判の現状を変えるには、思い切った根本的なシステム変更しかないと思う。

かって、日本では、第一審で、国の方向性と反する判決が多く出され、上級審になるほど、国に有利な判決が出た。下級審で国に不利な判決が多く出たのは、形式的でも、国民に対して、「司法の独立」を標榜できる根拠になった。そうしておいて、上級審では、国に忖度した判決を出す。これが、日本における【司法の政治性】だった。

今や、その【政治性】すらかなぐり捨てた【強権的政治性】が前面に押し出されている。ファッショ体制とはこのような司法と行政が一体化した権力体制を指す。

このような司法の荒廃、腐敗に対して『法曹一元化』が何らかの歯止めになるのなら、『法曹一元化』を導入すべきだろう。

以下に瀬木比呂志氏が「論座」に書いた原発訴訟の評論を紹介しておく。非常に参考になる考え方が学べた。

●社会通念という言葉で責任を回避した裁判官[1] 
伊方原発3号機運転を禁止した広島高裁の仮処分決定を取り消した理屈
2018年11月20日
https://webronza.asahi.com/national/articles/2018111500001.html

●原発稼働差止め回避のため考え出した理屈[2] 
「破壊的被害をもたらす噴火のリスクは無視し得る」という詭弁
2018年11月28日
https://webronza.asahi.com/national/articles/2018111500008.html

●科学的で厳密な危険性を恣意的な概念で判断[3] 
分かれた原子力規制委員会の「火山影響評価ガイド」に対する裁判官の判断
2018年12月06日
https://webronza.asahi.com/national/articles/2018111500010.html

●良心に従い裁判しているのは「5~15%」[4] 
最高裁による異動など報復への恐れ、問われる裁判所の権力チェック機構
2018年12月19日
https://webronza.asahi.com/national/articles/2018111500011.html

●当たり前の常識と正義の感覚による審理を[5] 
戦後日本の負の遺産を象徴する福島第一原発事故、非合理的前提を信じた電力会社
2018年12月24日
https://webronza.asahi.com/national/articles/2018111500012.html
 
0020 Re: メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと(第十七期)  コナシ&コブシ 12/03 15:54
 
国会中継を見ましょう!

テレビをつけて、国会中継をやっていたら、以前は躊躇なく他のチャンネルに変えていたと思います。
だって、つまらないし退屈で・・・

それを変えてくれたのは、山本太郎さんのイラク戦争についての質問でした。
思わず、テレビの近くに寄り、そのまま質問に引き込まれました。
安倍さんの答弁の不誠実さもしっかり伝わってきました。
それ以来、太郎さんの質問があるときはできるだけ見るようにしていました。

だから、参議院に太郎さんがいなくなって、ちょっと国会ウォッチングのモチベーションが下がり気味でした。
しかし!
共産党の田村智子さん!
桜を見る会の問題点が多くの人の知るところとなった質疑。素晴らしかったです!
きのう(12月2日)の参議院本会議での質問も、テレビの前で大きく頷きながら聞いていました。

恥ずかしながら、きのう初めて知ったこと。
本会議では、質問者は一度にまとめて発言。
それに対して一方的に答えて終わり。(答えになっていなくても)
それに対し、予算委員会などは、一問一答という形。
一つの質問に対する答えが不十分と思ったら再度質問できる。

きのうの本会議での田村さんや吉田さんの質問に対する安倍さんの答弁は、全く答えになっていない「逃げの答弁」に終始。
それをもう一度質すことができない。

そうか!
だから安倍さんは予算会議を逃げ続けたのか!
今年の3月から200日以上も予算委員会を開かなかったのは、一問一答だと、持ちこたえられない(ボロが出る)と本人も周りもわかっていたからなのか・・・

と、今更ながら、国会討論の仕組みを知ったのでした。

退屈と思ってしまう討論も多いですが、胸のすくような、「よくぞ質問してくれた」ということもあるので、これからも時間のあるときは国会討論ウォッチングをしようと思っています。

そうそう、実際の討論を見ていると、NHKのニュースがいかに偏った編集をしているかもよくわかりました。
 
0021 安倍政権のごまかし見破る六つの注意点 猫家五六助 12/04 10:33
 
今朝、Yahoo!ニュース経由で知った「47 NEWS」の記事。「今週のコラム」で書いたことが理路整然とまとめてありますので追記させてください。

★桜を見る会、安倍政権のごまかし見破る六つの注意点
〜野党を批判している場合でない理由〜
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191204-00000001-yonnana-soci&p=1

札幌では安倍首相の選挙演説にヤジを飛ばし強制排除された人が、警察官等を刑事告訴しました。
国会でなければ、首相失格の安倍晋三ヤジも強制排除ですね。

★首相にヤジで排除された男性、警察官を刑事告訴 「黙っていれば言論萎縮進む」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191203-00000086-mai-soci 
 
護憲+ 公開用BBS

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