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  コラムの感想(第十六期)
笹井明子    −    2018/08/01 04:33:29
「護憲+」HPの表紙を飾るコラムに、感想をお寄せください。
0001 コラムの感想(第十六期) 笹井明子 08/01 04:33
 
「護憲+」HPの表紙を飾るコラムに、感想をお寄せください。 
 
0002 >コラムの感想(第十六期) パンドラ 08/09 11:36
 
笹井さん、コラム拝読いたしました。
本当におっしゃる通りです。

杉田水脈議院
堂々と「生産性」等ということばを使ってマイノリティーの人達を「区別化」する発言。
それを、まあまあという態度でウニャムニャにしようとする
二階幹事長。正に安倍内閣の本音が透けて見える出来事だと思います。
以前第二次安倍内閣が出来る直前、あるジャーナリストの方が「安倍晋三氏は内閣を維持できず野党に転落したときに極右の考えを持つ人達の支持を得て国政選挙を勝ち抜いたけれど一国の総理大臣になったらそう極端な右翼的発言や行動は
出来ないだろう」とおっしゃっていましたね。多くの広範な人々の支持を得なければならないから。

どうも、この内閣は違うようですね。
一部の熱烈な支持者と安部総理の取り巻きになって利益を得ようとする人達、安部総理を支持すれば利益を得る経済界の人達に支えられ、政治に無関心なその他の国民なんてどうでもいい。と思っているのではないでしょうか。

「総理が言えないから私が言う」と言った官僚がいたけれど
安部総理の本音を総理に代わって発言してアドバルーンを上げてみる。国民が敏感に反応すれば慌てて安倍内閣は
否定する。でも国民の反発や抗議の声が無ければ内閣はスルーする。その切り込み隊長が杉田議院であり、
稲田朋美議院だったのでしょう。
勇ましい彼女達に自分が言いたくても言えない事を言わせて国民の反応を見ながら出したり、引っ込めたりする。この発言は
LGBTの人達だけでなく、税金を払っていない人達、生活保護を受けている人達に向けられるかも知れません「生産性の無い役に立たない者達に税金を使う必要はない」という声と共に。
それは「国の財政が逼迫していて余分な金を使う余裕はない」と言う声と共に「老人亡国論」なんて言い出すかも、いやもう一部では言われているのかも知れないですね。
この人達が票になっている内は大きな声にはならないかも知れませんが。

結局笹井さんがおっしゃるように私達国民が声を上げていくしかないのですね。お年寄りであろうと、身体が不自由なひとであろうと、赤ちゃんであろうと、人間として生まれたからには価値があり、生きていく権利があるのです。
それを「生産性」なんて言葉で「区別」されたらたまったものではありません。
歳を重ねて歩くのが大変になっても這ってでも選挙に行こうと思ってます。周囲の老人達に声掛けて
それこそ「老人党復活宣言」ですね。
熱中症にならないようにきをつけなければ。




 
0003 >>コラムの感想(第十六期) 笹井明子 08/09 16:03
 
パンドラさん

コラムの感想、有難うございます。
「老人党復活宣言」、良いですね!身体に気を付けつつ、頑張りましょう!

≻熱中症にならないようにきをつけなければ。
 
0004 >>>コラムの感想(第十六期) パンドラ 10/15 17:45
 
名無しの探偵さん。
について
コラム拝読いたしました。私も「日本的集団主義」と「世間」については以前から考えていました。少し探偵さんの御考察とは離れますが「世間」についてはあの夏目漱石も草枕の中で「智に働けば角が立つ…(中略)とかくこの世は住みにくい」と書いています。
「世間」とは何でしょうか。先進諸国には「世間」という言葉も無いし訳す事が出来ないそうです。コミニティとも違うし、規範とも違う。
やはり、探偵さんのさんがコラムのなかで
紹介された阿部謹也氏の研究にあるように日本の社会が西洋の「市民社会」を受け継ぐ事が
出来なかったために「基本的人権」さえも学校で習う「勉学」の世界に留められてしまったのではないでしょうか。別の言い方をすれば「本音と建て前」だから、学校では授業の中では「基本的人権」という言葉は教えても生徒達の基本的人権などは蔑ろにして虐めや教師の体罰などで不登校になったり自死する子どもがいても組織を守るために隠蔽しょうとするのです。
市民社会が本当に人権を大事に思っているのならそんな学校の酷い体質を許すはずが有りません。

探偵さんが仰る集団主義のプラス面は終焉しマイナス面が肥大化している。と言うのは本当に仰る通りだと思います。マイナスな集団主義を肥大化させているのはマスコミの仕業も
あるのではないでしょうか。マスコミが新しい「世間」を作りあげている。そんな気がいたします。私は身近な人達から「テレビで言っていた」「ニュースで言っていた」という
言葉を何度も聞きました。大衆はそれほどバカではない。と思いたいのですが。

マイナスな集団主義を補填するように生きているのが「世間」。「KY」という言葉に象徴される同調圧力。皆と同じ事が好きでない私は「KY」の極みだと思います。毎日の暮らしの中でプライベートはせめて「世間に棹をさして」生きていこうと思っています。
 
0005 Re: コラムの感想(第十六期) 名無しの探偵 10/16 16:14
 
パンドラさん、コラムの感想ありがとうございます。漱石の小説でも「世間」は問題になっていたのかと思いだしました。
阿部氏の本でも明治時代の有名な思想家の「世間論」を引き継いだという文章がありました。

「世間論」では阿部氏が親鸞の仏教観の革新性に注目していました。阿部氏の「世間論」の射程はヨーロッパとの比較(キリスト教の受容と異端裁判までもさかのぼり、ヨーロッパが個人主義に辿りつくまでの長い道のりにも触れています。(第二次世界大戦中のユダヤ人問題などにも表れているようにヨーロッパがそのままでは理想社会でないことは明確です。大学でも北欧の専門の先生が言ってましたが、そこでも極右政党が復活しているとのこと。市民社会の衰退後に戦後、「大衆社会化」が進んでいます。)

日本の集団主義は本音と建前が複雑に交差している(阿部氏はダブルスタンダードと言う)ので、政府などのご都合主義で「使い分け」が巧妙だと思います。「阿部政権」の長続きもマスコミ対応(利用)がうまく「世間」論が大きく影響していると思います。日本の「大衆」は嘘だと思っても従順になるという脆弱さ(生活さえ安泰ならいいかという弱さ)に起因しているかと。
 
0006 日本的集団主義への思想史的アプローチを読んで 流水 10/18 09:05
 
「日本的集団主義」について、名無しの探偵さんが見事なアプローチをされています。特に、【世間】の解釈についての阿部謹也氏の所論の紹介は大変参考になりました。

丸山真男、加藤周一、網野善彦三氏については、わたしも彼らの著作をある程度読んでいますが、阿部氏については読んだことがありません。探偵さんの説明を読みながら、大変鋭い指摘をされていると感心しました。

・・「主に近代日本の歴史的位相に注目して、日本の社会が西欧近代の思想を受け継いだものの、西欧近代の基底にある「市民社会」は受け継いでおらず、近代(つまり明治時代)以前から存在していた「世間」という伝統的な集団と意識を頑強に残存させていると明らかにする。

そして、近代以降の「日本」では、建前では西欧起源である権利意識や個人主義的な観念(戦後では「基本的人権」と呼ぶことになった)を表明するが、それは学校などの公的な場所に限られている。実際になにか人権問題が起きた場合には「建前」の権利意識ではなく、「本音」としての集団意識が全面に出てくると言うのだ。これが「世間」という伝統であり、現代でも間違いなく根強く存在していると言う。」・・

鋭い指摘です。わたしは同和教育に携わってきましたが、同和対策審議会の答申が出された後でも、世間の人々から【本音】としての【集団意識】が消える事はありませんでした。

例えば、こういう「集団意識」が理論的形態をとって現れたのが、「逆差別」論です。被差別部落の人々が行政の手厚い保護を受けたり、様々な優遇措置を受けているのに、そうでない人々はそんな優遇措置は受けられない。こういう行政のありようは、一般の人々に対する【逆差別だ】という議論です。

例えば、われわれ教師は、同和地区の公民館に週三回くらい(学校・地域によって違います)夜出かけ、勉強を教えました。塾と家庭教師の混合みたいなものです。地区の子供たちの学力を上昇させ、上級学校の進学率を上げる事により、地区生徒への蔑視や差別的感情をなくしていこうという取り組みです。同時に、社会へ進出するためには学力向上が必須である、という認識から行っていました。

しかし、この種の取り組みの意義を全ての保護者に理解してもらうのは、至難の業です。「なんで、地区の子供だけがそんな優遇措置を受けられるの。家の子供にも教えてほしいわ。」

バートランド・ラッセルが「幸福論」の中で「エンビイ=嫉妬」の感情が人間を不幸にする、と指摘していますが、そういう冷静な議論が通じる事は滅多にありません。

わたしたちが同和教育の研究授業や懇談会や研究会などに参加するたびに、この種の議論が絶えることはありませんでした。わたしが「日本的集団主義」と【世間】の問題に関心を持たざるを得ない最大の動機でした。

ではわたしが【世間】をどう理解していたかについて少し書いてみます。

教師生活を続けている間中、わたしは、上で触れた【嫉妬、妬み】の感情は、一体全体何に起因しているのか、と考えてきました。そしてそれが非常に悪い側面で発揮される場合と、非常に生産的側面で発揮される場合があると言う事に気づきました。

結論的にいいますと、【日本的集団主義】と並んで日本人の特徴である【横並び平等主義】がない混じった形で表現されるため、「功罪あい半ば」する状況が生まれるのではないか、と考えたのです。これに加えて、山本七平が主張する【空気】が支配する場合が多いため事態はさらに複雑になるのです。

差別問題のようなセンシティブな問題を話し合う場合は、問題は必ず自分自身に跳ね返ってきます。「自分ならどうするか」。この問いは重いものです。教師はその最前線に立たされます。保護者もそうです。自分の内心をのぞき込んで、内なる差別意識を克服する。言うは易く、行うは難し、の典型です。

だから、「日本的集団主義」とか【横並び平等主義】とか「空気」を読むとかいう日本人や日本社会の特性が際立って現れます。わたしが「日本的集団主義」の克服を課題にした最大の動機です。

【差別・偏見】という側面で捉えると以下のような五つの日本人の生活像が要因ではないかと考えられます。

@社会的地位を追い求める特性
A連帯性(感)欠落の特性
B恩と義理による自己満足の特性
C欺瞞、虚偽性を容認する特性
D外交的な性格構造   ・・・・・・・ 今野敏彦(偏見の文化)

例えば、@の社会的地位を追い求める特性を考えてみます。社会には、(1)全体社会と、(2)部分社会の二通りあると考えられます。

(1)の全体社会
人々が彼(彼女)に与えている社会的尊敬や威信に応じて全体社会のヒエラルヒーの中での占める位置である。
※(例えば、入学式・卒業式での挨拶順とか会合や宴席での席順などで示される序列に顕著に表れる)
   ↓
この中から、社会的地位を同じくする人々の社会階層(階級ではない)が形成されます。⇒(例) 士農工商(江戸)、上流・中流・下流(下流)
   ↓
段階的構造を持ちます

(2)部分社会
家族⇒夫、妻、親、子供(兄、弟、姉・妹) 親族 
職階⇒社長、専務、部長、課長、係長、平社員
職人などでの経験年数の序列など、様々あります。

日本社会のヒエラルヒーをどのように決めるかについては、二通りあると考えられます。

(A)出自に基づく地位(帰属的地位)⇒生まれながらにして決定される地位⇒性、年齢、容貌、人種、家柄,家格など⇒前近代ではこれが主流。
(B)獲得的地位⇒業績の結果としての地位⇒自己の才能、努力により築き上げられた地位⇒近代社会ではこれが主流

では、日本人の特性はどのように考えられるでしょうか。

今野氏は、【日本人ほど高い地位を求める事に汲々としている国民は他に類を見ない】と分析しています。

その理由を以下のような日本社会の特性にあるとしています。
★偉いもの、良いものは上にあるか高いところにあるのが常
●劣るもの、悪いものは下にあるのが常

この思想の表現が日本語や日本文化を規定していると考えられます。  

例えば、第一人称、第二人称の呼称の多様性(時と場所で使い分ける)・死者に対する位階(戒名の多様性)・上座、下座など上下、尊卑、高低の二者択一の環境、そこで醸成される思考形態。

このような特性がどのように形成されたかを考察しているのが、探偵さんが指摘されている丸山真男、加藤周一、網野善彦などの碩学です。阿部謹也氏の所論については、不勉強なので、明確な事は申し上げられませんが、探偵さんの解説を読む限り、大変納得できる論を展開されていると思います。

・・「ライトが保障されていない「集団」(阿部氏の言う「世間」)で、そこの個人に対して「責任」だけはお前にあると言われても、困惑するだけである。こうした集団主義が支配する社会でそのポジティブな側面が衰退して、ネガティブな側面だけになった場合に「全体主義」が顔を出すのである。

それを丸山氏が「無責任の体系」として分析されたのである。そして、阿部氏は『世間論』でこの丸山氏の論理を発展させて「世間」という伝統的な日本の集団主義の母体を論理的に展開されたのである。」・・・・

この議論は非常に鋭く日本人の思考の流れを分析していると思います。

わたしは同じような問題意識で、「日本的集団意識」と「横並び平等主義」の混在が最大の問題だと感じていました。

同和問題で触れたように、何百年にわたって差別され続けた被差別部落の人々の生活環境も生活それ自体も劣悪そのものでした。戦前には、小学校に通学できない子供が多数いました。

今では当たり前のようになっている【学校給食】も、その始まりは戦後被差別部落の子供たちが弁当を持参できないのを助けるために始まったのです。

被差別部落の人たちを差別された厳しい環境や、生活から少しでも抜け出せるように行政が援助するというのが、同和対策審議会の答申でした。

原因・理由を考えずに、援助だけを取り上げれば、「あの人たちだけがなんで良い目を見るの」という理屈も分からないではありません。しかし、その背後にある積年の差別とその厳しさをきちんと学習すれば、そんな意見を発言するのが恥ずかしくなるはずなのです。

しかし、現実は、そんなに簡単なものではないのです。わたしの教師時代、同和教育に携わった多くの教師たちは、その現実に悩み続けたのです。

こういう意見の背景には、【横並び平等主義】という牢固とした考え方があります。戦後の【集団主義】の背景には、この【横並び集団主義】が貼りついていると思います。

「いじめ」の最大の要因の一つに、【同調圧力】があります。髪型、服装、肌の色、言葉使いなど他者と違うものを「いじめ」の対象にする背景にこの【横並び平等主義】があります。これを背景にして、【日本的集団主義】が加わります。

これに差別的で強権的体質の教師が加わると、阿部氏が指摘する【ファッショ】体制そのものが現出するのです。わたしは、そのようなクラスをいくつも見てきました。

【いじめ】問題の難しさは、日本の教育体制⇒各県の教育体制⇒各校の教育体制⇒各教師の理念や体質が問われなければ、本質的な解決ができないところにあります。

日本と言う国の特質ですが、こういう根本的で本質的な問いを如何にして回避して、手練手管で解決しようとしがちです。これが問題を長引かせるのです。

西欧流民主主義の根底に流れる【個人の尊重・個人の自立】がなければ、【平等思想】もただの【横並び平等主義】に陥ります。それでいて、今野氏が指摘するように、【連帯感】の薄さも日本人の特性として牢固として存在します。

今野氏が想定している連帯感というのは、個人の自立を前提にした連帯感なのです。日本人は集団で行動しがちのように思われていますが、本音で語らなければならないシビアな問題に対しては、意外とバラバラなのです。理由は簡単明瞭です。自分が傷つくのが厭なのです。傷つくことを怖れない「自立した個人」ではないのです。

ありていに言えば、戦後民主主義が強く意識した【個人の尊重・個人の自立】も、結局【個人の無視・個人の孤立】に陥る場合が多いのです。

私自身の教師生活は、この「日本的集団主義」と「横並び平等主義」との戦いだったといって過言ではないかもしれません。一番難しかったのは、生徒との戦いではなく、教育委員会や学校・教師との戦いでした。

名無しの探偵さんのように「日本的集団主義」そのものをきちんと理解できる人は、本当に少数です。おそらく、現在でも多くの場所で多くの人がその戦いを強いられていると思います。ひさかたぶりにこのような議論ができたことをうれしく思います。名無しの探偵さんに感謝いたします。
 
0007 コラム「戦争とモダンライフ」について パンドラ 02/08 12:20
 
名無しの探偵さん。
私のコラム読んで頂き有難うございました。

「モダンライフと戦争」についてはもうすこし読み込んで書けば良かったかと思っています。
日本の1930年代というのは日本が中国大陸を侵略するための「満州事変」が勃発し
国内では戦争景気に湧いた都会とは別に、農村では農民達が米の不作による飢餓や娘達の身売りなどに農民達はさらされいたのですね。それが2、26事件に繋がって行ったのですね。つくづく1930年代は日本という国の転換点だったのだと思います。
その頃日本の都市に住む人達、何とか暮らしがなりたっていた人ほどモダンライフに
憧れ、戦争を景気を刺激する政策と受け止め局地戦で短期に終わる事という政府の広報を鵜呑みにしていたのでは無いでしょうか。
現在でも海外のニュースは扮装地帯で起きている事等、安田純平さんのよう方が現地に行って報道してくれないと私達は政府に都合の良い報道しか受け取れなくなります。
そういう意味でも1930年代というのは興味深くこの時代についてかかれた書籍など引き続き読んでみたいと思っています。


 
0008 >コラム「戦争とモダンライフ」について 名無しの探偵 02/08 19:54
 
1年以上前に読んだので、署名ばど忘失しています。多分、パンドラさんが紹介してくれた本だったのかな?と今は思っています。佐藤先生(映画大学の学長)、四方田犬彦氏をしのぐ評論家の登場で20年代、30年代の日本映画や当時の世相などをビジュアルに知るにはこの本だと思います。
それから題名を忘れましたが、原節子の映画界デビューを飾るドイツ・日本合作の映画の(ドイツの監督)ことなどを書いた本も「モダンライフと戦争」と同様に興味深いです。
30年代は戦後巨匠となる日本の映画監督の若い頃の映画が注目されますが、女優も戦後の大スターがデビューした頃であり、この当時の映画と世相は
再確認するべきだと思っています。
小津、溝口、黒沢が30代で映画界をリードし始めた頃です。(新藤兼人も
溝口の助監督でした。)
原節子は10代、田中絹代は30前後、山田五十鈴も20前後でした。
当時の映画は世相を反映していて「歴史」の生きたモデルかとも思います。




>名無しの探偵さん。私のコラム読んで頂き有難うございました。「モダンライフと戦争」についてはもうすこし読み込んで書けば良かったかと思っています。
 
0009 景気回復について パンドラ 02/18 18:06
 
笹井さん
コラム拝読いたしました。

本当におっしゃる通りです。
我が家の近くのスーパーも今日はカード会員は殆どの商品が5%OFFの日
開店と同時に人が並んで、買い物済ませた私が会計をしょうと思ったら
レジは長蛇の列。私はセルフレジに並んだので直ぐに会計は済みましたが
今日はお米セールの日。さらに5%OFFの恩恵に預り5sのお米リュックで担いで帰りました。賞味期限間近の品もあっという間に無くなり、開店サービスのコロッケ50%OFF
菓子パン2個で108円、御一人様2つまでは数量に限りがあるので争奪戦。
走って滑って転びそうになるお年寄りもいて、そういうのが苦手な私は見ているだけですが。年金世代も体力がないと中々大変です。

好景気なんて何処の世界の話?
安倍内閣とその周辺の人達以外実感していないのでしょう。
10月からは消費税上がるしその他仰有るように乳製品も値上げ。値上げ出来ない商品は中身が小さくなって数量も減っています。
社会保険料は上がるし上がらないのは勤労者のお給料と年金です。
悪夢のような安倍政権。今年の参議院選挙ではぜひとも、ねじれを実現して
国会での居眠りや、好き勝手に税金使い散らかしていると、恐ろしい事になると思い
知らせてやりましょう。





 
0010 日本の階級社会とひきこもりについて パンドラ 04/15 00:51
 
流水さん

コラム拝読いたしました。

流水さんの鋭い洞察と分かりやすいコラムいつも感心しなが拝読いたしております。
橋本謙二氏の「日本の階級社会」と「アンダークラス」私も読みました。
流水さんが仰有るように日本の社会は既に「格差」ではなく「階級社会」に
姿を変えているのです。
その一番下にあるのが「アンダークラス」そしてその階級社会から外れた存在が
ひきこもる人達なのでしょう。政府はやっと「5080問題」等と騒ぎ始めましたが
既に2000年初に精神科医の斉藤環氏が「ひきこもりは現在の日本社会では百万人」と警告を流していました。
当時は「何をバカな事を」と一笑に付す意見もありましたがあれから20年の時を経てやっと社会の認識が斉藤氏に追い付こうとしているのでしょうか。

長いひきこもりを経てやっと働き始めたらそこはブラック企業だった。
という話やレールに乗って社会人になっても酷い職場で鬱病になりひきこもった
人達も沢山います。思えばこんな階級社会アンダークラスの集団を作る引き金になったのが2000年初等の小泉内閣の非正規的働き方を工場の労働者迄拡げた政策ではないでしょうか。あの後、日本の社会がどうなり竹中平蔵が今何をしているか考えただけでも彼等がした事は酷い所業だったと思います。

企業が国際社会で生き延びるためには仕方がなかった。

という人が未だにいますが凄まじいまでの内部保留金の額を考えると言い訳にしか聞こえません。斉藤環氏が警告したひきこもり元年が2000年小泉内閣が社会に非正規的働き方を開放したのも2000年、何か私は因縁めいたものを感じます。
 
0011 パンドラさんへ(明治以降の貧困へのアプローチ) 流水 04/22 15:27
 
コラムへのコメントありがとうございます。

以前にも書いた記憶があるのですが、新自由主義的経済論は、資本主義の先祖返りです。イギリスで言えば、資本主義の黎明期、無秩序な労働が放置され、子供の長時間労働(一日15時間など)などが問題になった時代です。
資本階級が圧倒的に強く、労働者階級はほとんど無自覚なまま低賃金と長時間労働を強制されていた時代です・

日本では、いわゆる西欧型資本主義の洗礼を浴びるのは明治に入ってからです。

最近になって江戸研究が進み、江戸の経済成長は世界に冠たるもので、日本の資本主義は世界的に見ても相当なもので、そんなに馬鹿にしたものではなかったようです。一説によれば、当時の世界の中で最も高い経済成長率を誇っていた、と言います。

当たり前の話で、経済力がなければ、当時の世界の都市でNO1の人口(100万超)を誇った江戸の町が持つはずがないのです。

たしかに、明治時代は、新しい職種や新しい労働形態が生み出され、「散切り頭を叩いてみれば 文明開化の音がする」ご一新の時代を迎えたようですが、その基礎は江戸時代の商人たちの活躍にあったのです。

日本人の悪いところで、明治維新になった時、世界は進んでいて、日本は遅れている、という固定観念にとらわれ、西欧流資本主義を金科玉条のごとく取り入れたのです。次の1万円札になる渋沢栄一などがその中心だったのです。

しかし、新しい時代になってから、新たな形の貧困が見えるようになりました。それは江戸時代にはあまり顕在化しなかった形での貧困です。江戸時代の場合は身分制社会の中での貧困であり、資本主義社会の中での貧困とは違っていました。明治になってからの貧困は、資本主義社会(近代社会)での貧困であり、多少形態が異なっていたのです。

このような日本の貧困(下層階級)を考えるとき、今から100年以上前の1898 年(明治31年)に横山源之助が書いた「日本の下層社会」を避けては通れません。明治時代の作品にも関わらず、きわめて緻密な取材に基づいた貧困層に対する社会調査・ルポルタージュで、当時の貧困層の実態が浮かび上がります。

「日本の下層社会」は、岩波文庫で読むことができます。また、原本を読もうと思われるのでしたら、下のサイトで読むことができます。
国会図書館 デジタル 「日本の下層社会」 横山源之助
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/798849

例えば、横山は、東京市(当時は市でした)を以下のように書きます。
『東京市15区 戸数29万8千 人口136万余 多数は、生活に如意ならざる下層の階級に属す』

このような筆致で、横山は、東京の貧民の生活状態を数字入りで、事細かに書いています。職人、手工業労働者、工場労働者、小作人など職種に応じ、事情に応じて調査をしています。さらに、失業者などについても言及しています。

それも現代の統計にも負けないくらい、事細かに調べています。
〇生活実態 〇職位別の労働実態 〇労働契約や自由時間の有無 〇労働者の教育水準

横山はその調査を自ら現場に出かけ、自ら聞き取り調査を行うという風に足で稼いで書いています。その為、きわめて説得力に富み、信頼性の高いものになっているのです。

わたしはこれを読みながら、現在の日本のBLACK企業と相似形ではないか、と思いました。時代は違えど結局人間の考える事はそんなに差がないのでしょう。

それともう一つ最近読み直している本に「日本残酷物語」があります。平凡社から出版された本で、監修に宮本常一とか山本周五郎や山代巴などが名を連ねています。
https://www.amazon.co.jp/日本残酷物語1-平凡社ライブラリー-宮本-常一/dp/4582760953

この本は、近代日本の最底辺で蠢いていた民衆の記録です。この本の内容紹介は以下のように書いています。
・・「これは流砂のごとく日本の最底辺にうずもれた人々の物語である。自然の奇跡に見放され、体制の幸福にあずかることを知らない民衆の生活の記録であり、生きながら化石として抹殺されるほかない小さきものの歴史である。追い詰められた民衆のごく当たり前な日常的な生活こそもっとも反体制的であり、その生活断面に施したさまざまな陰刻から強烈な生の意味を汲み取ろうとする衝撃の書・・・

もし、政権当時の民主党の政治家連中が、民主党政権が掲げたスローガン【国民の生活が第一】の意味を、上記の「追い詰められた民衆のごく当たり前な日常的な生活こそもっとも反体制的である」という文脈で捉えていたら、あのような無残な政権瓦解をしなくて済んだはずです。

わたしは、当時、何度も日本での政権交代は、他国での【革命】に匹敵すると書いたり、言ったりしましたが、「国民の生活が第一」という理念の革命性から考えると、そうなるのです。その理念の理解度の低さ、政治的未熟さが民主党政権の失敗だったと考えています。

現在の日本は、いまだ高度成長期の成功体験から脱却できていません。しかし、「夢よ、もう一度」は通用しないのです。

「日本の下層社会」をあれほど緻密に考察してきた横山源之助ですら、日本の貧民の実態は、資本家に搾取されて生じた経済貧民 というより、教育不足や自立心の欠如による人生の不幸者であり、その問題を 改革すれば、貧困問題は解決できるという立場をとっていました。

貧困からの脱却を自分自身の頑張りと教育の力で可能であると書いています。当時盛んだった社会主義的イデオロギーをそのまま適用して、資本家の搾取による貧困という解釈をとっていません。

横山源之助の説は、実証的な実態調査に基づいていて、きわめて合理的な要素がありました。しかし、横山説の弱点は、空間的(包括的)な経済理論への無関心さがあります。資本主義という経済理論理解の弱さです。

それだけ、時代の希望があったのです。人口は増え、職業は多彩になり、生活形態も劇的に変化していたのです。“末は博士か、大臣か”という時代の実相があったのです。

一言で言うと、時代が若かったのです。だから、彼は、貧困からの脱却が可能ではないか、という幻想を抱けたのです。

しかし、現代は違います。日本は、横山が抱いた幻想の行きつく先を見てしまったのです。「成熟社会」とはそういうものです。

「見てしまったゆえのニヒル」「知ってしまったゆえの絶望」が日本の若者たちを蝕んでいるのです。

私などは、成熟とは程遠い出来損ないの人間なので、いまだ「希望」という言葉に執着心を持っていますが、どうやらそんな人間は時代遅れの骨とう品なのでしょう。

しかし、彼らももう少し時間が経過したら、大きく後悔するに違いありません。

これから日本を襲う大暴風は、想像を絶するものになるに違いありません。「日本の下層社会」や「日本残酷物語」で書かれた本当の貧困が襲い掛かるはずです。その時になったら遅いのですが、やむ負えないと思います。

何度も言いますが、政治は、その国の国民の民度を超える事はできません。政治や政治家を馬鹿にすれば、政治家が国民を馬鹿にするのです。国民が政治を馬鹿にし、政治に関心を失った罪は重いのです。
 
0012 渋沢栄一について 千葉の菊 04/22 15:30
 
浅学のため「実業家としての渋沢栄一」についてはほとんど知らないのですが、私が知っているのは「養育院院長」を半世紀あまり生涯を通じて務めた渋沢栄一です。
塩見鮮一郎『貧民の帝都』(文春新書)に詳しいです。
私は佐幕派で明治維新を全くといってよいほど評価していません。実際に社会のシステムとして、江戸時代の方が明治時代よりも優れていると思います。(それもあって教科書では意図的に江戸時代をおとしめて、いかに維新が偉大であったかを強調していますね。)
養育院も「渋沢栄一伝記資料」によると
「是ヨリ先、明治五年十月十四日、東京府庁ハロシア皇子ノ来朝ニ備ヘ、府下ノ乞丐ヲ駆集メ、ソノ処置ヲ東京営繕会議所ニ諮ル。蓋シ東京営繕会議所ハ旧幕時代ニ於ケル市民共有金ノ管理ニ当リ、旧町会所ノ担当セル市街ノ営繕ト市民ノ賑恤救済事業等ヲ継承セルニ由ル。仍ツテ東京営繕会議所ハ翌十五日、右窮民ヲ本郷加州邸内ニ仮収容シ、更ニ同月十九日浅草溜ニ移ス。ナホ東京営繕会議所ハ同月、東京会議所ト改称セシモ、引続キ此収容所ヲ主管シ、明治六年二月四日、浅草溜ヨリ上野護国院ニ収容者ヲ移シ、爾来養育院ト称ス。
 是月栄一、東京会議所共有金取締ニ嘱託サレ、同時ニ当院事務ヲ掌理ス。」
つまり、当時の明治政府の考え方として「外国から要人が来日するのに極貧の浮浪者等が帝都でうろついているのはみっともないからこいつらを集めてどこかに押し込んでしまえ。」ということのようで、同じことが私が住んでいる千葉でも行われています。
下総台地は農地として適さなかったようで、江戸時代は軍馬の放牧地となり「牧(まき)」と呼ばれていました。
明治になって、ここを開墾させようと東京の浮浪者を集めて送り込んだのです。発想は同じです。
そんな中、渋沢は「実業による私利は公益に資するべきであるとの一貫した主張」をもって養育院を護り続けたのです。
そして、その「養育院」は最近石原某により潰されてしまいました。
 
0013 Re: コラムの感想(第十六期) 名無しの探偵 04/23 16:53
 
横レス、失礼。

6年前の研究(秩父事件)では、明治維新後に、民法の改正(こういう名称ではないが)で江戸時代の法慣習(実は慣習というのは現在も重要だと民法に規定されている)が変わり、土地(農地が多かった)を担保にして借金をしていたがすべて期限までに返却しないと土地を競売処分にされることになった。

「近代的所有権」などと進歩的な名称で官僚や学者は絶賛するが、江戸時代には期限を限らず、いくらでも待ってくれたというのが「慣習法」だったのである。
 
おそらく、このエポック(明治17年の裁判以後)がなければ秩父事件はなかったはずである。

明治時代は国民が路頭に迷う時代の開幕だったのである(明治中期)。
石井寛二先生の「日本経済史」はこの事情を詳細に分析されている。
そのとき、「寄生地主」制度が成立。また天皇制も絶対主義に傾いた。

こうした法制史は現在の法律問題も照射することは重要な視点であろう。
 
0014 渋沢栄一 雑考 流水 04/25 09:25
 
千葉の菊さんの書き込みに塩見鮮一郎という懐かしい名前がありました。しばらくの間、青春時代の思い出にふけりました。

「貧民の帝都」の著者、塩見鮮一郎氏は、わたしの大学の先輩です。ドイツ文学専攻でしたが、大学時代より小説や評論を発表し、わたしの大学では有名人でした。

彼は野間宏に評価されていたようです。当時、野間宏は新日本文学を活躍の舞台にしており、のちに塩見氏もそこを活躍の舞台にしていました。

わたしとは年齢も学年も違っていたので、あまり詳しくは知らないのですが、学生時代、彼の友達に連れられて、下宿を訪ねたことがあります。強く印象に残ったのは、布団の敷いてある場所を除き、全て本で埋まっていたことです。文字通り、うず高く積まれた本の中で寝起きをしていました。本は重いので、家の床が持たないと、二度三度下宿を追い出されたようです。

話はとにかく難しかった。若いときはどうしても衒学的になりがちですが、彼の話は衒学的などと言うレベルではなく、古今東西の哲学者・文学者の話、映画・音楽・美術など多岐にわたっており、わたしは話の半分も理解できませんでした。とにもかくにも、知識の凄さと読書量に圧倒された記憶が鮮明に残っています。

卒業後、河出書房新社に就職。その後、作家として活躍しています。わたしの読んだ限りでは、「浅草弾左衛門」が彼の代表作ではないかと思います。

彼は、被差別民や被差別部落を題材として選び、芸能民・社会政策・江戸・東京の都市史を中心に書いていたようです。その表現などを巡って何度か部落解放同盟とも揉めています。

浅草弾左衛門も車善七もいわゆる「非人」の頭です。小説の題材としてそういう存在に目をつける、という点に、大学時代からの塩見先輩の反体制思考が色濃く表れています。

余談はこの程度にして、本題に入ります。

わたしは、渋沢栄一の経済思想については、それほど詳しくはないのですが、彼の経済行動の奥底には、人間に対する愛情と国家に対する真摯な思いがあったと評価しています。

近江商人に【三方よし】という教えがあります。「他人(ひと)によし 自分によし 世間によし」というものです。

商売するときには、まず物を買ってくれるお客(他人)様の満足を第一に考えなければならない。だから、売る商品の品質は最高のものにしなければならない。その為の努力を惜しんではならない。そして、商品の価格は、お客様が買い求めやすい価格でなければならない。その為の企業努力も惜しんではならない。

そうは言っても自分自身が損ばかりしては、長続きしない。だから、お客様が満足してくれた後、いくばくかの利が自分に入らなければならない。

そして、その利が大きくなると、自分を生かしてくれている世間様にお返しをしなければならない。そうする事によって、世間様も良くなり、人々も喜び、ひいては、それが自分に返ってくる。商売と言うものは、世間があっての商売であり、決して自分だけのものではない。

これが近江商人の教えです。倫理と言っても良いものです。

わたしは渋沢栄一の経済思想は、この近江商人の考え方に近いのではないか、と考えています。

彼は、埼玉県の豪農出身(養蚕農家)です。コメ農家と違い、養蚕農家は算勘(計算)ができなくてはいけません。彼は14歳ごろから一人で藍葉を仕入れる仕事をしていたそうで、後年、彼の経済への明るさ(合理主義)は、その出自にあると思います。

同時に、彼は四書五経などを学び、剣術の神道無念流を学んでいます。

田舎に住んでいると良く分かるのですが、当時の豪農層(庄屋など)は、世相に大変敏感で、向上心も旺盛。それなりの学問もあり、見識も優れた人物が多かったのです。

例えば、わたしの勤務した中学校に頼山陽の書がありました。頼山陽がその土地の庄屋屋敷に宿泊し、その時揮毫した書だと言われていました。その庄屋の子孫がPTA会長になり、寄贈したものだと言われていました。

この庄屋は大変な文化人だったようで、頼山陽をはじめ、幕末の知識人がよく宿泊していたそうです。瀬戸内海沿岸の町々には、この種の話が多く転がっています。

特に有名なのが広島県の鞆(とも)です。わたしも何度か訪れましたが、海運の街なのに、文化的遺産が溢れた素晴らしい街です。例えば、おひな様ひとつとっても、元禄享保雛から始まって各時代の有名なお雛様を飾っている商家がありました。とても庶民では手が出ない品物です。それだけ裕福でそれだけ文化的で目も肥えていたのでしょう。

彼らは、このように一流の知識人から多くの物事を学び、見識を広めたのです。だから、幕府政治の行き詰まりも肌で感じ取っていて、日本の将来を真剣に考えていたのです。

渋沢栄一も同じように豪農で文化的素養も十分あり、剣術もできたのですから、養蚕農家で一生を終えるのを潔しとしなかったのも頷けます。

特に江戸に出て神田お玉が池の千葉道場に入門してから大きく変わったと思います。幕末の千葉道場は、若者を刺激するには十分な環境だったのです。千葉道場は、坂本龍馬が学んだことで有名ですが、勤皇思想を信奉する若者が多く集まっていました。

江戸末期という時代は、そういう流動性に富んだ時代だったのです。

栄一は、そこで群馬の高崎城を乗っ取る計画を実行しようとして、説得され、断念していますが、類が親族に及ぶことを恐れた父親により、勘当されます。

その後、京都に出かけたのですが、8・18の政変以降、京都での攘夷派の活動が鈍くなっていました。そこで親交のあった一橋家の家臣平岡円四郎の紹介で一橋慶喜に仕えたのです。

新選組の土方歳三もそうでしたが、農民あがりの武士たちは、先祖以来の武士階級より武士らしく振る舞いました。理由は簡単です。彼らの頭の中の『武士像』に忠実であろうとしたからです。

渋沢栄一も例外ではありません。彼は最後まで徳川慶喜に忠節を尽くしました。それだけの能力もありました。特に慶喜が将軍になった時に、1867年パリ万博に行った事が、後の彼の人生に大きく影響しました。

巷間、薩長藩閥政治が明治維新政府を成功させたかのように言われていますが、詳細に見るとそうとばかりは言えません。国家を運営するには、実務を担当する有能な官僚が必要なのです。口で天下国家を叫べば事足りるものではないのです。大言壮語するだけで国が動けばそんな簡単な事はありません。国家経営というのは、実務であり、具体性そのものなのです。

当時、こういう能力の持ち主は、江戸幕府の家臣に勝る人間はいないと言っても良いのです。だから、徳川幕府の有能な人材の多くは、維新政府に仕えたのです。

渋沢栄一も彼の才能を高く評価していた大隈重信に推挙され、大蔵省に勤務したのです。

そういう幕臣の就職の世話を一手に引き受けていたのが、勝海舟です。政権を返上した幕府の家臣というのは、現在で言う失業者。できれば、新しい就職口を見つけたいというのは人情。当然ながら、幕府の政権返上を考えた勝海舟などには、その就職の斡旋をする義務があります。彼の日記には、その事が詳しく書かれています。

つまり、明治政府の国家統治の実務的側面を引き受けたのは、薩長ではなく、幕府やその他の藩の有能な官僚たちだったのです。そうでなければ、人材不足で、明治政府はうまく回らなかったのです。

歴史家磯田道央の『武士の家計簿』「加賀藩御算学者」の幕末維新(新潮新書)の主人公が明治維新政府に仕えたのも、如何に実務的力量のある人間を維新政府が必要としていたかを示しているのです。この場合の実務的能力とは、算勘の才なのです。武士の才能としては、それほど高く評価されなかった才能です。薩摩藩士の才能にはあまりないものなのです。

西郷隆盛の西南戦争も、このように官僚国家になりつつあった明治政府内で居場所を失いつつあった薩摩の武士層の不満のはけ口の側面が大きかったのです。

渋沢栄一の実業界での業績は様々な文献で紹介されているので省略しますが、一言で言えば、近代的契約社会のやり方を日本に根付かせた先駆的人物だったのだと思います。

名無しの探偵さんが、秩父困民党事件の研究成果を分かりやすくまとめてくださっていますので、それを引用させてもらいます。

・・・「明治維新後、民法の改正(こういう名称ではないが)で江戸時代の法慣習(実は慣習というのは現在も重要だと民法に規定されている)が変わり、土地(農地が多かった)を担保にして借金をした場合、すべて期限までに返却しないと土地を競売処分にされることになった。

「近代的所有権」などと進歩的な名称で官僚や学者は絶賛するが、江戸時代には期限を限らず、いくらでも待ってくれたというのが「慣習法」だったのである。
 
おそらく、このエポック(明治17年の裁判以後)がなければ秩父事件はなかったはずで、明治時代は国民が路頭に迷う時代の幕開けだったのである(明治中期)。」・・・
(明治維新=国民が路頭に迷う時代のはじまり)
https://blog.goo.ne.jp/rojinto_goken

第一銀行を設立し、日本の銀行の父となった渋沢栄一には、名無しの探偵さんのような問題意識はなかったはずです。探偵さんの指摘される『慣習法』のあいまいさを非合理的として排除しなければ、世界標準に遅れるという発想ではなかったかと推察できます。

ただ、渋沢栄一は、金儲けするためだけの合理性一辺倒の人物ではなかったと思います。彼の思想の根幹には、「論語」をはじめとする儒教精神がありました。

同時に、養蚕農家を営んでいた実家の家業から見聞した『貧困』にあえぐ民衆たちの生活の実情も彼の脳裏にあったはずです。彼が直接見聞したかどうかは分かりませんが、明治時代の「野麦峠」の貧しさは、彼にも見えていたはずです。

江戸時代の豪農と水飲み百姓の関係は、ある意味、運命共同体的関係なのです。庄屋や地主階層には、弱者(小作人)に対する責任感が重くのしかかっていました。西欧風にいうならば、「ノーブレス・オブリージュ」の精神があったと思います。

※ノーブレス・オブリージュ⇒貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない不文律の社会心理である。それは基本的には、心理的な自負・自尊であるが、それを外形的な義務として受け止めると、社会的(そしておそらく法的な)圧力であるとも見なされる。 
法的な義務ではないため、これを為さなかった事による法律上の処罰はないが、社会的批判・指弾を受けたり、倫理や人格を問われることもある。
・・ウィキペディア 
https://ja.wikipedia.org/wiki/ノブレス・オブリージュ

この精神や小作人に対する配慮の無い庄屋や地主などは、明治になって大変苦労しています。

千葉の菊さんが書かれている『渋沢は「実業による私利は公益に資するべきであるとの一貫した主張」をもって養育院を護り続けたのです』というのは、その発露だったと評価できます。これもまた江戸時代の庄屋、地主階級の良質な伝統ではなかったのか、と思います。

この精神は、先に紹介した近江商人の商道徳『三方よし』の中の【世間によし】の精神にも通じるものです。

それから、『当時の明治政府の考え方として「外国から要人が来日するのに極貧の浮浪者等が帝都でうろついているのはみっともないからこいつらを集めてどこかに押し込んでしまえ。」ということのようで、同じことが私が住んでいる千葉でも行われています。』という問題ですが、この時に真っ先にやり玉に挙がったのが、被差別部落の住民でした。

天皇の神格化を企図した維新政府は、天皇の行幸にかこつけて、被差別部落の移転や住民の移転を強行したりしています。わたしたちが部落問題を指導する時、常にぶつかる問題の一つでした。「天皇制と部落問題」は、日本と言う国のあり方を考えるとき、その根源に横たわる問題です。文部省が部落問題学習を徐々に「人権学習」という形態に変化させた最大の理由の一つです。

最後に渋沢栄一と教育の問題について、余談をもう一つ書いておきます。

渋沢の経済論を一口で言うと、「道徳と経済の合一論」とでもいうべきものでした。

『富をなす根源は仁義道徳。正しい富でなければ、その富は永続できない』
『事柄に対し如何にせば道理にかなうかをまず考え、しかしてその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。』 

この渋沢の経済論と同様の経済論を唱えていたのが、三島中州。幕末の備中松山藩の藩政改革を成し遂げた山田方谷の一番弟子です。

山田方谷が説いたのが、理財論と言う考え方です。「義を明らかにして利を図らず」という考え方で、藩政改革を成し遂げたのです。

具体的に言うと以下のようになります。

「綱紀を整え、政令を明らかにするのが義であるが、その義をあきらかにせずに利である飢餓を逃れようと事の内に立った改革では成果はあげられない。その場しのぎの飢餓対策を進めるのではなく、事の外に立って義と利の分別をつけていけば、おのずと道は開け飢餓する者はいなくなることを説く」

幕末、松山藩主板倉勝静(松平定信の孫 養子として入り、松山藩主になる)は、幕府の老中になります。山田方谷も藩主とともに幕政に関与するようになりますが、早々に郷里へ引き上げます。

三島中州は、山田方谷について江戸へ赴任します。維新後も東京へ残り、二松学舎を作りました。

三島家は、倉敷の名家です。中州という号は、倉敷に中州という地名があり、そこから取ったと推察できます。岡山県の教育界で、三島家といえば、それこそ知らない人がいないくらいの教育界の重鎮でした。それも三島中州が山田方谷の一番弟子として名をはせ、二松学舎を設立したのが大きな要因だったと思います。岡山県が長野県と並んで教育県と言われたのにも三島家の功績は多かったと思います。

さらに付言すると、備中松山藩はわたしの生まれ故郷のすぐ隣の町です。松山藩、山田方谷、三島中州などの名前は、幼少の時からよく聞いていました。

この三島と渋沢が肝胆相照らす仲だったようで、そのため渋沢は二松学舎の経営にも深く関わったようです。

もう一人、松山藩ゆかりの人物を紹介しておきます。亡くなった鶴見俊輔です。鶴見家は、松山藩(当時水谷氏)の家老でした。鶴見内蔵助が家老だった時代、藩が取り潰しに合います。その時、城受け取りに来たのが、赤穂藩家老大石内蔵助でした。この話は、有名で、小説にもなったそうです。

※鶴見内蔵助 http://takahashi.jyoukamachi.com/name-tu.html

渋沢栄一の話から脱線が過ぎたようです。年寄りの繰り言と思ってご容赦ください。千葉の菊さんの書き込みで、多くの懐かしい思い出が蘇ってきました。本当にありがとうございました。
 
0015 国民の眼をはぐらかすサーカスにつて パンドラ 06/05 21:41
 
名無しの探偵さん。

私のコラム感想頂き有難うございます。
確かに安部政権のサーカス擬きのやり方には腹が立ちます。
これからオリンピック、大阪万博、大阪カジノ、新しいお札の政治利用
新しい憲法に世論を先導して行くつもりでしょうか。

国民は何処までこのサーカス付き合うつもりでしょうか。
官邸が煽る予算だけが膨らむ怪しいイベントに乗るより自分達で選挙戦をサーカスにして
楽しみたいと思っています。そのためには野党統一候補の擁立と
国民の眼を集め、話題を盛り上げたらその裏には揺るぎ無い政策と政権を取りに行くという
決意が無ければいけません。
山本太郎は野党統一候補が立候補する選挙区には候補者は立てないと言っています。

アメリカで昔行われたキング牧師の100万人の大行進は、最初後方の人達の中には歌ったり踊ったり何が何だか分からないけれど面白そうだかついて行ってみようという人もいたそうです。やがてその先には素晴らしいキング牧師の大演説があり、そこに集った人々は熱狂的に支持したとききました。

野党が統一候補を立てて本気で政策を打ち立てるなら国民は耳を傾けるのでないでしょうか
政治家を怠けさせてはいけません。皆でサーカスを作って行きましょう。




 
0016 Re: コラムの感想(第十六期) 猫家五六助 07/11 00:04
 
笹井さん
前略 今週のコラム、拝読いたしました。まったく、おっしゃる通り!気持ち悪いほど、うなずくことばかりです。

特に”胸糞悪かった”(ごめんなさい)部分が、2つ。
 1つは参院選の「比例代表自民党」政見放送で、安倍首相と三原議員が並んで座り、顔を見合わせながら政策とは無関係な自画自賛と野党批判をしていたこと。チャンネルを回していて偶然、安倍&三原のツーショットを見てしまった瞬間・・・ひどい違和感と嫌悪感が脳ミソを走り抜けました。

 政党の、与党の政見放送ですよね!?なぜ、一人で話せないんですか?インタビュアーのように露骨なヨイショをする、キツイ目つきの女性議員と、一国の総理大臣たる者が”夫婦漫才”やるんですか?NHKで!

 まるで戦前・戦中の大政翼賛会が国民を洗脳しようとしている、そんな気味の悪い印象を持ちました。

 2つめは安倍首相が街頭演説で「民主党の枝野さん。〜どんどん変わるから覚えるのが大変」と故意に「言い間違え」を繰り返した件。枝野代表に「選挙妨害」と批判されると、「怒るなら、ずっと同じ党名で頑張れ」と。

 「一国の総理大臣とは思えない小児性丸出しの言い返し」、その通りです!安倍晋三、オマエは野党第一党の党首も覚えられない”チキンヘッド”なのか!?恥を知れっ!

 おまけに、ハンセン病家族訴訟で「異例の控訴見送り」。他の同様な訴訟では国が責任を認めず原告敗訴が続いたのに、控訴断念の理由も政府の矛盾も考えず、あるのは参院選前の「ええかっこしい」だけ!

 安倍晋三、なにが「異例の決断」だ!まっとうな判断をしただけじゃないか!アンタの「異例」が異例なんだよ!!鬼の首取ったように、はしゃぐな!長年苦しめたハンセン病患者・家族の前で土下座したら、男が上がるよ。

 全国絶賛上映中、満員御礼の邦画「新聞記者」。「れいわ新選組」の登場。そして、米国ニューヨークタイムズからは安倍政権の独裁ぶりを批判された。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/質問制限「独裁政権のよう」%EF%BC%9D日本政
府の報道対応批判%EF%BC%8D米紙/ar-AADURwQ?li=BBfTvMA&ocid=spartanntp


 どんどん墓穴を掘っている、安倍晋三。みんなで突き落とそうじゃありませんか! 草々
 
0017 Re: コラムの感想(第十六期) 猫家五六助 07/13 23:06
 
今週のコラムを拝読し、あらためて考えたのは「三原じゅん子」議員の態度・発言です。彼女は国会という”国の最高議決機関”で、野党議員全員に対して

「安倍首相に感謝こそすれ、問責決議案とは愚か者の所業、恥を知りなさい!」

と発言しました・・・いや、これは非難・恫喝です。
根拠がなく、感情的に叱責することを「非難」といいます。そして、マユを釣り上げキツイ目つきでの発言は、スケバン・ヤンキー・チンピラ・ヤクザと同じ「恫喝」です。

あの態度は何回見ても、かの国で首領様をたたえ敵対する国を恫喝する、年配の女性アナウンサーと変わりません。日本も戦時中、大本営の作戦や戦争続行に異を唱える者を「キサマッ、何を言うかっ!」「この日国民が!」と威嚇・恫喝したのが東条内閣や軍部将校たちでした。

言うまでもなく、国会は議論・論戦の場です。過日、質問時間消化のために般若心経を唱えたバカ議員もいましたが、三原じゅん子の言動は国会議員の矜持・品格など、かけらもありません。呆れました。

彼女の経歴については、ネット上でいろいろ晒されています。信頼できる記事によれば”金八先生”ドラマへの出演で有名になり、23歳ころに写真週刊誌カメラマンへの暴行事件で逮捕され、その後はレーシングドライバーとして活躍、介護施設経営者も経験しているとか。離婚歴は2回あります。若い頃はアイドル歌手からグラビアアイドルになり、ビキニ水着写真集を出しています。近年までは単発でテレビドラマにも出演していたそうです。

つまり、そこそこの知名度があります。それで国会議員に転出、自民党の広告塔・・・というところでしょうか。私は国会議員としての矜持があり見合う言動をしていれば「過去がどうのこうの」という批判はしません。ただ、国会議員としての品位を欠いたり”あるまじき言動”をしたりすれば、彼女のバックボーンとリンクして叩かれてもしかたないでしょう。

三原じゅん子、アナタは単細胞で発言が薄っぺらい!アナタが敬愛かつ崇拝する安倍晋三に「愚か者の所業」はないのか?野党から「恥を知れ!」と批判される所業はないのか?

そして、空に向かって吐いたツバは自分の顔で受け止めなさい。愚か者の、三原じゅん子。そのゴーマンさ、恥を知れ!
 
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